和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

セウォル号事件。

2014-07-22 | 短文紹介
室谷克実著「ディス・イズ・コリア」(産経セレクト)を読む。

あれこれと、
新聞ではわからなかった事件の経緯が読める。

「遭難直後の最大の問題は、『危険ですから、
部屋の中で静かにしていてください』と
呼び掛けた船内放送だった。放送は何度も
繰り返されたという。この放送をしたのは、
船内食堂の女性従業員(死亡)だった。
一般乗客の多くは、この放送を無視して、
早い段階で甲板に出た。それで助かった。
が、大部屋にいた高校生の多くは、
この放送に従った。船が大きく傾くと、
部屋から出られないまま犠牲になった。
船舶で事故が起きたら、救命胴衣を着けて
甲板に出る――なぜ鉄則とは逆の船内放送
が流され続けたのか、当初は謎だった。
その後の検察・警察の合同捜査本部の
調べで、船長の指示だったことが分かった。
・・・・」(p87)

これが、第5章にあり、
つぎの、第6章は、こうはじまります。

「船体が傾いた後、高校生たちは
留まっていた船室でどうしていたのだろうか。
携帯電話で親に連絡をした生徒がずいぶんいた。
記録として残っているのはメールだ。
公開されたメールもある。
中には添付した写真も公開されている。
1枚の写真は、45度傾いたデッキの底の部分で、
バランスを取って垂直に立つ男子生徒の姿が
写っている。その顔には笑いがあり、
悲壮感は全く感じ取れない。
間もなく船は横倒しになり、浸水し
沈没するとは考えてもいなかったのだろう。」

うん。このすぐあとに
「先逃(せんとう)した船長」の2010年の
インタビューに答えた言葉が引用されているので
そこもつづけます。

「『われわれ乗務員の指示にだけ従って行動すれ
ば(船は)どの交通手段より安全だ』とは、
先逃した船長が2010年に放送局のインタビューに
答えた言葉だ。『中央日報』(14年4月23日)が
伝えた。それによると、船長は04年には
済州島で発行されている地方紙のインタビューに
も応じて、こんなことを述べている。
『沖縄近海で原木船が転覆し、(私は)日本の
自衛隊ヘリに救出された・・・・それで、
もう船に乗らないと思う人はずるい。・・・
私は今日も明日も船と(行動を)共にする』
『職業上、緊張を緩める暇がない。・・・
危険がいつも存在するから常に緊張しながら
暮らさなければならないが、それでこそ
雑念が消え、むしろ今の生活に満足するのだ』

韓国人は総じて能弁だ。何しろ幼い時から、
自己主張を明確にするよう鍛えられているから。
言葉だけ聞いていたら、この船長のように、
とっても格好いい男性が多い。
ただ、代々続いてきた『幼い時からの自己主張』
教育の帰結こそ、現代韓国の【声闘文化】では
ないかと、私は考えている。
日本のテレビのトーク番組に出てくる韓国人、
在日韓国人が、相手の主張を遮るように
大声を上げ、巧みに論点をすり替えていく、
あのテクニックこそ【声闘文化】の本質だ。
・・・・」(p102~103)

まだ、つづいてゆくのですが、
具体的な指摘は、読むほどに理解を助け、
現地の生の声を、丁寧につたえてくれて、
日本の新聞ではうかがい知れない
内容に分け入っているのでした。

うん。そういえば、
古田博司氏の本に
「醜いが、目をそらすな、隣国・韓国!」
と題名の本がありました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする