寸又峡への途中・・・で、天空の里
杉尾はなのき展望休憩所
展望台に立つと富士山が見える。今日はあいにく
そして恋人が結ばれる
。
↑ 展望台は4等三角点があった。
花の木、 標高733M
野菜直売所
山峡の郷
↑ 山の中腹に点在する人家、こんな山の中にも人の暮らしが・・・・・・・・?
寸又峡への途中・・・で、天空の里
杉尾はなのき展望休憩所
展望台に立つと富士山が見える。今日はあいにく
そして恋人が結ばれる
。
↑ 展望台は4等三角点があった。
花の木、 標高733M
野菜直売所
山峡の郷
↑ 山の中腹に点在する人家、こんな山の中にも人の暮らしが・・・・・・・・?
夢のつり橋&金嬉老事件( ふじみや旅館)
寸又峡ハイキングコース
駐車場青○ ⇒ふじみや旅館前⇒ 寸又峡プロムナードコース⇒ 天子トンネル
⇒ 夢のつり橋赤○ ⇒ 飛龍橋⇒寸又峡プロムナードコースを帰る
案内図
寸又峡バス駐車場
寸又峡の土産物売り場通り
山から山へ、鉄索で物を運ぶ
ふじみや旅館
金嬉老事件(きんきろうじけん)は、
1968年2月20日に39歳の在日韓国人二世の金嬉老(キム・ヒロ)、
本名:権禧老(クォン・ヒロ)、が銃を持ってこの吉田や旅館に立てこもった事件です。
寸又峡事件とも呼ばれる。いわゆる劇場型犯罪の最初のケースです。
デジブック
『寸又峡・夢の吊り橋』
11時間(往路5・復路6)、現地紅葉狩り2時間・・・~ウウン
朝6時、東京発・静岡寸又峡への旅バスハイク。
朝焼けがスカイツリーを格子状に染め抜き、車中の山友は、ワッ・・・「きれい~・・」と歓声。
首都高速を走りぬけ、東名道路から新装成った≪新東名高速道路≫へ乗り換え、静岡寸又峡へと突っ走った。
新東名は、東名と比べてカーブも坂道もゆるやかなことが構造上の大きな特徴。
つまり、直線に近い道路であり、運転時により安全で快適、さらにエコな走行が可能となっています。
高台を走るため眺望が良く、駿河湾の海、町並み、茶畑が箱庭の様に見えた。
現地到着11,20分、かれこれ5時間の走行、降車後、直ちに≪ハイキング≫。
・・・・が、しかし帰り(復路)を考えるとゆっくりしていられない。
現地ハイキング約2時間、雨も降り始めた天気模様から、昼食を帰路のバスの中でとった。
渋滞も有り6時間の車中、往復11時間の強行軍でした。
夢のつり橋も渡った、エメラルドグリーンのダム湖、全山紅葉もみた。
ヨシ・・・・・・と、しよう。
車中深い眠りに付ながら復路、東京に向う
前の座席の方、旅枕(首掛け枕?)で、ぐっすり~お休み・・・!!
車に揺れると案外お腹が空く。
寸又峡で買い求めたオニギリ。
程よい塩加減に奇妙なホンワカとした味。
いま考えると、粒々は≪ムカゴ=やまいもの実≫であろうと、思った。
家での反省会
縄 「まあまあ~のバスハイクだった。車中11時間はネェ・・・・・・・」
Y夫 「あそこは1箔・・・・よ。万歩クラブデで行った時は、
キン・キロウ事件(ふじみや旅館)の起きた旅館に泊まり、
SLに乗車(車内で昼食)でゆったりした旅でした」
縄 「葛ハイは、バス専用で、できうる場所は日帰りで、経費節減・・・・・・・・・・」
Y夫 「せっかくいくのだから・・・・・・、ゆったり旅をしなくては・・・・」
縄 「予定通り、紅葉ヨシ、夢のつり橋→高度恐怖症、怖い思いもした、ヨカヨカ」
風呂に入り、一日の疲れをとった。
コメ欄は締めています。
江戸時代・・そこは時代劇撮影現場風景
デジブックで!!
