谷川徹三対談集「九十にして惑う」(竹井出版・昭和61年)
が古本で安かったので購入。
谷川徹三氏の本は未読。
ですが、詩人の谷川俊太郎のお父さん。
ということは、知っておりました。
略歴をみると
「明治28年愛知県常滑市生まれ。
一高を経て、西田幾太郎を慕い
京都大学哲学科へ進み大正11年卒業
・・・・」
とあります。
その対談のなかに
素野福次郎氏との
「道元『正法眼蔵』の読み方」
と題する対談がありました。
その対談の最後を引用。
谷川】 『正法眼蔵』にチラリとでも触れて欲しいですね。
そうすれば必ず何人かは、あの道元の魅力に打たれるはずです。
『正法眼蔵』が難解だというなら、まず『随聞記』でもいい。
素野】 道元に対する態度、もっと大きくいうなら
宗教とのかかわり方は人さまざまだし、
またそれでいいと思うのです。
しゃちほこばる必要はない。
日々の行動のヒントを得るといったことだって、
いいと思うんです。
谷川】 とにかく手にとって欲しい。
そして読みに読め、ただひたすらに読め、
と言いたいですね。
それが道元に近づく王道です。
(p179)
こんな箇所も引用。
素野】 道元は宋でなかなか正師にめぐり会えなかったのですね。
谷川】 そうです。
正師とすべき人に会えないまま、
諸山歴訪の旅にのぼり、
一時は帰国しようかと考えたりもします。
その途中で、かねて名声を耳にしていた
如浄が天童の住持になったことを聞いて、
急いでまた天童山に登るんです。
・・・・(p164)
うん。
そういえば、曹洞宗のお経「修証義」に
南無帰依佛、
南無帰依法、
南無帰依僧、
佛はこれ大師なるがゆえに帰依す、
法は良薬なるがゆえに帰依す、
僧は勝友なるがゆえに帰依す、
佛弟子となること必ず三帰による
・・・
という箇所があったなあ。
まわり道でも、
また、道元とつながりました。
が古本で安かったので購入。
谷川徹三氏の本は未読。
ですが、詩人の谷川俊太郎のお父さん。
ということは、知っておりました。
略歴をみると
「明治28年愛知県常滑市生まれ。
一高を経て、西田幾太郎を慕い
京都大学哲学科へ進み大正11年卒業
・・・・」
とあります。
その対談のなかに
素野福次郎氏との
「道元『正法眼蔵』の読み方」
と題する対談がありました。
その対談の最後を引用。
谷川】 『正法眼蔵』にチラリとでも触れて欲しいですね。
そうすれば必ず何人かは、あの道元の魅力に打たれるはずです。
『正法眼蔵』が難解だというなら、まず『随聞記』でもいい。
素野】 道元に対する態度、もっと大きくいうなら
宗教とのかかわり方は人さまざまだし、
またそれでいいと思うのです。
しゃちほこばる必要はない。
日々の行動のヒントを得るといったことだって、
いいと思うんです。
谷川】 とにかく手にとって欲しい。
そして読みに読め、ただひたすらに読め、
と言いたいですね。
それが道元に近づく王道です。
(p179)
こんな箇所も引用。
素野】 道元は宋でなかなか正師にめぐり会えなかったのですね。
谷川】 そうです。
正師とすべき人に会えないまま、
諸山歴訪の旅にのぼり、
一時は帰国しようかと考えたりもします。
その途中で、かねて名声を耳にしていた
如浄が天童の住持になったことを聞いて、
急いでまた天童山に登るんです。
・・・・(p164)
うん。
そういえば、曹洞宗のお経「修証義」に
南無帰依佛、
南無帰依法、
南無帰依僧、
佛はこれ大師なるがゆえに帰依す、
法は良薬なるがゆえに帰依す、
僧は勝友なるがゆえに帰依す、
佛弟子となること必ず三帰による
・・・
という箇所があったなあ。
まわり道でも、
また、道元とつながりました。