和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

司馬・隼雄。

2008-02-07 | Weblog
司馬遼太郎と河合隼雄との対談があったかなあ。
と思っていたら、河合隼雄「日本人の心」(潮出版社)という対談集に入っておりました。そのあとがきに河合氏は書いております。
「このなかで司馬さんは故人になられた。亡くなられる少し前の対談だったが、そんなことは思いもよらないことだった。私は勝手に司馬さんとは話が合わないのではないかと思っていたので、実際にお会いしてそれがまったく誤解だったとわかり嬉しかった。これならこれからもときどきお会いして、と思ったのだが、これが最初にして最後のものになった。」(p243)

お二人のことが結びついて思われたのは、
上田篤著「庭と日本人」(新潮新書)を読んでいるときでした。
それでなのか、庭という言葉が出てくると興味をもちます。
お二人の対談でも、なにげなく最初の方に庭が登場しておりました。

【司馬】湯川秀樹さんは、日本の庭園は世界一だというほど、大変日本の庭園がお好きでした。私も同じくらい好きですが・・・・  (p92)


それはそれとして、そういえば、宗教について

【司馬】私の家の宗旨は浄土真宗です・・・(p103)

とありました。対談では河合隼雄さんの家の宗旨は語られていないので、ちょいと興味をもちました。河合さんの追悼文などを読んでいる時に、あるいは「泣き虫ハァちゃん」の紹介文を読んでいる時だったか、河合隼雄著「未来への記憶」(上下・岩波新書)への言及がありました。ああ、この新書はまだ読んでいなかったと思い出しまして、(下)から読んでみました。ユング研究所のことがわかりやすく(話し言葉です)語られておりまして、大変参考になります。そして(上)を読み始めたら、こんな箇所がありました。


「家の宗教は仏教で、うちは浄土宗です。私の父親はわりと近代的で、むしろ無宗教に近い。ともかく形式的なことが嫌いでした。ただ仏事をやることはやります、それなりに。もちろん墓参りもします。しかし父親の里の庄屋のところへは父親は行きませんでした。お盆はかならず墓参りに行くのですが、かならずぼくらに行ってくれといって、それで母親と子どもたちが行った。父親はいやだったんでしょうね。・・・・」
などと続きます。里の庄屋とは、いざこざがあったとうように書かれております。

この新書「未来への記憶」は素敵ですよ。話し言葉が魅力です。
何で読まなかったのだろうと、読まず嫌いを恥じます。

他にも書かれていることですが、あらためて印象深かった「詩」について言及されて箇所を、ちょいと引用しておきます。それは、ユング研究所での資格論文を書く際に、日本の神話で書こうと思い始めてからでした。


「・・・急にケレーニイが『あなたは詩を書くか』と言うんです。ぼくは詩ってのはどうも読むのも苦手なほうなので、『詩はぜんぜんわかりません』と正直に答えました。そうしたら、『文献はあまり読まなくてよろしい。日本の神話を繰り返し繰り返し読みなさい。何度も何度も読んでいたら、あなたの心に自然に詩が生れてくる。それを書いたら、それが最高の論文である』とケレーニイが言ったのです。それでぼくは『詩は書けないけれど、まあ、がんばってやります』てなことを答えて、それで別れたのです。・・・ケレーニイのいろいろな著作は完全にそういうふうにできているんです。だから文献学的には批判されますね。しかし、ケレーニイは自分の詩を書いているわけです。そう考えたら、ケレーニイの文章はようわかります。あれはなんともいえんものですよね。」(p135~134)

ケレーニイの文章がどのようなものかも分からないのですが、詩を書くことの前の段階というのは、こうなんだとは分かるような気がしてくるじゃありませんか。

そういえば、司馬さんも同じようにして文章を書いていたのじゃないか、などと、あらためて思うわけなんです。

コメント
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