和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

あらまほしきは先達です。

2014-07-07 | 短文紹介
平川祐弘著「ダンテ『神曲』講義」(河出書房新社)を
つい、腰を据えてから読もうと思っていたら、
ついつい、そのままになっておりました(笑)。

第4回「地獄の門」の講義のはじまりで、平川氏は
こう語りだすのでした。

「すると彼は歩きだした。そして私は彼の後ろに従った。
  (地1歌134行)
 
 こうしてダンテはウェルギリウス先生について出発します。あらまほしきは先達(せんだつ)です。わたしはフィレンツェでもペルージャでもさまざまな先生を先達として・・を習いました。私もこの『神曲』講義で非力(ひりき)ながら先達を勤めさせていただきますが、この先はたしていつまで、どこまで案内できるかわかりません。みなさんもいつまでついてくるかわかりません。しかしともかく行ける限り説明を続けさせていただきます。」(p78)

第8回には

「皆さまはずいぶん注意深い読者として、私の『神曲』講義についてきてくださいました。皆さまが良い聴衆だからこそ私も丁寧に準備してお話し申しているのです。・・」(p170)


そうそう、「まえがき」には
こうあったのです。

「私は青年時代を長くパリで過ごしたせいか、サロンの教養ある男女に明晰に述べる語り方・・を尊んできた。それで話の準備に手を抜くことはなかった。ただ聴衆に小学校・中学校・高等学校以来の知己がまじったことも手伝って、昔の思いでもいろいろ語った。というか、いわゆる脱線もした。それは息抜きというより、おおむね学問批判などの具体的な話である。『神曲』読書にまつわるパーソナル・タッチもあってよいのではないか、いやむしろ必要なのではないか、と考え、学者としての身上話も意図的にまじえた次第である。」(p16)

「今回の書物は『神曲』の流れにそって印象深い場面を網羅的に説明してある。・・・きわめて現代的にわかりやすく面白い学術的な大冊となっているのではないか、とひそかに自負している。カルチャー・センターでの講義の語り言葉を残したのはそのためである。書き言葉に改めず、意図的に教室での口調を保存した。テープを付録につけずとも私の声は伝わるであろう。ただし私の常として、文章は整理してあり、推敲してある。・・・・衒学者の手からダンテをふりほどいて、ダンテを吾が友とし、『神曲』の楽しみを分かちあっていただきたい。・・」(p17~18)



「講義録」というと、思い浮かぶのは
森銑三・柴田宵曲著「書物」(岩波文庫)に
あるこの箇所でした。

「・・国家的にも優秀な講義録の類を発行して、それらの恵まれざる少年に自修の便宜を与えることなども考慮せられるべきではなかろうか。・・・各自が自発的に自己を養って行かれるだけの基礎を作らしむべきである。・・」(p120)


うん。大人のための『優秀な講義録の類』が、
ここにありますよ。
と、まだ半分も読んでいない癖して
嬉しい手応えを感じております(笑)。


コメント
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