河合隼雄著「泣き虫ハァちゃん」(新潮社)。
この本には、いろいろな木々がありました。
「ハァちゃんの住んでいる篠山町は実に竹薮が多い。『篠山通れば、笹ばかり。猪芋喰て、ホイホイ』という民謡があるくらいだ。」(p98)
「柿にはいろいろ種類があるが、クボ柿が一番普通の柿だ。その他に、富有(ふゆう)とか、いろいろとある。どれもハァちゃんの家にあって、秋にとって食べるのが楽しみなのだが、クボ柿は安物でたくさんある。そして、そのなかに、ときどき、しぶ柿があるのだ。」(p23)
「校門を出て左へ少し行くと、お城の入口がある。入口を通り抜け、大書院の横の杉の木立のなかに先生は入ってゆかれた。」(p127)
「ヘコキムシとクソジの歌に笑い転げながら、一行は最初の目当てのくぬぎの木に近づいていった。ここは城山家の大切な狩場だ。」(p69)
「何だか泣き虫の自分が嫌いでなくなったような気持になって、ハァちゃんは庭を眺めた。庭にはお父さんの自慢の五葉(ごよう)の松が、悠々とそびえていた。『僕もそのうちに五葉の松に上れるようになれるかも』とハァちゃんは思った。」(p17)
そして、はからずも、この本の最後は、こう終わっておりました。
「しかし、ハァちゃんは冬が去って春が来つつあるのを感じとっていた。『鶯でも鳴くんとちゃうやろか』。そんな晴れやかな気持ちで庭の景色を眺めていた。」(p182)
亡くなると、葬儀で親しい坊さんがお経をあげてくれるように、この最後の本に、詩人が詩を添えられておりました。そこには、こんな箇所がありました。
・・・・・・
空からも木からも人からも
眼を逸らすとき
あなたが来てくれる
・・・・・・
あなたの魂の吹く笛に誘われて
ふたたび私は取り戻す
空に憧れ木と親しみ人を信ずることを
・・・・・・
この本「泣き虫ハァちゃん」の続きを読みたいと思われた方には、
河合隼雄著「未来への記憶 自伝の試み」上下(岩波新書)をおすすめいたします。その新書は、語りでして、私には昭和版「福翁自伝」としてもお薦めしたいくらいの魅力ある語り口に出会えます。こちらにハァちゃんのそれからが、もう語られておりました。 そういえば、谷川俊太郎氏の追悼詩「来てくれる 河合隼雄さんに」の最後の2行にも、その岩波新書を、ほのめかす言葉がはめこまれておりました。
私たちの記憶の未来へと
あなたは来てくれる
この本には、いろいろな木々がありました。
「ハァちゃんの住んでいる篠山町は実に竹薮が多い。『篠山通れば、笹ばかり。猪芋喰て、ホイホイ』という民謡があるくらいだ。」(p98)
「柿にはいろいろ種類があるが、クボ柿が一番普通の柿だ。その他に、富有(ふゆう)とか、いろいろとある。どれもハァちゃんの家にあって、秋にとって食べるのが楽しみなのだが、クボ柿は安物でたくさんある。そして、そのなかに、ときどき、しぶ柿があるのだ。」(p23)
「校門を出て左へ少し行くと、お城の入口がある。入口を通り抜け、大書院の横の杉の木立のなかに先生は入ってゆかれた。」(p127)
「ヘコキムシとクソジの歌に笑い転げながら、一行は最初の目当てのくぬぎの木に近づいていった。ここは城山家の大切な狩場だ。」(p69)
「何だか泣き虫の自分が嫌いでなくなったような気持になって、ハァちゃんは庭を眺めた。庭にはお父さんの自慢の五葉(ごよう)の松が、悠々とそびえていた。『僕もそのうちに五葉の松に上れるようになれるかも』とハァちゃんは思った。」(p17)
そして、はからずも、この本の最後は、こう終わっておりました。
「しかし、ハァちゃんは冬が去って春が来つつあるのを感じとっていた。『鶯でも鳴くんとちゃうやろか』。そんな晴れやかな気持ちで庭の景色を眺めていた。」(p182)
亡くなると、葬儀で親しい坊さんがお経をあげてくれるように、この最後の本に、詩人が詩を添えられておりました。そこには、こんな箇所がありました。
・・・・・・
空からも木からも人からも
眼を逸らすとき
あなたが来てくれる
・・・・・・
あなたの魂の吹く笛に誘われて
ふたたび私は取り戻す
空に憧れ木と親しみ人を信ずることを
・・・・・・
この本「泣き虫ハァちゃん」の続きを読みたいと思われた方には、
河合隼雄著「未来への記憶 自伝の試み」上下(岩波新書)をおすすめいたします。その新書は、語りでして、私には昭和版「福翁自伝」としてもお薦めしたいくらいの魅力ある語り口に出会えます。こちらにハァちゃんのそれからが、もう語られておりました。 そういえば、谷川俊太郎氏の追悼詩「来てくれる 河合隼雄さんに」の最後の2行にも、その岩波新書を、ほのめかす言葉がはめこまれておりました。
私たちの記憶の未来へと
あなたは来てくれる