すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

「学校には道具が多過ぎる」

2016年07月18日 | 読書
 続けて、『「暮しの手帖」初代編集長 花森安治』(「暮しの手帖」別冊)

 花森安治の言葉を、歌人穂村弘がセレクトしているコラムがあった。

 意外な人選だが、やはりという思いもする。
 穂村の感覚を面白いと思う自分が花森に惹きつけられるわけだ。

 実に痛快な一言を選んでいた。

 「個性は欠点の魅力である」(※「点」は旧字体で書かれてあった)

 こんなふうに言えることは、本当に凄い。
 「個性」の価値を、「欠点」と「魅力」という表裏の関係にある言葉で見事に言い表しているではないか。
 魅力を感じない人にとって、個性は邪魔な存在でしかありえないのだ。
 ああ、納得だ。



 すっきりとは逆に、ズドンと腹に答えた一節もある。

 それは「人間の手について」という、口述筆記による絶筆である。

 「人間の手のわざを、封じないようにしたい」

 新しもの好きの花森は、様々な道具に興味を示したが、いわゆる「手仕事」の本質を手放してはいない。それが人間としての根源につながるということをしっかり把握していた。

 そしてなんとその絶筆の一番直接的なメッセージは「学校には道具が多過ぎる」という指摘である。
 もう40年も前に語られたことだが、現在の学校現場に対しても深く問いかけてくる。
 もう一度真摯に検討する必要があるのではないか。

花森が言い続けたこと

2016年07月17日 | 読書
 『「暮しの手帖」初代編集長 花森安治』(「暮しの手帖」別冊)


 5月に文庫『花森安治伝』を読んだばかりだが、興味が続いていたので書店で求めた。朝ドラでモデル役が登場したこともある。外見は似ていないが唐沢寿明は適役ではないか。几帳面、頑固、偏屈さをうまく表現できる役者だ。いや、それにしてもこの別冊で取り上げられた本物は迫力がある。本当に興味深い人物だ。


 この本自体も、本当に編集がしゃれている。こうした装丁の雑誌は今は珍しくないが、やはり先駆けは「暮しの手帖」なのだ。戦後の「衣食住」に与えた直接的、間接的影響はかなり大きいと予想される。ファッションを追っているように見えて、実は流行にとらわれない本質を常に考えていることが随所でわかった。



 昨日書いたSEALZsのことと絡ませれば、実に面白い記述があった。花森自身が「民主主義」について、ダイレクトに記している文章が紹介されている。

 民主々義の<民>は 庶民の民だ
 ぼくらの暮しを なによりも第一にする ということだ
 ぼくらの暮しと 企業の利益とが ぶつかったら 企業を倒す ということだ
 ぼくらの暮しと 政府の考え方が ぶつかったら 政府を倒す ということだ
 それが ほんとうの <民主々義>だ



 似たような言葉がドラマでも使われていたが、花森の編集者としての原点がそこにある。

 「ぼくらに守るに足る幸せな暮らしがあれば、戦争は二度と起こらないはずだ」

 この言葉をどうとらえるか。
 「守るに足る幸せな暮らし」の響きをどう受け止めるか、である。
 それは小市民的な自己満足の姿を指しているわけではない。

 何か適切な言葉で代替できないかと、改めて読み直してみる。

 「だまされない」

 これが一番ふさわしい気がした。

 衣食住などの身のまわりのことから地域社会、国の政治といった広い範囲にわたる全ての点において、「だまされない」ことが肝心だと、彼は言い続けている。

夢も希望もない行動に込める詩

2016年07月16日 | 読書
 『民主主義は止まらない』(SEALD s  河出書房新社)


 読み終わって久しぶりに思い出した言葉がある。

 「人は誰でも25歳までは詩人である」

 誰の文章なのかは、今となっては思い出せないが、大学生か就職してすぐの頃に出会ったのだと思う。そして時々ふっと甦ってくる。
 それは、何か自分自身への言い訳にもなっていたような気がする。

