「実際の行動によって高齢社会の常識はつぎつぎと覆っている。老いはいまや個性の時代に入ってきている。」(p38)
小高賢著「老いの歌」(岩波新書)にある言葉。
「あとがき」より、引用してみます。
「すでに私の親はこの世を去ってしまったが、
多くの老いが周辺にいる。私自身もその仲間
に入りつつある。誰にも到来するこの新しい
時間をどう考えたらいいのだろうか。意外に
長いかもしれない。しかも幸せばかりではない
かもしれない。できたら充実した老いでありたい。
多くの人の感じることだと思う。
自分のながく手掛けている短歌ではどうだろうか。
そんなことを考えはじめてから大分たつ。
そこにいままでないおもしろさ、豊かさが
生まれていないだろうか。
老いという境遇が加わることによって、
短歌作品の何かが変貌していないだろうか。」
うん。
この着眼点は魅力的(笑)。
ちなみに、
小高賢氏は1944年東京生まれ。
著書に本名の鷲尾賢也の名で
「編集とはどのような仕事なのか」
(トランスビュー)というのがあるらしい。
さっそく、ネット古書店へ注文を
することに。
小高賢著「老いの歌」(岩波新書)にある言葉。
「あとがき」より、引用してみます。
「すでに私の親はこの世を去ってしまったが、
多くの老いが周辺にいる。私自身もその仲間
に入りつつある。誰にも到来するこの新しい
時間をどう考えたらいいのだろうか。意外に
長いかもしれない。しかも幸せばかりではない
かもしれない。できたら充実した老いでありたい。
多くの人の感じることだと思う。
自分のながく手掛けている短歌ではどうだろうか。
そんなことを考えはじめてから大分たつ。
そこにいままでないおもしろさ、豊かさが
生まれていないだろうか。
老いという境遇が加わることによって、
短歌作品の何かが変貌していないだろうか。」
うん。
この着眼点は魅力的(笑)。
ちなみに、
小高賢氏は1944年東京生まれ。
著書に本名の鷲尾賢也の名で
「編集とはどのような仕事なのか」
(トランスビュー)というのがあるらしい。
さっそく、ネット古書店へ注文を
することに。