「阿久悠のいた時代 戦後歌謡曲史」(柏書房)の編集後記で齋藤愼爾が書いた言葉が気になりました。
「吉本(隆明)氏はかつて橋川文三氏との往復書簡で、『明治とは明治十年代までを指すということ』という橋川氏の提言に対して、『これを延長すれば、昭和というのは十年代までで、それ以降は昭和ではない何ものかへの過程であるのかもしれません』と返信している。阿久悠、久世光彦氏が語る【昭和】は、幻景の昭和、現実の歴史である以上に失われたヴィジョンとしての【昭和】であった。そのヴィジョンを楯に、『昭和ではない何ものかへの過程』をひた歩む歴史に異議申し立てをした凜列たる生涯。歌はときに時代に先んじ、時代の根源につくものだということが、氏の作品に触れると諒解される。・・・」
ここまで読んだら、
「久世光彦の世界」(柏書房)での齋藤愼爾・久世光彦対談「詩歌の潮流」を思い浮かべました。その中にある箇所です。
【齋藤】歳時記など、ときどきひもときますか。
【久世】・・よく見るのは高浜虚子の「改訂・新歳時記」昭和15年版なんですよ。・・おやじが使ったものだから、テープや何かでいろいろ補強してあるんだけれど、もうボロボロ。それをいちばん見ますね。
・・・・・・・
【齋藤】いちばん郷愁を持って語る時代は昭和十年から二十五、六年ですか。
【久世】そうですねえ。エッセイは違いますが、小説とかテレビドラマはだいたい昭和十年代に限られていると言っていいくらい、非常に偏狭です。それほど確かな考えがあってではないけれど、やっていると幸福なんです。いまはもうどの家庭でも見られないようなものが何でもなく当たり前みたいにあるという茶の間の絵を撮っていると落ち着くんです。縁側を撮るのが好きなんです。
【齋藤】縁側じたいが、だんだんなくなってきていますね。僕の知っている俳人は久世さんのテレビの演出を見ると俳句的だと言うんです。・・・
(p214~215)
どういうわけか。縁側と昭和十年代とが結びつきました。
「吉本(隆明)氏はかつて橋川文三氏との往復書簡で、『明治とは明治十年代までを指すということ』という橋川氏の提言に対して、『これを延長すれば、昭和というのは十年代までで、それ以降は昭和ではない何ものかへの過程であるのかもしれません』と返信している。阿久悠、久世光彦氏が語る【昭和】は、幻景の昭和、現実の歴史である以上に失われたヴィジョンとしての【昭和】であった。そのヴィジョンを楯に、『昭和ではない何ものかへの過程』をひた歩む歴史に異議申し立てをした凜列たる生涯。歌はときに時代に先んじ、時代の根源につくものだということが、氏の作品に触れると諒解される。・・・」
ここまで読んだら、
「久世光彦の世界」(柏書房)での齋藤愼爾・久世光彦対談「詩歌の潮流」を思い浮かべました。その中にある箇所です。
【齋藤】歳時記など、ときどきひもときますか。
【久世】・・よく見るのは高浜虚子の「改訂・新歳時記」昭和15年版なんですよ。・・おやじが使ったものだから、テープや何かでいろいろ補強してあるんだけれど、もうボロボロ。それをいちばん見ますね。
・・・・・・・
【齋藤】いちばん郷愁を持って語る時代は昭和十年から二十五、六年ですか。
【久世】そうですねえ。エッセイは違いますが、小説とかテレビドラマはだいたい昭和十年代に限られていると言っていいくらい、非常に偏狭です。それほど確かな考えがあってではないけれど、やっていると幸福なんです。いまはもうどの家庭でも見られないようなものが何でもなく当たり前みたいにあるという茶の間の絵を撮っていると落ち着くんです。縁側を撮るのが好きなんです。
【齋藤】縁側じたいが、だんだんなくなってきていますね。僕の知っている俳人は久世さんのテレビの演出を見ると俳句的だと言うんです。・・・
(p214~215)
どういうわけか。縁側と昭和十年代とが結びつきました。