和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

60年前の危機の所在。

2014-07-18 | 短文紹介
小川榮太郎著「最後の勝機(チャンス)」(PHP)に六十年前の小泉信三氏の言葉が引用されております。

その引用箇所を孫引き。

「安全保障は一体誰に対するものであるか。
安全を脅すものは誰れであるか。
言葉は色々に飾ることができる。
しかし、むき出しに言えば、簡単である。
共産勢力、即ちソ連、中共または北鮮の侵略に
対し如何にして日本の安全を護るかという
のである。然らば、この共産勢力の侵略は、
あり得べからざることであるか。ごく一部に、
然りというものがあるように見える。
しかしそれは段々に縮小して行く少数者である。
殊に中ソ同盟条約がその条文に、
対抗目標として日本の名を明記し、
北鮮軍が突如韓国軍に襲いかかるという事件が
起って以来、多数日本人は危険の所在を知り、
その憂惧(ゆうぐ)は深刻になった。
もっとも中には、日本が中ソを挑発さえ
しなければ、無防備でも安全だろうかと
心頼みするものもある・・・・
安全保障は必要であるとして、それは
何国の実力によって行われることが
望ましいか。また可能であるか。
ここでも再びむき出しに言えば、
それは米国の実力に頼るより外はない
のである。(略)昨日までの日本を
日本と思って来たものには、自国の安全を
他国の力に頼らねばならぬなどということは、
実に言うに忍びぬ恥しい次第であるが、
今はそれをいってはいられない。」
(「小泉信三全集15巻」文芸春秋、392頁)
p173~174


このあとに、小川榮太郎氏は
こう書いておりました。

「ソ連が消えて危機の中核が中共となり、
中ソ同盟条約がなくなつて、寧ろ頼りの
筈のアメリカと中国の接近に憂慮
しなければならない。そうした所与の
条件を入れ替へれば、小泉の60年前の
言葉は今にそのまま通用します。
感心するよりも寧ろうんざりだ。
今でも小泉(信三)のこのやうな
常識論が依然として保守論壇の
専売特許のまま、国論として
一向に深まらない。その上、
議論を深める代りにプロパガンダに努める
リベラル左翼の体質も、この頃と今と全く変らない。」(p174)
コメント
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