山村修氏は、1950(昭和25)年、東京生まれ。
慶応義塾大学仏文科卒。匿名書評家〈狐〉として知られる。
2006(平成8)年8月。肺ガンで逝去。
中野翠さんの文を引用すると「1981年に〈狐〉の名で『日刊ゲンダイ』の書評コラムを書き始めて以来の四半世紀にわたる文筆家としての彼の足跡」ということになります。思えばちくま文庫「水曜日は狐の書評」の解説のなかで植田康夫氏が、2003年の「八月以降は、筆者の健康上の理由でコラムは休載となっている」と指摘しておりました。
そう思えば、山村修著「禁煙の愉しみ」(洋泉社)が1998(平成10)年に出版。
亡くなる年の2006年に、ちくま新書「〈狐〉が選んだ入門書」が7月10日出版。
その「あとがきにかえて」のなかに「私は――身体的な事情があって、昨日(2006年3月31日)付で早期退職をしたばかりですが――、すでに人生の半分以上を、あたりまえの職場ではたらく、あたりまえのサラリーマンとして暮らしてきました。あたりまえのサラリーマンとは忙しいものです。」とありました。
檜書店「花のほかには松ばかり」が8月10日に出版。
翌年になって、文春新書「書評家〈狐〉の読書遺産」が2007(平成19)年1月20日に出ます。その新書の最後には、中野翠さんの「さようなら〈狐〉」という文が載っておりました。中野さんの文は「文学界」2006年10月号からの転載とあります。その文中の最後のほうにこうありました。2006年の「8月14日。〈狐〉兄からの電話でその死を知った。肺ガンの治療も順調で、勤め先を辞めて本格的に文筆活動に入り、『〈狐〉が選んだ入門書』と『花のほかには松ばかり』があいついで出版されたばかりだったが・・」とありました。ここで翠さんは『花のほかには松ばかり』について書いております。「読みながら何度も思った。山村さんは一言で言うなら、『深く味わう人』なんだな。生きることの中心が味わうということにある人なんだな。深く味わう力を培ったのは、たぶん死に対する強くて敏感な感受性なのだろう、と。」。
私はといったら、『〈狐〉が選んだ入門書』のことを思っているのでした。その『はじめに』は、こう書き出されております。「入門書こそ究極の読みものである――。あるときふと、そう思いはじめました。このごろはそれが確信にまで高まり、人に会うたびに吹聴してみるのです・・・」
『あとがきにかえて』では
「ふしぎに自由でうれしい時間です。それを私は、とりわけ入門書を読むときに感じます。そこにはいつもと異なる未踏の世界が見える。日々の仕事からは思いもしない視角があらわれる。だからこそ、すぐれた入門書は読者を夢中にさせる。それは、ただあたらしいことを勉強して知識をふやすというのとは、ちがうような気がします。たとえば菊畑茂久馬の『絵かきが語る近代美術』を読み・・私は魂のふるえるのをおぼえました。・・」
この「魂のふるえる」という言葉は、肺ガン治療中に書き留めた出来事だったのだろうなあ、と思ったりするのでした。ところで、この山村修著「〈狐〉が選んだ入門書」をどう位置づければよいのか?私はここに「〈狐〉の学校」があるのだと指摘したいと思うのです。誰でも出入り自由。思いついたときに入って講義録でも読む気持ちで向かい会える新書「〈狐〉の学校」。え~と。「めだかの学校」じゃありませんよ。「〈狐〉の学校」です。
慶応義塾大学仏文科卒。匿名書評家〈狐〉として知られる。
2006(平成8)年8月。肺ガンで逝去。
中野翠さんの文を引用すると「1981年に〈狐〉の名で『日刊ゲンダイ』の書評コラムを書き始めて以来の四半世紀にわたる文筆家としての彼の足跡」ということになります。思えばちくま文庫「水曜日は狐の書評」の解説のなかで植田康夫氏が、2003年の「八月以降は、筆者の健康上の理由でコラムは休載となっている」と指摘しておりました。
そう思えば、山村修著「禁煙の愉しみ」(洋泉社)が1998(平成10)年に出版。
亡くなる年の2006年に、ちくま新書「〈狐〉が選んだ入門書」が7月10日出版。
その「あとがきにかえて」のなかに「私は――身体的な事情があって、昨日(2006年3月31日)付で早期退職をしたばかりですが――、すでに人生の半分以上を、あたりまえの職場ではたらく、あたりまえのサラリーマンとして暮らしてきました。あたりまえのサラリーマンとは忙しいものです。」とありました。
檜書店「花のほかには松ばかり」が8月10日に出版。
翌年になって、文春新書「書評家〈狐〉の読書遺産」が2007(平成19)年1月20日に出ます。その新書の最後には、中野翠さんの「さようなら〈狐〉」という文が載っておりました。中野さんの文は「文学界」2006年10月号からの転載とあります。その文中の最後のほうにこうありました。2006年の「8月14日。〈狐〉兄からの電話でその死を知った。肺ガンの治療も順調で、勤め先を辞めて本格的に文筆活動に入り、『〈狐〉が選んだ入門書』と『花のほかには松ばかり』があいついで出版されたばかりだったが・・」とありました。ここで翠さんは『花のほかには松ばかり』について書いております。「読みながら何度も思った。山村さんは一言で言うなら、『深く味わう人』なんだな。生きることの中心が味わうということにある人なんだな。深く味わう力を培ったのは、たぶん死に対する強くて敏感な感受性なのだろう、と。」。
私はといったら、『〈狐〉が選んだ入門書』のことを思っているのでした。その『はじめに』は、こう書き出されております。「入門書こそ究極の読みものである――。あるときふと、そう思いはじめました。このごろはそれが確信にまで高まり、人に会うたびに吹聴してみるのです・・・」
『あとがきにかえて』では
「ふしぎに自由でうれしい時間です。それを私は、とりわけ入門書を読むときに感じます。そこにはいつもと異なる未踏の世界が見える。日々の仕事からは思いもしない視角があらわれる。だからこそ、すぐれた入門書は読者を夢中にさせる。それは、ただあたらしいことを勉強して知識をふやすというのとは、ちがうような気がします。たとえば菊畑茂久馬の『絵かきが語る近代美術』を読み・・私は魂のふるえるのをおぼえました。・・」
この「魂のふるえる」という言葉は、肺ガン治療中に書き留めた出来事だったのだろうなあ、と思ったりするのでした。ところで、この山村修著「〈狐〉が選んだ入門書」をどう位置づければよいのか?私はここに「〈狐〉の学校」があるのだと指摘したいと思うのです。誰でも出入り自由。思いついたときに入って講義録でも読む気持ちで向かい会える新書「〈狐〉の学校」。え~と。「めだかの学校」じゃありませんよ。「〈狐〉の学校」です。