和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

僕は、読み屋。

2008-02-09 | Weblog
2008年2月8日読売新聞に川村二郎さん死去の記事がありました。
「文藝評論家、本紙読書委員 80歳」とあります。1928年名古屋市生まれ。文化欄には鵜飼哲夫氏による追悼文が掲載されておりました。その追悼文が鮮やかな印象を残すので、ここに引用しておこうと思います。

「本紙読書委員会で、作品を評する時は、寸鉄人を刺す表現で語った。しかし、ただの毒舌家ではなかった。『味のない素うどんを食べているみたい』。独特なユーモアが漂い、委員たちの笑いを誘った。故人となった同時通訳者の米原万里さん、作家の川上弘美さんをはじめ、多くの学者、記者は委員会終了後に、好きな日本酒を傾ける川村さんから話のつづきを聞くことを楽しみにしていた。その宴はいつも、日付が変わり、午前1時過ぎまで続いた。・・・・『僕は、読み屋ですから』。それが信条だった。陸軍軍人だった父の転勤に従い、学校を転々とした。そして17歳で終戦。」

「本紙読書委員歴は長い。1993年からは、ずっと委員をお願いしてきた。その原稿は、いつも締め切り前に速達で届き、ほとんど直しはなかった。電話で問い合わせると、『5行目の点は取ってください』などと即答した。書いた原稿は、すみずみまで覚えていた。今月はじめに電話で、ある小説について評価を聞いた。すると、『その作品については、別のところで悪く言っているから、ほめる訳にはいきません。二枚舌は嫌ですから』。最後に聞いたのは、いかにも川村さんらしい背筋が伸びた言葉だった。・・・」


それにしても、独特のユーモアといえば、『僕は、読み屋ですから』というのがいいですね。これも日本酒を傾けながら語られたのでしょうか。周囲の笑い声が、いまにも聞こえてきそうな気がします。

笑い声といえば、同じ文化欄に「読売文学賞の人」という特集があり、その日は岡部桂一郎(92)さんが写真入で紹介されておりました。詩歌俳句賞を「歌集『竹叢(たかむら)』で受賞されたようです。その紹介文のなかで最初に引用されていた歌は

 森ぬらし二月の雨のふるときに幼な子泣くなみかん きんかん


きんかんが、枝もたわわになっている二月です。
ちょうどよいので、この岡部桂一郎氏の紹介文も引用しておきましょう。
待田晋哉という署名がある紹介文で、始まりは「70年の歌歴を持ちながら歌集はわずか5冊。結社にもほとんど属したことがない。卒寿を超えた孤高の歌人が、大きな賞を射止めた。」
そして紹介文の最後の箇所を引用しておきます。
「『竹叢』には、こんな歌が収められている。【定型は人をきびしくするものか しばらく思う 甘えさすもの】『(短歌の)定型はいやらしい。人間を甘えさせ、なぁなぁにする。リズムを作るのが得意な人は、すぐに上手な歌ができてしまう。その先に一歩進まなくちゃあいけない』98年に急性心不全で倒れて以来、介護保険の要介護3~4を行き来する生活を送る。その人が短歌人生を凝縮したこの一首について聞いた瞬間、生気を取り戻し、持論を語り始めた。」
コメント
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