この頃、首が痛く感じるのでした。
椅子に腰掛けて、背もたれにすぐもたれかかるから、変に首に負担がくるのかなあと、そんな自己判断をしてみるのでした。浅く腰掛けて、背もたれにたよらずに、背筋を伸ばす。それができれば、すこしは首のすわりがよくなり、らくになるかもと思ったりします。
そういえば、茨木のり子の詩に「倚りかからず」というのがありましたね。
最後はこうでした。
倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ
私といったら、倚りかかってばかりで、首が疲れる。
こりゃ、背筋をのばして姿勢をよくして、寒い時期でもさっそうと。
などと、思うだけは思うのでした。
そういえば、杉山平一著「詩と映画と人生」(なにわ塾叢書)に
三好達治に言及しているところがありました。
「じつは、三好さんは陸軍士官学校に入られて軍人になろうとされたわけです。その辺のことについてはいろんな説がありますが、士官学校を途中で脱走して北海道で捕まったようで、そのために退学になって、改めて第三高等学校に入っておられます。友人には二・二六事件に連座した少壮将校もいたようですが、脱走した理由は、辞めたいのに辞められなかったからだということらしいです。本当のところはよく分かりませんけれども、そういう経歴の持ち主だけに、背筋をピーンと伸ばして、ちょっと甲高い声で『はいっ』『そうです』というようなピシッとした口調で話をされる人でした。」(p103)
茨木のり子さんへの追悼文で、2006年2月21日「編集手帳」の最後が忘れられません。「ぴんと背筋の伸びた日本語の使い手で『戦後現代詩の長女』とも評された茨木さんが79歳で死去した。詩集をひらき、心の海を照らしてくれた灯台の、凜とした光をしのぶ。」
花神ブックス1「茨木のり子」(花神社)に、「茨木のり子アルバム」という写真が何ページかにわたって載っております。そこに詩のグループで招待したのでしょうか三好達治と茨木のり子さんたちの詩の仲間たちが、揃っている写真がありまして、三好さんの隣に茨木さんが座っており、印象に残ります。
さてっと。杉山平一著「詩と映画と人生」のなかに、三好さんから話を聞いたことが出てきます。「・・・もう帰り際だったと思いますが、詩というのはリーベへの、愛人への手紙なんだと。これが詩の一番純粋な形だと言われました。じつは、三好さんには恋愛詩というのはほとんどありませんけれども、詩というものをそのように考えられていたようです。そもそも三好達治という方は非常にストイックだったので、そういう詩は恥ずかしくて作れなかったのではないかと思います。・・・・なぜか現代詩には恋愛詩は少ないんです。それに比べて、一時、神戸新聞の詩の選者をしていたときに気づいたことですが、一般の人たちが作る詩の中には非常に恋愛詩が多いです。心には思っているけど言えないとか、失恋したときの気持ちとか、そういう作品が多いのが特徴的です。プロの詩人は恋愛詩をあまり作りませんけれども、やはり詩の原点には、愛する人への呼び掛けというようなものがあるのではないかという気もします。しかし、当時の私にはそういう恋愛の経験がなかったものですから、三好さんにそう言われて、やっぱり自分には詩が書けないのかなあと、ちょっと心配しながら三好さんのお宅を辞しました。」(p101~102)
茨木のり子の詩集「歳月」(花神社)に椅子という題の詩がありました。
椅子 茨木のり子
――あれが ほしいーー
子供のようにせがまれて
ずいぶん無理して買ったスェーデンの椅子
ようやくめぐりあえた坐りごこちのいい椅子
よろこんだのも束の間
たった三月坐ったきりで
あなたは旅立ってしまった
あわただしく
別の世界へ
――あの椅子にもあんまり坐らないでしまったな――
病室にそんな切ない言葉を残して
わたくしの嘆きを坐らせるためになら
こんな上等の椅子はいらなかったのに
ひとり
ひぐらしを聴いたり
しんしんとふりつむ雪の音に
耳かたむけたりしながら
月日は流れ
今のわずかな慰めは
あなたが欲しいというものは
一度も否と言わずにきたこと
そして どこかで
これよりも更にしっくりしたいい椅子を
見つけられたらしい
ということ
詩集「歳月」のあとがきは、こうはじまっておりました。
「『歳月』は、詩人茨木のり子が最愛の夫・三浦安信への想いを綴った詩集である。伯母は夫に先立たれた1975年5月以降、31年の長い歳月の間に40篇近い詩を書き溜めていたが、それらの詩は自分が生きている間には公表したくなかったようである。何故生きている間に新しい詩集として出版しないのか以前尋ねたことがあるが、一種のラブレターのようなものなので、ちょっと照れくさいのだという答えであった。そして伯母はその詳細について多くを語ることなく、2006年2月17日、突然伯父の元へと旅立ってしまった。・・・・・」
さて、私の首の痛いのも背筋を伸ばしていれば、治るでしょうか。
三好達治や茨木のり子の詩を思いながら、
やわな背筋を、少しはのばしていこうと思います。
