すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

役立たずの記

2016年07月06日 | 読書
Volume6

A面 「役に立つというのは、ある限られた範囲に適しているってことで、ある種、とても限定的です。逆に、役に立たないというのは、そのセコい観念を超えるもの。」  

 本質的な意味で価値観の問われる言葉である。
 「役に立つ」ことは大切だけれど、それが万能であるはずがない。
 役立つことは、すぐ役に立たなくなることを私たちは何度も目にしてきている。

 「役立たず!」と罵られるとしたら、その関係性をまず疑ってかからねばなるまい。
 稀代の辛口評論家、佐高信のことば。




B面 「またつまらぬものを斬ってしまった」 

 地方にいてはなかなか見る機会が少ないが、注目しているお笑い芸人松元ヒロが、「ルパン三世」の石川五エ門のキメゼリフとして紹介している言葉。
 これはなかなか使える。

 だんだんと本当の思いを口にしにくくなっているような世相だが、思い切ってズバリと言い切ってしまう。そして、一瞬の間の後に言い放つセリフとしては最高だ。
 割り酔いもせずに宴席をのりきれる。

「うた」を通して向き合っている

2016年07月05日 | 雑記帳
 小谷美紗子の新譜「MONSTER」を繰り返し聴いている。

 デビュー20周年記念ということか、初のピアノ弾き語りベストアルバムである。



 ファンとなるきっかけになった「嘆きの雪」はもちろんいいが、それ以上にCD初収録となった「3月のこと」というラストの曲に惹きつけられてしまい、何度もリピートしてしまった。

 ふだん歌詞カードなどほとんど見ることはない。
 久しぶりに開いて詞を見ると、何か不思議な世界が広がっていた。

 これは何のことを歌っているのか。

 「3月のこと」という題名で気づかない自分の鈍感さを、ネット検索して思い知らされた。
  ↓
 http://www.odanimisako.com/sangatsunokoto/


 震災後につくられたいくつかの曲を知っているが、これほど心揺さぶられたのは、ミスチルの「かぞえうた」以来である。


 自分の人生だけでなく、世の中にも「うた」を通してしっかり向き合っている人の曲は、どこか新しい切り口を見せてくれる気がする。

 この詞のラストを噛み締めたい。

 ただいま おかえりって 奇跡の日常を
 守るんだよ 未来の ふるさと
 あの人が 残した ふるさと
 あの人が 地上を 愛している

今さらだが、のキラメキ

2016年07月04日 | 雑記帳
 今さらだが『火花』(又吉直樹)を読む。中古書店で200円がついていた。あの騒動?から約1年。むろん芥川賞作品をどうこう評価する能力はないが、一言口をすべらすと、文学とは面倒だなあということ。その面倒さを突き詰めていく根気強さや、他者との同化と異化を繰り返す自己愛が文学を志す人に必要とわかった。



 小説のモチーフは「漫才」「お笑い」とも言えるか。芸人世界の裏を一瞬垣間見た気になるが、「お」がついただけで途端に厳しくなる「笑い」という概念は、突き詰めれば人の本質に迫る。「同じことで笑える人」は価値観が近いのだろう。お互いに笑い合って暮らせる人が居ればこれほどの幸せはないと、今さらだが思う。



 今さらだが、牧瀬里穂って輝いていたなあと思った。映画デビュー作である「東京上空いらっしゃいませ」がBSで放送されていた。監督は相米慎二。筋は「甦りモノ?」で今一つだった。しかし、牧瀬のはじけるような魅力がよく表現されていた気がする。今の若手女優の輝きとはまた別の硬質的なイメージを持っている。


 映画主題歌は「帰れない二人」。井上陽水・忌野清志郎の共作によるナンバーである。映画ではこの曲が5回流れる。冒頭、女性コーラスのポップな感じで流され、その後になんと四度、歌い手がそれぞれ違う。井上陽水、加藤登紀子、木村充輝(憂歌団)、そして小笠原みゆき(牧瀬の吹き替え)。今さらだが、名曲である。

二人を分かつ問題

2016年07月02日 | 雑記帳
 最近のニュースの中で印象深いのは、佐賀県で起こった県立高校の情報漏洩のことである。先進的に教育情報のIT化を進めた佐賀県で、こうした事態になったことを文科省も重く受け止めていたという記事もあった。そして、何よりその犯罪が17歳の手によって行われたこと。詳細はわからないが、どこか象徴的だ。


 現場におけるIT化の進行は言うまでもない。ただ、指導面と管理運営面に分けた時、特に管理運営面において地域格差はまだ大きい。現場だけでなく教育行政も含め、個々の姿勢にも違いが際立っている。年齢格差も背景にあるだろう。IT化のメリットと共に限界は示すべきだし、それが一歩前進につながると考える。




 犯人が17歳だと聞いたとき、かつて「NHKプロフェッショナル仕事の流儀」に登場した高校生が思い浮かんだ。16歳のプログラマーが取り上げられていた。IT企業が注目するこの天才も、幼い頃はひどく孤独な日常であったらしい。共に興味を覚えてITにのめり込んだろう、その二人を分けたのは、いったい何だろう。


 プログラマー山内君はこう語る。「人類の進歩に貢献するというか、そういったことをしたいと思っていて。ただお金もうけして億万長者になるよりも、人類を前に進めた方がかっこいいと思うんですよ。」犯罪者の17歳にこうした心は…。持てなかった、育てられなかった理由こそ、ずっと忘れずに問題にすることだ。

視線のくもりを拭え

2016年07月01日 | 読書
Volume5

A面  「人材というのは、いつまでもいい人材ではいられないのです。学び過ぎると、危険な世界が人間です。」

 免疫学の権威である、新潟大学安保徹教授のことば。
 「学びの大切さ」を語る人は数多いるが、その危険性について正面から述べる人は少ない。さすがに、様々な批判をものともせずに、免疫学を貫く大人(たいじん)だと思った。

 この逆説的な意味を補足すれば、自分のエネルギーを「細分化された学び」に使うことによって疲弊し、常識を欠いていくことを指している。
 その例を私たちは頻繁に目にしている。それは現実の学校制度がそうなっている証明ともいえそうだ。



B面  「日本の社会構造の転換のあるべき姿は、伊勢神宮をみればわかります。」

 EMの開発者として著名な名桜大学比嘉照夫教授が語ったこと。
 伊勢神宮にある巨木に、多くの日本人は畏敬の念を抱く。私のようなだらしのない者でも、数年前に訪れたときの感覚は忘れられない。
 それは千年以上前の人々が、意図的につくりあげてきたことであって、まさに「自然」との一体化のなかで「神様」の存在を示してきたことほかならない。

 都会に乱立するビル群と比較してみればいい。
 同じように高さを持つモノであっても、それに関わる精神は次元が違う。
 日本人が取り戻すべき心は、明らかであると思う。