すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

ほんの少しのステップアップ

2019年09月18日 | 雑記帳
 昨日の読み聞かせに『豆しば』の他に選んだのは『このほんよんでくれ!』という絵本だった。新着本が届けられたときに目をつけていたものだった。「ほむらひろし/訳」ということにも惹かれたが、怖そうに見える表情をしたオオカミの表紙絵も気に入った。何度か読み込むなかで、いくつか考えてしまうことがあった。



 その中で一番気になったのは、最大のクライマックス(絵本を読み聞かせてもらっていたオオカミが、ウサギに読み方を教えてくれと頼む箇所)から、最後の1ページへの落とし方だった。するーっと読み進めても、その意味が伝わるかどうか。落差が大きくて、何か補う必要があるのではないか…。それは作者に失礼か。


 紙芝居の個人用舞台を購入して20年近く経つ。宮沢賢治や新美南吉のシリーズもセットで買い、いくつかの学校で時々演ずるようになった。その時に下読みしていて、この表現でわかるのかなと思うことがしばしばあり、少し付け足したり、言い換えたりしたことがあった。伝えること優先に疑問は持たなかった。


 ただ絵本となると原作そのものなので、簡単に変えていいとは思われない。絵と言葉によって作り出されたはずだから。しかし、読み聞かせ特に絵本となると、聞き手を意識した読み手の感覚も重視されるし、ある程度の脚色は許されるだろうと踏ん切った。キャリアの浅い絵本読みではあるが、思い切って取り組む


 時の経過を示す「それからしばらく時がたちました」を挿入し、ウサギはどうしたか予想を訊く。その後再び「それから~」を繰り返し、絵本に戻ることにする。紙芝居での経験はあるが、絵本でのこうしたやりとりは読みの姿勢が違うので印象もやはり違った。しかし結果はよしと思った。少しのステップアップか。

ねえ知ってる、豆しばって…

2019年09月16日 | 雑記帳
 九月最初の三連休後の、しかも朝始業前の時間帯に、読み聞かせの当番があたっていて何がいいのかなと館内の書架を観ていたら、最近購入した小さな絵本が目についた。豆しば』(荒井良二+キム・ソクウォン 小学館)。荒井良二が描く、なんとも可愛くて個性的なキャラクターの表紙絵。今年の4月発刊である。


 職員に訊いたら、「豆しば」という名は知っていた。ずいぶん前からCMキャラクターとして登場しているというが、私自身は見かけたことがない。中身はいわゆる「豆知識オンパレード」の連発。しかし絵本として見ても結構面白いし、休み明け週始まりの子たちを引きつけるには、いい素材だと思った。これに決めた。


 『ねえ、知ってる?』というフレーズを使って、いわばトリビアを紹介する。大人も思わず「へえーーっ」と頷くだろう。例えば「にほんでは スイカに しおをかけるけど…メキシコでは スイカに トウガラシをかけるんだって!」例えば「ホタルを 2000びきあつめると ほんをよめる あかるさなんだって!」。


 こんな感じで28項目。ホントに?と思うこともあるが、信じることだ。例えば27番目「バイバイの ほんとうの いみは さようならじゃなくて…いつもそばでみまもっているよという いみなんだよ!」…byebyeを調べると小児語として「おねんね」があるので予想される。その心が入っていると知ると深くなる。


 「ねぇ しってる? このせかいには まだまだ きみのしらないことが たくさん あるんだよ!」という最終ページは、その言葉だけ聞くと平凡に思えるが、絵本の結びとして何より願いの詰まっている素敵なフレーズだ。私と同じように「豆しば」を知らなかった方もいるだろう。ぜひこちらのムービーもどうぞ。

7万人の百歳の自然を想う

2019年09月15日 | 読書
 百歳以上の方が7万人という報道があった。その数が示すことはたくさんあると思う。身近にはいないのでぴんとこない面もあるが、一人一人の人生は全て違うことだし、改めてなんだか人間って凄いと感じる。ただ、それが自然なのかどうかはわからない。不自然な形だったら嫌だなと、無理を承知で考えたりする。


2019読了84
『百歳日記』(まど・みちお  NHK出版)


 五年前に104歳で亡くなったまどさんの、百歳の頃の文章や詩が載っている。その折のTV番組も見た記憶がある。いかに達人であっても、百歳の「キリ」は考えたようだが、のんびりしつつやはり前向きだなあと思わせる言葉がある。「『年をとったからこそ新しい世界が開けるかもしれない』という気はしています。


