和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

詩というもの。

2018-04-04 | 道しるべ
丸山薫の短文「詩というもの」は、
以前、読んだことがあり、私の好きな文です。

それは、筑摩書房
現代日本文学大系第93巻「現代詩集」の
月報のはじまりに掲載されておりました。
「現代詩集」の本文は、私のほとんど読んだことのない
詩人の詩集から選ばれておりました(笑)。
ちなみに、その編集解説は篠田一士。
(「四季終刊・丸山薫追悼号」に篠田氏の文あり)

さてっと、「現代詩集」の中にズラッと並んだ詩は
その雰囲気に圧倒されて、私は読まずじまい(笑)。
そのかわり、月報の「詩というもの」を
読んだだけでお終いにしておりました。

いま、丸山薫の年譜をひらくと、

昭和47年(1972) 詩集『月渡る』を刊行。
昭和48年 筑摩書房より『現代日本文学大系』第93巻が
      刊行され、『物象詩集』の全編を収録。
昭和49年75歳 10月21日明け方、蝉川の自宅で永眠。

はい。「現代日本文学大系」の月報の文は、
それこそ、丸山薫の最晩年の文なのだと、
今頃になって、気づかされます。

その「詩というもの」から引用させていただきます。


「・・というのも先にも述べたように、
ポエジーの核心に在るものは詩人の
内部を走り抜けた言外の感動だからである。
つまりてんで言葉になり得ないものを
書いているのだから、その『なり得ない』
空洞の部分をそのまま、作者の胸から
読む側の胸へ受け取ってもらうより
ほかに手はないのである。
つまるところあくまで
作者各個から読者各個への共感という、
無言の内部的世界に詩は位置している。
思えばさびしいことだ。・・・」


さてっと、今回この短文を読み直していたら、
そのすぐ前の箇所も、引用したくなりました。


「・・・詩が政党のスローガンでも
組合運動のプラカードの文句でもない以上、
『沖縄を返せ』も『公害追放』『合理化反対』
『賃金値上げ』etcがたとえ現時点での
正しい要求であるにしろ、
その憤りや悲願も詩的感受性ないしは
詩的精神をくぐらさぬかぎりは、
詩の主題とはならない。

マスコミ・ジャーナリズムはとかく
本命以外の活動に眼を着けて、
それを必要以上に高く評価したがる傾向がある。

・・・文芸・美術にわたってそうだが、
ここで詩の世界に限っていえば、
全集の編集委員長になたり、
電波放映、放送に顔を出したり、
詩人団体の役員になったり、
政治デモに参加したりすることで
エライ詩人になる。

そうした仕事や活動がまったく
無意味だというのではない。
どころか無くてはならぬことである
こと言うまでもないけれど、

ただそんなことでそれらの詩人たちを
高く評価するとしたら間違いも甚しい。
詩人の本命はあくまで詩を書くことであり、
行動も作品を生むことでなければならぬ。

シカルニその本命をよそにして、
いや、本命の外側ばかりを飛びまわっている
論議虻(あぶ)のなんと多いことか!

などと雑言めいたことを吐いてみたものの、
論議虻が多いのも無理ならぬことにも思われる。
というのも先にも述べたように、・・・・」


ここから、最初に引用した箇所へと
つながっていきます(笑)。

この「詩というもの」が
丸山薫の最晩年の文だと
わかっただけでも、
私には収穫でした。







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする