古本で「四季 終刊 丸山薫追悼号」(昭和50)を購入。
古本屋さんは
永楽屋(愛知県尾張市吉岡町)
700円+送料450円=1150円でした。
追悼文が並ぶ405頁。
中身がつまった一冊です。
さてっと、
それとは別に(笑)。
ここでは、
丸山薫の詩「ランプのように」をとりあげます。
どこから始めましょう。
「無着成恭の詩の授業」(太郎次郎社)という
古本も同時に注文して、それも届きました。
無着成恭氏の本の「あとがき」は
「この本は、わたしにとって『山びこ学校』、
『続山びこ学校』につづく、いわば第三の実践記録です。」
とはじまっております。
その詩の授業の中に、
丸山薫の詩『ランプのように』がとりあげられております。
詩をかかげたあとに
「この詩をとりあげた理由として、授業案には、
『この詩は五十歳をすぎた一人の男性が五十年間
照らしつづけてくれた母親と、
二十年間愛しつづけてくれた妻に対して、
しみじみとした気持ちで『ありがとう』と
いっている詩である。
そのような感情が・・・現代の子どもにわかるかどうか
ーーーいや、やっぱりわからせてやる必要があるのだーーー
という気持ちがわたしにはあってとりあげることにした。
・・・・」(p216)
ランプのように 丸山薫
生涯 僕を愛した人
これからも僕を愛そうとする人
母と
妻
母の愛は五十年間 僕を照らし
三年前に燃えつきた
僕のこころの片側には陰影(かげ)が出来て
陰影の中で 僕は泣いた
妻は二十年の歳月 僕を愛し
なおたゆみなく愛そうとする
たぶん 彼女は僕よりも永く生きて
ひとり耀(かがや)くだろう
主なき部屋の
ランプのように
この詩による無着氏の授業の
生徒とのやりとりが紹介されておりました。
その最後に、こんな場面が登場しておりました。
「さて、この『ランプのように』の勉強を
わずか一時間だけしてから一か月もたったある日、
増田美穂が、
『先生、『ランプのように』の感想文、読んで』
ともってきた。」(p235)
あれ、そういえば、
以前購入してあった古本に
丸山三四子著「マネキン・ガール 詩人の妻の昭和史」
というのがあったなあ、と本棚から出してくる。
その「あとがき」はこうはじまっておりました。
「薫が亡くなりまして、ちょうど十年。
一瞬とも感じられる月日でしたが、
松の茂る山を背にした陋屋に独りおりますと、
ふと薫の声に目醒める夜もございます。
こうしたときの慰めは、
薫が残しました作品に触れることでございます。
過ぎし日々が、作品とともによみがえり、
懐かしい歌のように胸の裡をみたしてくれるのです。」
(p255・時事通信社・昭和59年)
古本屋さんは
永楽屋(愛知県尾張市吉岡町)
700円+送料450円=1150円でした。
追悼文が並ぶ405頁。
中身がつまった一冊です。
さてっと、
それとは別に(笑)。
ここでは、
丸山薫の詩「ランプのように」をとりあげます。
どこから始めましょう。
「無着成恭の詩の授業」(太郎次郎社)という
古本も同時に注文して、それも届きました。
無着成恭氏の本の「あとがき」は
「この本は、わたしにとって『山びこ学校』、
『続山びこ学校』につづく、いわば第三の実践記録です。」
とはじまっております。
その詩の授業の中に、
丸山薫の詩『ランプのように』がとりあげられております。
詩をかかげたあとに
「この詩をとりあげた理由として、授業案には、
『この詩は五十歳をすぎた一人の男性が五十年間
照らしつづけてくれた母親と、
二十年間愛しつづけてくれた妻に対して、
しみじみとした気持ちで『ありがとう』と
いっている詩である。
そのような感情が・・・現代の子どもにわかるかどうか
ーーーいや、やっぱりわからせてやる必要があるのだーーー
という気持ちがわたしにはあってとりあげることにした。
・・・・」(p216)
ランプのように 丸山薫
生涯 僕を愛した人
これからも僕を愛そうとする人
母と
妻
母の愛は五十年間 僕を照らし
三年前に燃えつきた
僕のこころの片側には陰影(かげ)が出来て
陰影の中で 僕は泣いた
妻は二十年の歳月 僕を愛し
なおたゆみなく愛そうとする
たぶん 彼女は僕よりも永く生きて
ひとり耀(かがや)くだろう
主なき部屋の
ランプのように
この詩による無着氏の授業の
生徒とのやりとりが紹介されておりました。
その最後に、こんな場面が登場しておりました。
「さて、この『ランプのように』の勉強を
わずか一時間だけしてから一か月もたったある日、
増田美穂が、
『先生、『ランプのように』の感想文、読んで』
ともってきた。」(p235)
あれ、そういえば、
以前購入してあった古本に
丸山三四子著「マネキン・ガール 詩人の妻の昭和史」
というのがあったなあ、と本棚から出してくる。
その「あとがき」はこうはじまっておりました。
「薫が亡くなりまして、ちょうど十年。
一瞬とも感じられる月日でしたが、
松の茂る山を背にした陋屋に独りおりますと、
ふと薫の声に目醒める夜もございます。
こうしたときの慰めは、
薫が残しました作品に触れることでございます。
過ぎし日々が、作品とともによみがえり、
懐かしい歌のように胸の裡をみたしてくれるのです。」
(p255・時事通信社・昭和59年)