 『「?」と「!」』という章があり「世の中に『?』と『!』と両方あれば、ほかにはもう、何もいらんのじゃないでしょうかね」と書いてあり本当に嬉しくなった。あれは何年生担任だったか忘れたが、まさしくその二つの記号だけを、教室正面掲示にしたことがあった。学びとは、生きるとはそういう結論になるか。


 そのために必要なこと。まどさんは老いを自覚しながら、こう書く。「人間は、五感を働かせていることが、生きているということなのでしょう。」それが出来ていることが「自然」と言えるはずだ。おそらく「好きなことをする」のが一番だろうが、あまりに文明が行き過ぎてしまい、意識しないと衰えていく一方だ。


 「生きているということは、結局『生かされている』ということです」意味はわかっても、禅問答みたいなものが役に立つのかと考える人もいるだろう。ただ、もし仮に百歳になったら「生かされている」と真から思うかもしれないな。新聞に載った男性最高齢112歳の田中さんは「死ぬ気はせん」と語ったそうだが(笑)。

コスモスの道を通った頃

2019年09月14日 | 教育ノート
秋日和の週末となった。
コスモスもだいぶ目立ってきた。
先月、資料探しをしていて、見つけた一枚の印刷物。
あっこれは、と思った。

十数年前に赴任した学校の教育目標が
やさしく たくましい コスモスの子」であった。
何か意味付けできないかと、下手な詩を作って貼りだしたことがあった。
十年以上、忘れていた一枚だ。



コスモス街道も今が盛りだろう。
楽しかったあの頃を思い出して再録してみる。


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遠い国の高原で生まれ
海を渡って 花園で仲間をふやした
コスモスと名づけられた その花の種は
幾百年の時間と
数万キロの道のりを越えて
地球上の至るところで
人々の目を楽しませる輝きに育った

この地に宿ったその種たちも
空が高い秋の日に
背すじを伸ばすことを心待ちにしている
昨日の雨も
今日の日照りも
明日を生きる力にかえて
細くしなやかなそのからだの中へ蓄えていく

われら コスモスの子
やさしさの花を 咲かそう
たくましさの根を はろう
今日と 明日と その先の日に
自分と 友と 誰かのために
確かな 輝き 放てるように

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今じゃないと言い続ける訳

2019年09月13日 | 雑記帳
 この頃、少しご無沙汰している武田砂鉄のエッセイを読んだら、林修のことが書いていた。流行語大賞となった「いつやるの?今でしょ!」から10年が経つという。様々な場でスピード化が浸透した時期とも言えるか。以前も書いたが個人的に「スピード感を持って」という言い方が妙に気になり始めた頃でもある。


 根本的に自分が優柔不断であることは承知している。私生活において自己嫌悪に陥る最も典型的な性向だった(と過去形にしようとしている)。ただ、仕事上は、それほど酷くなかったと思うし、早め早めを心がけていた。ある先輩からは「段取り男」と揶揄されたこともある。私的なだらしなさの裏返しでもあったか。


 さて、武田砂鉄は林の思考に対して、こんな言い回しを多用すると書く。「いつやるの?今じゃない!」…そうか。世の中の問題の多くにそんなふうに対してもいい。それは先日書いた「決断、選択をせずに済ます」ことに通ずる。今すぐしなければならないか、どうしても必要か、そう吟味することの大切さが浮かぶ。


 そもそもの問題を置き去りにして提示されることの多さ。具体的な可視的なことだけを重視し、内部に孕んでいるものに目を背けている事象…今就いている仕事にも日常的にそう感じることが多い。齢のせいもあるのだが、チャキチャキと動くことが果たして本当にいいのか、それは何のためと問い返しが多くなった。


 「今じゃない!」という声は、未来だけを指しているわけではない。過去を指す場合もあるはずだ。やるやらないであれば、過ぎ去った時点を問題にするのは無意味のように思えるが、そうだろうか。それは常に目的が問われなければならないという警告だ。今じゃない!と言い続ける訳は模索し直視する姿勢にある。

楽しさと必要感を重ねる

2019年09月12日 | 読書
 あるアクティビティの入門本を読んでいたら、次のような文章が書かれてあった。特に目新しい考えではないけれど、わかってはいるがなかなか実現できない。
 ひょっとしたら今の時代、一番難しいことかなと改めて考えてしまった。


