和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

参列する。

2008-02-27 | Weblog
杉山平一著「窓開けて」(編集工房ノア)に司馬遼太郎と題する短文があります。
「司馬遼太郎さんが急逝され、送る会が大阪のロイヤルホテルで催された。」と始まります。「その日、このホテルの二階一階を埋め尽した人々の八割は男性だった。それも軽い若者は少なく、壮年が多く、その重圧感は圧倒的だった。明治国家を生きた男たちの勇気やプライドやすがすがしさを描いた司馬文学にはげまされて此処に集う男たちが、また国家を支えているような感じがした。司馬さんの文学は、幸田露伴以来、わが国に珍しい男性の文学だったが、著作の発行部数は一億に近づいているという。」
こうもありました。
「東京新聞の『大波小波』は往年の鋭さのないコラムになっているが、司馬遼太郎への鋭い一文が目についた。そこでは司馬の凄さを評価したあと『しかし、それは文学ではない』といっていた。それは『ストーリーは文学ではない』という正論をいおうとしたのか、純喫茶などの呼称を喜ぶ我が国の風俗が生んだ純文学という立場の表明かもしれないが、私は司馬遼太郎は詩人の魂と文体をもつ秀れた文学者だったと思う。」


そういえば、司馬遼太郎著「以下、無用のことながら」(文芸春秋・文庫も)には、意外と弔辞などが多く含まれて編まれていたなあ、と思い浮かべたのでした。その「以下、無用のことながら」に「井伏さんのこと」という文が取り上げられていたのを思い浮かべたというわけです。
それはこう始まります。
「私は大阪に住んでいるため、いつまで経っても、日本の首都の地理がわからない。・・一点くっきりしているのは、青山斎場なのである。ここで、幾人かの先輩の死を送るはめになった。斎場には、簡素な平屋建ての控え室がある。・・・いつもこの部屋に入りこんでいた。かぞえると、三度になる。三度とも、井伏さんがおられた。三度目には、井伏さんのほうがたまりかね、微妙に体をよじらせて、『あなたとは、いつもここで会いますね』といわれた。斎場の控え室でだけ会う男などというと、私も井伏文学の登場人物になったような気がしないでもない。」こうしてはじまる9頁ほどの文章です。

鶴見俊輔著「らんだむ・りいだあ」(潮出版)のはじまりは、こんな言葉からでした。「京都の岩倉から大阪の箕面まで、ずいぶんある。早く出たつもりだったが、葬式ははじまっており、私よりさらにおくれて、年輩の女の人がついた。その人は待たれていたらしく、お寺の門の前に立っていた人にだきかかえられるようにして、本堂に入っていった。お寺の庭はいっぱいだったが、私にとっては知り人はいなかった。やがて拡声器から、詩を読む声が流れてきた。せきこんだような、つっかけをはいて先をいそいで歩いてゆくような速さで、

   いつかあの世であったら
   あなたも私も、女の詩人として
   せいいっぱいのことをしたのだと
   肩をたたきあってわらいたい

私のおぼえているままを記すと、そういうふうにつづいた。それは、私がそれまでにきいたことのない詩の読まれかたで、私の心をみたした。港野喜代子さんの葬儀だった。・・・・」


そういえば、司馬遼太郎著「古往今来(こおうこんらい)」(中公文庫)に「人中の花」と題する港野喜代子さんへの追悼文がありました。文庫版のあとがきに、司馬さんはこんなふうな書き込みをしておりました。
「私は、幸いこの世に生きている。生きていることが幸せなのではなく、よき人に接しうることが至福だとおもっている。よき人というのは親鸞が『歎異抄』のなかで法然についていっていることばで、これも袋の大きいことばである。この集でいえばよき人は桑原武夫氏のように、十分、不世出と言いうる知的大器量人だけでなく、港野喜代子さんのように街の無名人の場合もある。・・・」


杉山平一著「窓開けて」を読んでいて面白いのは、その桑原武夫氏のことも出てくるからでした。
「桑原さんの葬儀は、京都黒谷の総本山金戒光明寺で行われた。広大な境内に圧倒されたが、幅ひろい一代の学者、組織者だけに、参列者は、その境内を埋め尽くしていた。・・・」
そしてこんな箇所もありました。
「桑原さんの三好達治との交情が、どんなに深いものかは、『詩人の手紙』一巻にあふれているが・・・仲之島公園の三好達治碑の建立や、三好記念館はもとより、三好さんの福井三国への流寓中も、桑原さんは汽車を乗りついで訪ねてこられた。同じ学友丸山薫への思いも厚く、豊橋の詩碑はもとより、山形県岩根沢小学校の丸山薫の詩碑や、記念会にも遠路をものともせず来られ、友情を縷々と語られた。・・いつも丸山薫や、三好達治を語る関西弁のざっくばらんの悪口が、親愛の情にあふれて、仲のよさは、うらやましいほどだった。」


ここでの杉山平一氏は「私が参列したのは、三好達治、丸山薫につらなる『四季』同人としてである。桑原さんは、『四季』の最も古い同人として、アランの翻訳を創刊号から発表されていた。」と縁を語っておりました。


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2008-02-27 | Weblog
昨日。藤井貞和著「古典の読み方」(講談社学術文庫)を読みおえました。うん。よかった。
山村修著「〈狐〉が選んだ入門書」(ちくま新書)にて取り上げられていた本の一冊でした。
この山村修さんの新書は2006年に出ております。新書は私の本棚で、そのまま埃をかぶっていたことになります。あらためて、そこに紹介されている入門書のテキストとともに、居住まいを正して、ゆっくりと新書を読み直してみたいと、思います。山村さんは藤井貞和のこの入門書を語るにあたって「続・藤井貞和詩集」(現代詩文庫)に出てくる印象深いエピソードをもってきておりました。そしてこう書き込んでおります。「そんなエピソードを読んで、私も『不意に』この著者のファンになりました。」(p57)とあります。
気になるので、この現代詩文庫もネットの古本屋に注文しておきました。
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