伊藤正雄著「福沢諭吉―警世の文学精神」
(春秋社)から引用。
「石河幹明が大正版『福沢全集』の最後に
付記した『福沢先生の文章』という一文などは、
その面目を躍如たらしめる。
『・・・・・さて文章に就て先生の教訓は、
文を書き終ったならば、二度三度は勿論、
五度も六度も読み返す可し、読み返す度ごとに
必ず余計の辞を発見する。之を発見したならば
思ひ切って割愛削除す可し、初学の文章には勿論、
辞の乏しくして言ひ廻はしの足らぬ所はあるが、
夫れよりも重複余計なる文句の多いのが通弊なれば、
思ひ切って之を削り、勉めて簡潔にすることに
心掛けねばならぬとて、大抵の文は一たび先生の
眼を経れば、墨くろぐろと塗抹さるるのが常である。』」
(p230~231)
今日は彼岸明け。
晴れのよい天気ですが、寒く感じます。
うん。文を書かなければ、
削除することもない、
というのも寂しいなあ(笑)。
(春秋社)から引用。
「石河幹明が大正版『福沢全集』の最後に
付記した『福沢先生の文章』という一文などは、
その面目を躍如たらしめる。
『・・・・・さて文章に就て先生の教訓は、
文を書き終ったならば、二度三度は勿論、
五度も六度も読み返す可し、読み返す度ごとに
必ず余計の辞を発見する。之を発見したならば
思ひ切って割愛削除す可し、初学の文章には勿論、
辞の乏しくして言ひ廻はしの足らぬ所はあるが、
夫れよりも重複余計なる文句の多いのが通弊なれば、
思ひ切って之を削り、勉めて簡潔にすることに
心掛けねばならぬとて、大抵の文は一たび先生の
眼を経れば、墨くろぐろと塗抹さるるのが常である。』」
(p230~231)
今日は彼岸明け。
晴れのよい天気ですが、寒く感じます。
うん。文を書かなければ、
削除することもない、
というのも寂しいなあ(笑)。