 この本は端的には政治へのかかわり方について書かれてある本だが、SEALDsのメンバーの文章、特に後半部を読んでいると、まるで詩を読んでいるような心持ちにさせられた。
 いや、やはり詩そのものなのかもしれない。


 「民主主義ってなんだ」と問いかけるとき、それは何も知らない。我々は誰に届くとも知らず「民主主義ってなんだ」と問い続けるだろう。「これだ」とは未来である。根拠は未来へと伸び続けている。(羽鳥涼)


 「命を守れ」。小さな声は、隣の小さな声に重なっていった。5年前、70年前、誰かが蒔いた種が私の足下で芽吹いている。理不尽を前に人知れず彼女が膝をついたその道が、私の足下まで長く延びている。(大澤芙実)


 彼らの行動力は言葉を呼び寄せ、他者に働きかける力を持っていると思う。
 私は、それだけで叶わぬ憧れを抱いてしまう。

 自分たちが指をくわえて見ているうちに、衰退してしまった「民主主義」というものを、より俯瞰した視点で見ている気がした。
 提起したのは、つまりは「進め方」の問題といってもいいのかもしれない。
 この、煮詰まってしまったようにみえる社会に、揺さぶりをかけられているようで、ある意味とても清々しく思えた。



 メンバーとの対談相手である内田樹は、いみじくもこう語る

 「僕たちに出来るのは、せいぜい破局の到来をちょっとでも遅らせる。時間を稼ぐ。そういう(略)夢も希望もない政治的行動じゃないか」

 夢や希望について一律に判断できることではない。
 しかし、時代認識として大きく逸れてはいないだろう。

 それを踏まえつつも、ただ「政治的行動」の中に込めることが「民主」主義であれば、それでいいのだ。

 そのためのしなやかな決意を、若い人たちは真摯に語っていた。

人生を棒にふるつもりで

2016年07月15日 | 読書
 Volume8

 「人生を棒にふるつもりで、好きなことをとことんやればいいんです」



 異端と称してもいい小説家、西村賢太の言葉。

 これほどまでに逆説的な警句はめったにない。

 多くの叱責やアドバイスのパターンは、
「やりたいことだけやって、人生を棒にふってもいいのか」だろう。

 しかし、そうした定型めいた言葉より、百倍も心に響くような気がするのは、私だけだろうか。


 誰しも「人生を棒にふる」ことをよしとは思っていない。

 しかしまた、好きなことをやれずに生きていることが、結局は「棒にふる」ことになっているのではないかと、頭の中で時々浮かび上がってくることを止められずに、日々暮らしているのではないか。

書くことこそ至高の行為

2016年07月14日 | 読書
 Volume7

 「己自身を知ることが、知性の最終目標であるとすると、書くことが、私たちがするべき至高の行為であるのかもしれません。」



 日本語研究の第一人者といってもよい金田一秀穂氏の言葉。

 心の中に湧き上がったことを言語化するとき、音声と文字では何が異なるのか。よく比較されることである。

 話すことは人と共有することが多く、つながる感情などを倍加することができる。

 書くこともつながりを作ることはできるが、直接感じられない場合も多い。
 しかし、「言葉の外在性」は文字言語の大きな長所だという。
 つまり、検討できる、書き直しによる正確な表現も可能だということだ。

 手書きか、機器か、紙面なのか、画面なのか、そうした設定による伝わり方の違いを意識しつつも、肝心なのは「己自身を知る」ために言語化する意識だ。

『流』のスケールを想う

2016年07月13日 | 読書
 『流』(東山彰良  講談社)

 『火花』同様、今さらの読書記になる。昨年、直木賞をとったときにひどく気になった。その訳は選考委員たちのコメントがかなり刺激的だったからだ。「二十年に一度の傑作(北方謙三)」「これほど幸せな読書は何年ぶりだ?(伊集院静)」「エンタメ界の王貞治になってほしい(東野圭吾)」…読みたくならないのが不思議だ。



