久世光彦氏は対談で「縁側を撮るのが好きなんです」と語っておりました。
縁側といえば、上田篤著「庭と日本人」(新潮新書)の「はじめに」は
こう始まるのでした。
「ある年の暮の寒い日のこと、一人のアメリカの友人を京都の寺に案内した。大徳寺や龍安寺などのいくつかの寺をみたあとの帰りの道すがら・・わたしに質問してきた。『日本人は、仏さまより庭が好き?』『なぜ』と、問うわたしに、『だって、たいていの日本人は寺にきてちょっとだけ仏さまを拝むが、あとは縁側にすわって庭ばかり見ている・・・』」
この質問をスタートラインにして。新潮新書「庭と日本人」は、まるで堰を切ったように語られてゆくのでした。
縁側といえば、上田篤著「庭と日本人」(新潮新書)の「はじめに」は
こう始まるのでした。
「ある年の暮の寒い日のこと、一人のアメリカの友人を京都の寺に案内した。大徳寺や龍安寺などのいくつかの寺をみたあとの帰りの道すがら・・わたしに質問してきた。『日本人は、仏さまより庭が好き?』『なぜ』と、問うわたしに、『だって、たいていの日本人は寺にきてちょっとだけ仏さまを拝むが、あとは縁側にすわって庭ばかり見ている・・・』」
この質問をスタートラインにして。新潮新書「庭と日本人」は、まるで堰を切ったように語られてゆくのでした。