夏目漱石の「坊っちゃん」を誰に薦められたか?
というような、質問はいかがでしょう。
サンタクロースは毎年来ることになっておりますが、
なあに、子供の頃だけだとか。
いいや、一生に一度。心に残る贈り物を届けるサンタ。
さ~て、「坊っちゃん」はどなたが選んでくれましたか?
ただし、一度だけでいいんです。これ面白いよ、と、ひと言。
あなた、そんな風に「坊っちゃん」を薦められたことがある?
谷沢永一著「名作の書き出しを諳(そら)んじる」(幻冬舎)というのが出てました。とりたてて、買うように薦める本じゃないのですが(笑)。谷沢さんがその諳んじる最初をどなたから始めていたか。というと、夏目漱石でした。「吾輩は猫である」「坊っちゃん」「草枕」の書き出しを一頭最初にもってきておりました。そこに興味をもったというわけです。
今ね。私は河合隼雄著「未来への記憶」(岩波新書)をたのしく読んでいるところなんです。あんまり愉しいと、読み終えるのがもったいないと思うタイプなので、損することも多いのですが、この本もそういうたぐいの本でした。まるで、昭和版「福翁自伝」とでもいいたいような気分で酔いしれながら、その語り口を味わっております。
それはそうと、その上巻に「坊っちゃん」がふいに出てきます。
「中学校に入ったのは1941(昭和16)年のことです。そのとき、一番上の仁(ひとし)という兄貴が新潟医大の学生でしたが、『中学校に入ったらそろそろ岩波文庫ぐらい読んでもいいんじゃないか』というんで本を送ってきたのです。それが『坊っちゃん』とコナン・ドイルの『シャーロック・ホームズの冒険』。当時のぼくは、岩波文庫というたらもうむちゃくちゃに難しい本やと思っていたのですね、つまり大人が読むものだと。ところが、読んだら二つともものすごく面白いでしょう。『なんや、こんな面白いものがあんのに読まなかったら損や』と、そういうふうに思ったのです。・・・それで、そんなに喜ぶんだったらといって『草枕』とか『吾輩は猫である』とか送ってくるのですよ。一番上の仁兄は本がほんとうに好きやったんです。母親が『あの子は本にカネをよく使う』と言って、誇らしいけど、ちょっと嘆いておったのを覚えています。それで、『吾輩は猫である』なんて大好きになった。ぼくは好きになったらもういちいち覚えているぐらいほんとに好きでね、わからんところもたくさんあるんですけどね。話はちょっととびますけど、あとで神戸工業専門学校というところへ入るのですが、そこで会った友だちで『吾輩は猫である』が好きなやつがおったんですよ。そいつと『吾輩は猫である』の話を何度したかわからんですわ。そいつもよく覚えているんです。・・・」(p35~36)
以前、このブログで池部良さんの「坊っちゃん」体験を引用したことがありました。そこでは浪人中の池部さんに、いとこが慰問を兼ねて『坊っちゃん』をもってきてくれるのでした。『是非読みたまえ。落語みたいな文章だから良ちゃんだって楽に読めると愚考するな』といって渡されたのでした。
そうそう。谷沢永一さんの先に引用した本では、「坊っちゃん」の出だしを引用したあとの解説をこうしめくくっておりました。「すべては落語の語法で畳みかけるのですから、興味津々で身を乗り出して聞くに値するでしょう。」(p15)
こうして本が多いご時世ですが、
その混雑にまぎれて、『坊っちゃん』を薦められないとしたら、人生が味気ないばかり。ひょっとして、あたたに『坊っちゃん』を薦めたサンタさんはおられましたか。あるいは、あなたが『坊っちゃん』を渡すサンタさんになったことありましたか?
ということで、今回は『坊っちゃん』推進協議会のまわし者みたいなことになりました(笑)。
というような、質問はいかがでしょう。
サンタクロースは毎年来ることになっておりますが、
なあに、子供の頃だけだとか。
いいや、一生に一度。心に残る贈り物を届けるサンタ。
さ~て、「坊っちゃん」はどなたが選んでくれましたか?
ただし、一度だけでいいんです。これ面白いよ、と、ひと言。
あなた、そんな風に「坊っちゃん」を薦められたことがある?
谷沢永一著「名作の書き出しを諳(そら)んじる」(幻冬舎)というのが出てました。とりたてて、買うように薦める本じゃないのですが(笑)。谷沢さんがその諳んじる最初をどなたから始めていたか。というと、夏目漱石でした。「吾輩は猫である」「坊っちゃん」「草枕」の書き出しを一頭最初にもってきておりました。そこに興味をもったというわけです。
今ね。私は河合隼雄著「未来への記憶」(岩波新書)をたのしく読んでいるところなんです。あんまり愉しいと、読み終えるのがもったいないと思うタイプなので、損することも多いのですが、この本もそういうたぐいの本でした。まるで、昭和版「福翁自伝」とでもいいたいような気分で酔いしれながら、その語り口を味わっております。
それはそうと、その上巻に「坊っちゃん」がふいに出てきます。
「中学校に入ったのは1941(昭和16)年のことです。そのとき、一番上の仁(ひとし)という兄貴が新潟医大の学生でしたが、『中学校に入ったらそろそろ岩波文庫ぐらい読んでもいいんじゃないか』というんで本を送ってきたのです。それが『坊っちゃん』とコナン・ドイルの『シャーロック・ホームズの冒険』。当時のぼくは、岩波文庫というたらもうむちゃくちゃに難しい本やと思っていたのですね、つまり大人が読むものだと。ところが、読んだら二つともものすごく面白いでしょう。『なんや、こんな面白いものがあんのに読まなかったら損や』と、そういうふうに思ったのです。・・・それで、そんなに喜ぶんだったらといって『草枕』とか『吾輩は猫である』とか送ってくるのですよ。一番上の仁兄は本がほんとうに好きやったんです。母親が『あの子は本にカネをよく使う』と言って、誇らしいけど、ちょっと嘆いておったのを覚えています。それで、『吾輩は猫である』なんて大好きになった。ぼくは好きになったらもういちいち覚えているぐらいほんとに好きでね、わからんところもたくさんあるんですけどね。話はちょっととびますけど、あとで神戸工業専門学校というところへ入るのですが、そこで会った友だちで『吾輩は猫である』が好きなやつがおったんですよ。そいつと『吾輩は猫である』の話を何度したかわからんですわ。そいつもよく覚えているんです。・・・」(p35~36)
以前、このブログで池部良さんの「坊っちゃん」体験を引用したことがありました。そこでは浪人中の池部さんに、いとこが慰問を兼ねて『坊っちゃん』をもってきてくれるのでした。『是非読みたまえ。落語みたいな文章だから良ちゃんだって楽に読めると愚考するな』といって渡されたのでした。
そうそう。谷沢永一さんの先に引用した本では、「坊っちゃん」の出だしを引用したあとの解説をこうしめくくっておりました。「すべては落語の語法で畳みかけるのですから、興味津々で身を乗り出して聞くに値するでしょう。」(p15)
こうして本が多いご時世ですが、
その混雑にまぎれて、『坊っちゃん』を薦められないとしたら、人生が味気ないばかり。ひょっとして、あたたに『坊っちゃん』を薦めたサンタさんはおられましたか。あるいは、あなたが『坊っちゃん』を渡すサンタさんになったことありましたか?
ということで、今回は『坊っちゃん』推進協議会のまわし者みたいなことになりました(笑)。