椅子に腰掛けて、背もたれにすぐもたれかかるから、変に首に負担がくるのかなあと、そんな自己判断をしてみるのでした。浅く腰掛けて、背もたれにたよらずに、背筋を伸ばす。それができれば、すこしは首のすわりがよくなり、らくになるかもと思ったりします。
そういえば、茨木のり子の詩に「倚りかからず」というのがありましたね。
最後はこうでした。
倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ
私といったら、倚りかかってばかりで、首が疲れる。
こりゃ、背筋をのばして姿勢をよくして、寒い時期でもさっそうと。
などと、思うだけは思うのでした。
そういえば、杉山平一著「詩と映画と人生」(なにわ塾叢書)に
三好達治に言及しているところがありました。
「じつは、三好さんは陸軍士官学校に入られて軍人になろうとされたわけです。その辺のことについてはいろんな説がありますが、士官学校を途中で脱走して北海道で捕まったようで、そのために退学になって、改めて第三高等学校に入っておられます。友人には二・二六事件に連座した少壮将校もいたようですが、脱走した理由は、辞めたいのに辞められなかったからだということらしいです。本当のところはよく分かりませんけれども、そういう経歴の持ち主だけに、背筋をピーンと伸ばして、ちょっと甲高い声で『はいっ』『そうです』というようなピシッとした口調で話をされる人でした。」(p103)
茨木のり子さんへの追悼文で、2006年2月21日「編集手帳」の最後が忘れられません。「ぴんと背筋の伸びた日本語の使い手で『戦後現代詩の長女』とも評された茨木さんが79歳で死去した。詩集をひらき、心の海を照らしてくれた灯台の、凜とした光をしのぶ。」
花神ブックス1「茨木のり子」(花神社)に、「茨木のり子アルバム」という写真が何ページかにわたって載っております。そこに詩のグループで招待したのでしょうか三好達治と茨木のり子さんたちの詩の仲間たちが、揃っている写真がありまして、三好さんの隣に茨木さんが座っており、印象に残ります。
さてっと。杉山平一著「詩と映画と人生」のなかに、三好さんから話を聞いたことが出てきます。「・・・もう帰り際だったと思いますが、詩というのはリーベへの、愛人への手紙なんだと。これが詩の一番純粋な形だと言われました。じつは、三好さんには恋愛詩というのはほとんどありませんけれども、詩というものをそのように考えられていたようです。そもそも三好達治という方は非常にストイックだったので、そういう詩は恥ずかしくて作れなかったのではないかと思います。・・・・なぜか現代詩には恋愛詩は少ないんです。それに比べて、一時、神戸新聞の詩の選者をしていたときに気づいたことですが、一般の人たちが作る詩の中には非常に恋愛詩が多いです。心には思っているけど言えないとか、失恋したときの気持ちとか、そういう作品が多いのが特徴的です。プロの詩人は恋愛詩をあまり作りませんけれども、やはり詩の原点には、愛する人への呼び掛けというようなものがあるのではないかという気もします。しかし、当時の私にはそういう恋愛の経験がなかったものですから、三好さんにそう言われて、やっぱり自分には詩が書けないのかなあと、ちょっと心配しながら三好さんのお宅を辞しました。」(p101~102)
茨木のり子の詩集「歳月」(花神社)に椅子という題の詩がありました。
椅子 茨木のり子
――あれが ほしいーー
子供のようにせがまれて
ずいぶん無理して買ったスェーデンの椅子
ようやくめぐりあえた坐りごこちのいい椅子
よろこんだのも束の間
たった三月坐ったきりで
あなたは旅立ってしまった
あわただしく
別の世界へ
――あの椅子にもあんまり坐らないでしまったな――
病室にそんな切ない言葉を残して
わたくしの嘆きを坐らせるためになら
こんな上等の椅子はいらなかったのに
ひとり
ひぐらしを聴いたり
しんしんとふりつむ雪の音に
耳かたむけたりしながら
月日は流れ
今のわずかな慰めは
あなたが欲しいというものは
一度も否と言わずにきたこと
そして どこかで
これよりも更にしっくりしたいい椅子を
見つけられたらしい
ということ
詩集「歳月」のあとがきは、こうはじまっておりました。
「『歳月』は、詩人茨木のり子が最愛の夫・三浦安信への想いを綴った詩集である。伯母は夫に先立たれた1975年5月以降、31年の長い歳月の間に40篇近い詩を書き溜めていたが、それらの詩は自分が生きている間には公表したくなかったようである。何故生きている間に新しい詩集として出版しないのか以前尋ねたことがあるが、一種のラブレターのようなものなので、ちょっと照れくさいのだという答えであった。そして伯母はその詳細について多くを語ることなく、2006年2月17日、突然伯父の元へと旅立ってしまった。・・・・・」
さて、私の首の痛いのも背筋を伸ばしていれば、治るでしょうか。
三好達治や茨木のり子の詩を思いながら、
やわな背筋を、少しはのばしていこうと思います。