和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

恋人は福沢諭吉である。

2015-03-13 | 古典
伊藤正雄著「忘れ得ぬ国文学者たち」(右文書院)
の最後に、余録として「わがささやかなる研究歴と
著作歴」という文が掲載されております。

そこから、福沢諭吉が出てくる箇所を引用。

「所詮、近世文学は私の戦前の恋人であり、
終戦を機として、その恋はいたく醒めた。
戦後における新しい恋人は福沢諭吉である。
そうしてその関係は今も続いている。
転向の主な原因は二つあった。
一つは、学生時代以来二十余年間、コツコツと
蓄えた蔵書・資料を戦災で灰燼としたことである。
将来も前と同じ研究を続けるとすれば、
自然死児の齢を数えるような妄執に苛まれなければ
ならぬ。その煩悩を忘れるためには、どうしても
河岸を変える必要があった。
もう一つは、いうまでもなく社会情勢の変化である。
未曽有の敗戦による国土の荒廃と人心の混迷とは、
私をして旧来のいわゆる『国文学』の世界に
晏如たり得ぬものを感ぜしめた。明治以来数十年に
わたって蓄積した国力と国威とを一挙に失い
尽した日本は、あたかも一世紀昔の極東の弱小国に
逆転した観がある。この祖国の回復には、明治初年
の啓蒙思想家、わけても福沢諭吉が抱いたような
広い世界的視野に立った愛国心の自覚が何よりも
肝要である。いかなる大国の威圧にも屈せぬ
自主独立の気風を国民の間に培わなければならぬ。
私が福沢諭吉の研究と福沢精神の普及とを志す
に至った最大の動機は、そこにあったといえよう。」
(p387)

これに関する箇所として
伊藤正雄著「近世日本文学管見」(昭和38年)
にある著者略歴。

足立巻一著「人の世やちまた」(編集工房ノア)
の「拝藤教授・伊藤正雄先生」。

伊藤正雄著「引かれ者の小唄」(春秋社)の
「一身にして二生を経るが如し」。

と並べると、
新しい恋人の意味が、
よりよく理解できて、
興味深かった(笑)。
コメント
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