和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

それ以後の「天声人語」は。

2014-07-04 | 短文紹介
萩尾望都対談集
「愛するあなた*恋するわたし」(河出書房新社)
の庵野秀明との対談に

庵野】 ・・・・うちの親も、
今はぼくの仕事に反対していません。
朝日新聞に出たり、NHKに出れば親は安心します。
(p129)

ちなみに、この対談は2000年1月1日の雑誌に掲載されたもの。


外山滋比古著「国語は好きですか」(大修館書店)には
「散文」と題する文に、こんな箇所がありました。


「戦後の国語教育で、散文に力を入れた人は
わずかだったが、模範文体を見つけるのに
苦労したようである。結局、新聞の文章を
手本にすることになった。一般記事は
やや特殊であるから、朝刊第一頁下にある
『天声人語』『余禄』『編集手帳』などが
テクストのようになった。・・・・
不思議なことがある。
国語の教育に熱心な先生は、
まわりから尊敬され、ときに有名になるけれども、
その先生に習ったために、国語が好きになり、
やがて国語の先生になるという生徒がすくない
のである。・・・」(p155)


そういえば、国語の先生では、
意外に『天声人語』には、こだわりが
あるのかもしれません。

ちなみに、
坪内祐三著「考える人」(新潮社)の
深代惇郎の箇所に
一読忘れがたい文があります。
うん。以前にも引用したのですが、
幸い、すぐに本がみつかったので、
引用しておきます。

「今の中学、高校の国語(現代国語)の
授業方針はどうなっているのか知りませんが、
当時、私の中学、高校生時代には、国語力を
つけるために『天声人語』を読むことが奨励され
ていました。例えば夏休みには、毎日の
『天声人語』についての二、三百字程度の要約が
課題(宿題ではなく課題だったと思います)で
出されました。私が『天声人語』を熱心に
読むようになったのは、そういう教育方針に
導かれてのことだと思います。(私の家では、
当時、朝日、読売、日経、サンケイ、サンスポ
の五紙を講読し、それまで私が一番熱心に
読んでいたのはサンスポでした)。
それがたまたま深代惇郎に当っていたのですから
(そのこと、筆者が誰であるかということに、
当時の私は、もちろん、無自覚でした――
つまりあくまで匿名コラムとして愛読していたのです)。
それはとても幸福なことでした。
しかし、その結果、『天声人語』イコール
深代惇郎レベルの文章という印象が体に深く
しみついてしまったのは不幸なことでした。
それ以後の『天声人語』はろくなものじゃない。」
(p125)

はい。
「ろくなものじゃない」に、私も同意。
コメント
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