和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

大勢順応主義がなく、流行追随主義がない。

2018-04-05 | 先達たち
ひさびさに、本棚から取り出した
「桑原武夫集」をパラリ。

「桑原武夫集」(岩波書店)は、全10巻。
その10巻目の月報に、こんな箇所。


「・・着想が独創的で、
ほとんど奇想湧くが如くであること。
文において然り、また談において然り、
大勢順応主義がなく、流行追随主義がない。
誰も指摘しなかった問題を、
誰も気づかなかった角度から照し出す
ということがあって、たとえその問題が
天下の大事でなくても、読んで面白く、
聞いて愉しい。
 ・・・・・
奇想は、劇的でなく、感情的でなく、
一本気でなく、一見奇とみえて
実は理路の当然なるものである。
とりのぼせて熱くなった頭を冷やすには、
けだし『桑原武夫集』が、無上の良策だろう。」


はい。文藝春秋が書いていようが、
週刊文春が書いていようが、
週刊新潮が書いていようが、
まして、朝日新聞が書いていようが、
大勢順応主義で、流行追随主義の
マスメディアや、コメンテーターが
どのように語り、報道していようが。

いまこそ試される
『大勢順応主義がなく、
 流行追随主義がない。』

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新学期がはじまり。

2018-04-05 | 短文紹介
入学式が近づき、
もう今日は、始業式でしょうか。

さてっと、
「四季 終刊丸山薫追悼号」
に、落第、留年して新学期をはじめた箇所がありました。
吉村正一郎氏の追悼文で、吉村氏ご本人について語っております。
興味深いので、長くても引用。

「・・わたしは三高入学の念願を果たして、
人並みに新入生の歓びを味わったのだが、
その歓びが薄れるにつれて、日々の学校生活が
何か無意味で味気なく思われ出した。
何のために学校に行くのか。
行かなければならないのか。
いくら考えても納得のいく答えが得られぬ
疑問にとりつかれ、わたしは次第に
虚脱と無力感に陥った。
ノイローゼ症状はだんだんひどくなり、
夏休みが過ぎ九月の新学期がはじまる頃には、
わたしはもう学校に行く気がしなくなり、
そのままずるずると教室に出なくなった。
同じ中学から来たI君が心配して
ときどき訪ねて来て、
教室に出たくなければ仕方がないが、せめて
試験だけでも受けてはと親切に忠告してくれるのだが、
そういわれるとわたしは余計に意固地になり、
反抗期の子供のように妄念にしがみついて離れなかった。

わたしが三高を志望したのはその頃、
両親が京都に住んでいたということよりも、
この学校が自分に一番『適当』だと前々から考えていたからだ。
だから三高そのものが嫌いなはずはなかったが、
わたしは学生生活一般に抽象的観念的に疑問をいだいたのだ。
いま思えば、他愛のない哲学的感傷に過ぎない

ノイローゼは時が癒してくれる。
数カ月後にわたしはどうやら精神のバランスをとり戻し、
学校に戻る気になった。わたしは
憑かれていた得体の知れぬものから解放され、
さっぱりした気分になった。
しかし当然のことながら、
わたしは落第――いまでいう留年になった。

新学期がはじまり、教室に出ると、
知った顔が一人まじっていた。丸山(薫)君だった。
『ああ、君もか!』
わたしは思わず心中で叫びたくなった。
入学した年はわたしは彼をそれほど知らなかったが、
この再会以後、同病相憐れむというのではないが、
わたしたちは急速に親しくなった。

文化丙類(フランス語)の新しいクラスには
丸山君のほかに三好達治、桑原武夫、貝塚茂樹の諸君がいた。
それ以来わたしたちの五十年の交遊がはじまったのである。」
(p29~30)



ちなみに、この時に新入生で入った桑原武夫氏が、
このクラスのことを回想した文があります。

「桑原武夫集10」(岩名書店)にあります。
「半世紀の思い出 吉村正一郎を中心に」(p101~107)。


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