小高賢の2冊。
「老いの歌」(岩波新書)
「編集とはどのような仕事なのか」(トランスビュー)
2冊目をひらくと、
こんな箇所。
「書店だけでなく読者の読む力が弱くなっている。」
というのは、「編集から見た販売・流通・宣伝」にある言葉。
文脈とは別にしても、
「読者の読む力が弱くなっている」というのは、
一読印象深いなあ。つづく文はというと
「『良書でござい』とあぐらをかいていてすむ時代ではない。どうにかしてともかく買ってもらう。そうすればその中の何割かは読むだろう。そのためには読者に本の存在を知ってもらわなければならない。読書空間、読書環境が激変しているからよけい、編集者のフットワークが要求されるのである。」(p175)
うん。どうにかして買いましょう。
ってな気になります(笑)。
「老いの歌」をひらくと、
気になったのが、参考文献にある
読者歌壇(日本農業新聞)。
機会があれば、覗いてみたい。
本文に引用されている短歌が
鮮やかに感じられる。
起き抜けにひと仕事して飯うまし
今そのことを『朝活(あさかつ)』だって
( 毛涯潤 )
腰曲げて朝の畑より帰りくる
吾を待ちおり宵待草は
( 青木栄子 )
八十三歳告げども鍬を振る
弾む想ひは人には告げず
( 川本恵美子 )
こうして14首引用したあとの
小高賢氏の文には、こうあります。
「播種から収穫まで、作物を育てることの
楽しさ。それが労働意欲を高めるのではないか。」(p65)
「もうひとつ付け加えれば、自由度の高い労働現場だということも挙げられるだろう。つまり自分のスタイルで働けることだ。・・現代社会が高齢者を包含できないのは、一定の枠を設け、そのなかで、効率を重視し、スピードを競わせるからである。必然的に、適合できない老いは排除されてしまう。・・・そのとき農業がもっている自由度の高い働き方は、老いの時間を豊かにするのではないか。」(p65~66)
「老いの歌」(岩波新書)
「編集とはどのような仕事なのか」(トランスビュー)
2冊目をひらくと、
こんな箇所。
「書店だけでなく読者の読む力が弱くなっている。」
というのは、「編集から見た販売・流通・宣伝」にある言葉。
文脈とは別にしても、
「読者の読む力が弱くなっている」というのは、
一読印象深いなあ。つづく文はというと
「『良書でござい』とあぐらをかいていてすむ時代ではない。どうにかしてともかく買ってもらう。そうすればその中の何割かは読むだろう。そのためには読者に本の存在を知ってもらわなければならない。読書空間、読書環境が激変しているからよけい、編集者のフットワークが要求されるのである。」(p175)
うん。どうにかして買いましょう。
ってな気になります(笑)。
「老いの歌」をひらくと、
気になったのが、参考文献にある
読者歌壇(日本農業新聞)。
機会があれば、覗いてみたい。
本文に引用されている短歌が
鮮やかに感じられる。
起き抜けにひと仕事して飯うまし
今そのことを『朝活(あさかつ)』だって
( 毛涯潤 )
腰曲げて朝の畑より帰りくる
吾を待ちおり宵待草は
( 青木栄子 )
八十三歳告げども鍬を振る
弾む想ひは人には告げず
( 川本恵美子 )
こうして14首引用したあとの
小高賢氏の文には、こうあります。
「播種から収穫まで、作物を育てることの
楽しさ。それが労働意欲を高めるのではないか。」(p65)
「もうひとつ付け加えれば、自由度の高い労働現場だということも挙げられるだろう。つまり自分のスタイルで働けることだ。・・現代社会が高齢者を包含できないのは、一定の枠を設け、そのなかで、効率を重視し、スピードを競わせるからである。必然的に、適合できない老いは排除されてしまう。・・・そのとき農業がもっている自由度の高い働き方は、老いの時間を豊かにするのではないか。」(p65~66)