☆ もう一度 行きたや峡の 奈良井宿
すばらしい町並みでした。
伝統工芸(木曽漆器)職人の町
潜り戸
冬至そば(11/7)・・・はじめてききました
この先の鳥居峠を越えてきました
奈良井宿観光協会資料から
二階を少しせり出した出梁(だしばり)造り、入口にはめられた大戸、
そして日常の出入りにつかう潜り戸、入口の横のしとみ戸、二階の手すりの真黒くすすけて
落ち着いた格子、
その両脇につけられた白漆喰の袖うだつ、各部にさりげなくそえられた彫物、
これらはすべて奈良井に残された宿場の建築です。
そして、長くのびた軒の小屋根((庇(ひさし))をおさえた猿頭(さるがしら)と呼ばれるサン木は格子やしとみ戸とよく調和して
他においてはみられない深い味わいをかもし出しています。
デジブック
『中山道・奈良井宿』
鳥居峠を駆け下りると
そこは江戸時代にタイムトンネル奈良井宿
旧中山道でも、妻籠と並ぶ大きな宿場。
千軒立ち並ぶといわれ、街中を歩くと映画の世界、撮影現場にいるような錯覚に陥る。
表通りを、足早に駆け抜けた。
もう一度訪れて、ジックリ見たい奈良井宿。
鳥居峠を下りて、奈良井宿が近い
峠を振り返りながら奈良井宿に向かう、足取り軽い
鎮 神 社
鎮(しずめ)神社は、経津主命(ふつぬしのみこと)を祀り、
中山道奈良井宿はずれにある宿の鎮守である。
「神社由緒書」によれば、寿永から文治(十二世紀後期)のころ中原兼造が鳥居峠に建立したと伝えている。
疫病流行を鎮めるため下総国香取神社を勧請したことから
鎮(しずめ)神社と呼ばれるようになったという。
鳥居峠ですげ笠をかぶった旅人に出会った。
日曜日とて、多くの観光客が訪れていた。
☆ 握り飯 唐松落ち葉 パラパラと
石畳に栃の葉・モミジが積もる
鳥居峠(木曽路)を越えた
中山道の藪原宿と奈良井宿を結ぶ峠路
木曽路のなかで最も標高の高い位置にある宿場町・薮原宿と、
「鳥居峠」をはさみ、奈良井宿を結ぶルート。
江戸時代、中山道木曽路最大の難所とされた峠は、標高1197m、
現在は信濃路自然歩道中山道ルートとして石畳の道も復元され、昔ながらの中山道を堪能することができた。
かつては、美濃国と信濃国の境であったこともあるこの峠は、
およそ1300年前に完成したものを考えられ。
明応年間(1492~1500)、松本の小笠原氏との戦いで木曾義元がこの頂上に鳥居を立て、
御嶽権現に戦勝を祈願したことから「鳥居峠」と呼ばれるようになった。
俳人、文人の碑も残されている。
コースガイド
藪原宿(消防署横)⇒ 丸山公園⇒ 御岳神社(御岳遙拝所)⇒ 鳥居峠⇒ 中の茶屋⇒ 奈良井宿
鳥居峠を越えました。
赤丸・出発点⇒鳥居峠⇒到着 赤丸・奈良井宿
出発10時、秋の人影が長い
元気で完歩してねと!カラマツの黄色に染め抜いた木々が、見送ってくれました
夜来の風で落ち葉(みどりの葉デ、で青々としていた)で一杯の石畳
栃の葉
木祖路はトチやホウの木が多い
芭蕉の句碑
☆ 「木曽の栃うき世の人の土産かな」 芭蕉
鳥居峠は如何にトチの木が多いのかが良くわかります。
木曽路鳥居峠の土産は[栃の実]でした。
面影を残す石垣
落ち葉を踏み締めて、石畳を行く葛ハイの人たち。
氷の張りつめた峠路もありました。
デジブック
『木曽路・鳥居峠越え』
50枚ほど時間のある方は見てね!
郷愁を誘う建物
黒い下見板に白壁・・・。
自宅からおよそ5分ほど歩くと有る。広い屋敷で・・・農家
故郷の納屋がちょうどこんな造りでした。
☆ 佇まい なるい日差しに 白と黒
コメ蘭は〆ております
入浴そしてバイキング 満腹!!
よい旅、よい風呂、よい天気、
1、ハイキング終了 11,30
2、ホテル到着
3、温泉入浴、1時間
(大浴場・野天風呂・硫黄泉・木漏れ日の湯)
4、お昼のバイキング、 1時間30分
5、帰路へ
14時30分、ホテル出発
サァ~お風呂に入りましょう・・・・・・
疲れを知らない、ハイキング教室の面々、みなさん元気
野天風呂
木漏れ日の湯 (風呂の画像はホテルHPから)
ひと風呂浴びて しばしの時間・・・那須岳を眺める
歓談を愉しむ
ホテル全景
旅は天候に恵まれることが何よりのご馳走です。
区役所の補助?で格安の旅ができました。
天気よし、頃よし、企画よし
満喫しました。
デジブック
『那須平成の森⇒昼食』
イタリヤ料理をバイキングで愉しみました。