Volume.177
 大人たちの側からの「やらせたい」という思惑が透けて見えるうちは、子どもたちが心の底から「楽しい」という気持ちにはならないのではないでしょうか。子どもたちに「やらせたい」という態度で接するというのは、実は大人の側の勝手な都合でしかありません。


 「教育は強制である」「困難なことに打ち克ってこそ力がつく」という一方の考え方がある。
 それを承知していれば、上掲の論など何ほどのことかと思うのだが、同時に垣間見える真実の存在に多くの人は気づいている。

 若い頃、学びの動機付けは「楽しさ」「必要感」だと考えていた。今もそれは間違いだとは思わないが、二つに分けて組み立てていくことはしないだろう。
 二つはイコールではない。
 しかし重なるように意味づける思考こそが肝要だ。
 授業づくりならそこが鍵となり、教える側の醍醐味ともなる。生徒指導でも同じかもしれない。


 「取り上げるものの楽しさを知っていますか。実感していますか。」
 と問いかけてみて、そうだなあ3割を目指そうかと、現実的な思いも湧いてくる。

 その程度のアバウトさでいないと楽しさも近づいてこない、と勝手な自論を仕立て上げようか。

身近な俳人がここにもいた

2019年09月11日 | 雑記帳
 必要があって町内の短詩形(俳句・短歌)に関する書籍を読み始めた。思い出したように下手な句作をすることもあるが、完全に素人なので改めて勉強するような心持ちだ。書架から取り出して目を通し、個人的に驚かされたことがある。身近な知っている人たちが、俳号を持っていたり、句集を出していたりするのだ。


 『夜香蘭』と題された句集は、布張りの立派なハードカバーである。この著者は実家の筋向いの洋装店のご主人であった。私と同期の息子が家業を継いでいる。句作のきっかけは家族の病気と記されていた。その苦悩を句に詠み始め、幅を拡げて句集を出すまでに到るとは…。人生における自己表現の意味を想う。


 『羽後町吟社の人々』という冊子に、佐藤告天子という雅号で紹介されていたのは、これまた実家の隣家の鮮魚商の主人であった。幼い頃によく声をかけられた記憶がある。豪快なイメージの大人という印象が残る。紹介された句の一つに唸った。「鱈裂けりかじかむ手元狂いなく」。出刃包丁を持つ姿が浮かんできた。


 町の俳人たちを紹介したその『羽後町吟社の人々』という冊子を著した方もまた同級生の父上であった。そういえば、図書館に長く勤められた方で自らも作句していたようである。在職中から始め退職後に集約した労作である。こうした地域資料の貴重さを今さらながら痛感する。読書での出逢いの一つの典型をみた。


 さて、昨日歯科医院で職員の方から声をかけられた。夏休み前に小学校の作句指導に手伝ったことを知り、話をしてくださった。息子さんが休み中にずっと続けて作っていたことを楽しそうに語ってくれる。俳句の楽しみ方が幅を持ってきた昨今なので、自分が作れなくとも何か盛り上げることはできるかなと考えた。

草木が教えてくれるのは…

2019年09月10日 | 雑記帳
 先日、近くのグラウンド周りにある樹木の落葉のことを話題にしたら、その理由を教えてくれる方がいた。「葉っぱが枯れずに落ちるのは、木が自分のからだを守るためにそうするらしいよ。」高温の夏、降雨量も少なかった、土から吸い上げる養分を葉には行き渡らせずに、幹や枝などに使うためということだろうか。


 基礎的な知識かもしれないが、自分にとってはほおうっと受け止めた話だった。植物が生き残るための知恵としては当然かもしれない。ふとおかしな連想が浮かぶ。人間社会であっても、今までとは違う悪条件に晒されたときに、やはり切り捨てられるのは末端か。ただ私たちは、毎年咲き、実をつける葉や実ではない。


 喩えてみれば、末端の枝先。葉や実と直接分かれる当事者でもあるから、辛くなるのだろうか。まあ、それだって早いや遅いかだけのことで、必ずいつかは分かれゆくのだから…と、なんだか妙な展開となった。雨の降らない夏は今年ばかりでなく以前もあった。S先生が教育長をされていた頃だから20年ぐらい前か。


 秋になったばかりの研修会の場だった。その折に印象的な話を伺った記憶がある。「今年の夏は、草むしりが大変だった」と切り出したS先生は、降雨量が少なく土が固くなっただけではないと続け、「草は水分を求めて、地中に深く深く根を伸ばしたから」とおっしゃった。あっと思った。目の前に根が見えだした。


 水を適度に与え続ければ、植物は幹を太くし葉をつけ花を咲かせていくが、根はその先を伸ばして水を求めるようにはならない。逆に足りなければ、根は水分を探しに自ら進むようになる。学校現場に「生きる力」という語が示された頃だ。初等教育では何をどう育てるべきか。深く考えさせられたことを思い出す。

決断、選択せずに済むように

2019年09月09日 | 読書
 「そのうちなんとかなるだろう」と言えば、私世代以上は植木等を思い浮かべるだろう。「♪カネのない奴は俺んとこへ来い♪」で始まる唄はいくつになっても覚えている。高度成長期の一つの象徴でもあった。あの時代にあった大らかさも感じる。「そのうちどうにもならなくなる」雰囲気の漂う今こそ、思い出したい。


2019読了83
 『そのうちなんとかなるだろう』(内田樹  マガジンハウス)



 ネット上の感想には「内田マニア・内田ファン」のための著と記されているものが多い。興味深く読み進めていけたので、やはりその類と今さら自覚した。知っていた話もいくつかあるが、生誕から始まり幼少期のことなどまさに時代の匂いが感じられ、ドラマになりそうな気配さえする。原風景という言葉が重い。


 「僕たちの『ふるさと』には、守るべき祭りも、古老からの言い伝えも、郷土料理も、方言さえもありませんでした。哀しいほどの文化的貧困のうちに僕たちは育ったのでした。」東京外れの工場街に育った著者が記したこの文章が、ある意味でその後の人生を決定づけたような気がする。その渇望感がエンジンとなった。


 もちろん、そうした環境に置かれた者は数えきれないほどいた。その中で、言うなれば現在、この国における一つの「星」のような存在になり得たのは何故か。結局のところ、人間を信じる気持の大きさではないか。武道や能などへの傾倒もそうだし、何よりこの文がいい。「人間は学ぶことをほんとうは願っている


 信じるとは、身体的な感覚をより重視することだ。学んで本当に修得できたものは必ず身体化されるに違いない。直感となって示されることは多い。だから「決断・選択」流行の世の中に次の言葉が響く。「決断したり、選択したりすることを一生しないで済むように生きる」。そんな場に陥ることがなければいいのだ。

長月始まり生食パン

2019年09月08日 | 雑記帳
 9月2日(月)朝に散歩をしていると近くの中学校の桜並木がずいぶんと葉を落としている。紅葉前なのに…やはり異常気象か。今週は、町ふるさとCMの編集に本格的に取りかからねばならない。孫が昼寝を始めた午後から目いっぱいPCと向き合う。盛り込みたいことが多いのは、授業づくりと似ている気がした。


 9月3日(火)今月の初出勤。やるべき事項のピックアップ等を行う。広報原稿もひと月前締め切りなので計画性が必要だ。紹介文コンクールの作品も集まってきている。午後からは地元の小学校に行き、読み聞かせ。この子たちがもう六年生かとふと思う。帰ってきてから、明日の教委との打ち合わせ資料を準備する。


 9月4日(水)紹介文応募作品の仕分けを始める。館内で一次審査をしながら、下旬の審査会に備える。午後より教委へ行き、「子ども読書活動推進計画」の方向や留意点について少し協議する。この作業はじっくりと進めねばならない。退勤後、隣市へ酒類の買い出しに行く。『秋味』瓶ビールのケース買いは毎年のこと。


 9月5日(木)朝、2時間ほど勤務した後、役場の方々と大仙市へ。弁論大会参観へ。行く途中で「生食パン」という幟を見つける。終了後の帰路で立ち寄ってもらった。話題の逸品、「たべびと」としては購入せざるを得ない(笑)。一斤800円也…その味は、やはり今までにない食感、風味だ。ただし一日しかもたない。



 9月6日(金)前日から取り掛かっている紹介文の審査下見を続ける。自分の担当は「家読」つまり親子揃っての文章を見ることになる。読んでいていいなあと思える作品に出合える幸せがある。少し早めに退勤し、隣市の古本屋で新書などをまとめ買い。絵本コーナーにも立ち寄って、二人の孫へ一冊ずつ買い求める。


 9月7日(土)久しぶりに朝の目覚めがよい。途中で何度も起きることが多くなっていてこんな日は貴重だ。ビデオ編集中心の一日になる。細かい時間調整が難しい。テレビでU18の野球をやっていた月。昨日の韓国戦に続き、オーストラリア戦も落とした。主将がインタビュー中に泣く。背負った経験を生かせと思う。