 五月には台湾旅行もしたし、満を持して(笑)この長編小説を開いてみた。ううむ、確かに話の筋は面白い。ただ、当然ながら人名が中国語表記なのでその点がわかりにくい(読解能力のせいと思うが)。ふと連想が湧いたのは、伊集院静の自伝的な作品群、そして五木寛之の『青春の門』だった。エネルギーが類似している。


 過酷な時代、環境を背負う若者に、暴力的な要素が加わり、波乱万丈さを紡ぎ出す事件が重なると、必ず突き当たる理不尽さ…といったパターンも見える。しかし、中国や台湾を背景にしたスケールはちょっと理解を越えたところも正直ある。世界中の常識がいくら加速しても、行きわたらない場所が必ずあるように。



 台湾に出かけたときに様々な史跡を巡りながら、この国が歴史の中で翻弄されてきたことは痛感したし、本文と重なり合う箇所も感じながら読み進めた。そしたら、中国本土について、思わず膝を叩きたくなる表現に出会った。「この国は、大きいものはとてつもなく大きく、小さいものはあきれるくらい卑小なのだと。」


 続く文章にも深く頷いた「ちっぽけな台湾や日本のような平均化を拒絶する」。しかし、このストーリーに照らし合わせると、日本の平均化のレベルは台湾のそれとは比較できない気がした。題名「流」は明らかに「血」をイメージさせる。我が国も一つの「血」の流れが支配し始めているが、少し黒く変色している。

あの笑顔は、度胸だった

2016年07月12日 | 雑記帳
 最近読んだ対談本『安倍政権を笑い倒す』(佐高信×松元ヒロ)の中に、永六輔のことが取り上げられている。

 テレビ草創期の放送作家は、世の中にできるだけ公平に、多様に情報をいきわたらせたいという志を持っていたのではないか、そんなふうに単純だが至極大事な考えが浮かんだ。

 だからこそ、佐高が語るように、あまりマスコミに登場しなくなった最近であっても、しっかりと自らの姿勢を貫いてきたのだと思う。

「テレビにクビにならないように、ということばかり考えているサラリーマン芸人」ばかりはびこるなかで、なかなか受け入れられない人にちゃんと着目して、世に出そうとしてきたのが永六輔という人だよね。」


 松元ヒロは、永に自分の芸を誉められ、照れくさくなってメジャーでないからやれるといった軽口をたたいたとき、厳しくたしなめられたことを語っている。

「ヒロくん、お客さんのせいにしてはいけません。テレビのせいにしてはいけません。それはすべて本人の度胸の問題です。」


 今、テレビ、マスコミに登場する著名人で、そこまでの気概を持って語れる人がいるだろうか。
 昨今の放送作家にしたって、見聞している範囲では、売れている芸人や世相に阿っているような雰囲気ばかりが漂う。

 永六輔は間違いなく、日本の放送や芸能がどうあればよいか本質的に考えた人である。
 選挙とお笑いが同じレベルで流されているような現状を、彼はどう見たのだろうか。



 合掌。

何年振りかの記

2016年07月11日 | 雑記帳
 東京ドームでの野球観戦は、確か10年ぶりではないか。勤め先の職員旅行で巨人戦を見た記憶がある。あの時はマフラータオルを準備せず、回せなくて悔しい思いをしたが、今回は大いに盛り上がることが出来た。しかし隣席に陣取った若い外国女性3人組のノリには負ける。こんな場所でも異国の人が増えてきた。


 ドームホテルは開業して間もない頃、娘たちを連れて泊まったから15年ぶりぐらいだろうか。相変わらず賑わっていた。朝食をとるとき、隣席の女子大生二人の会話が耳に入ってきた。サークル?のメンバーをどう呼んでいるかで盛り上がっている。距離感の取り方が大きな関心事であることがひしひしと伝わってきた。



 雨の二日目、帰りの新幹線時刻まで寄席へ行くことにする。浅草演芸ホールは5年振りぐらいか。確か震災の年の秋に立ち寄った。たくさんの芸人を見られることが嬉しい場だ。途中までだったが、権太楼、佐橋が秀逸だった。様々なレベルの芸人を目の当たりにして、「身に付く」という意味が少しわかった気がした。



 ここ数年、寄席は年に一、二度訪れている。その程度のキャリアでも、比較を重ねると、次のことが理解できる。ネタをなぞっている段階、ネタを通して自分を表現できるレベル、さらに自らの中でネタが消化され昇華されている芸人…まあ、なかには時事ネタ、定番ネタだけを口調の流暢さだけで語る人もいたが…。

「義務」、義務感、選挙

2016年07月10日 | 雑記帳
 Amazonで、泉谷しげるの『Early Days Selection』という初期のアルバムを、なんと700円台で売っていたので購入した。ファンとは言えないまでも昔懐かしい曲もあるなあという程度の選択だ。ほとんどが泉谷の作詞作曲だが、いくつか違うものもある。『黒いカバン』という名曲は、かの岡本おさみの作詞である。




 黒いカバンを持って歩いていたら警官に職質をかけられ、名乗る名乗らないという面白くかつ反権力的な匂いのする小品である。高校生の頃に初めて聴いてへええっと思った記憶もある。クレジットを開いてみたら、もう一曲だけ岡本の書いた詞があった。タイトルは『義務』である。こんなふうに歌い出される。

 「今日だけは人間らしくいたいから デモの列で歩いてくる陽気にね」

 Youtubeを検索したら、今年の冬に歌っていました。でも、正直いって当時の迫力はないです 
 →https://www.youtube.com/watch?v=WkrieNAXIBo


 70年代、団地に住む若い夫婦の会話の一片。世代的には当時は珍しくない風景とも言える。そして時代の流れと共に薄まった感覚だろう。「今日は胸をはって静かに歩いてこよう」…それは法としての「義務」ではなく正確には「義務感」だ。この選挙は「権利」だけれど、一人一人の義務感に裏打ちされているか。

青の時代の歌い手たち

2016年07月07日 | 雑記帳
 BSプレミアムで、「青の時代 名曲ドラマシリーズ」と銘打ち、その第一回?として荒井由実「ひこうき雲」を取り上げていたので、録画して見てみた。

 http://www4.nhk.or.jp/P3893/

 ストーリーも俳優陣も、特にどうということはなかった。
 ただ一つ納得したのは、「私にとってのユーミン」「私だけのユーミン」という台詞だ。
 これは主人公が、自分に影響を与えた友達を秘かにそう名づけていたということで、クライマックスではその関係性が変化を見せ、友達自身もそんなふうに主人公を見ていたことが明かされる展開となっていた。

 ユーミンに象徴されることは、やはりずいぶんと大きいのだなと改めて感じた。
 もちろん、そうだからこそのこうしたドラマ化であるのだが。



 考えてみると、やはりこの世代のいわゆるフォーク、ロック、ニューミュージック系には、そんなふうに比喩できるいい歌い手が多い。
 かなりメジャーであることが条件だと思うが…。

 例えば、吉田拓郎、矢沢永吉、桑田佳祐、長渕剛…まだ思いつくけれど…
 女性ではユーミンの他には、中島みゆきぐらいかなあ。

 歌が、その人の人生にとって影響を及ぼすほどに深く入り込む時代だったと言えるのか。
 世代が40代前半だとまたイメージが違うだろうが、教祖的な存在にはなり得る人がいたかどうか、自信を持っていえない。もっと若い世代だと、どうだろう。


 さて、私自身は「私だけの○○」とイメージした人がいたかどうか。
 土台、○○そのものを何人か挙げることはできるけれど、この人と言い切れないのだからしょうもない。
 ぼんやりした「青の時代」。まあそれもそれなりの味が…なんていうのは白の時代が近いからか。