丸谷才一著「思考のレッスン」を
読み返していると、今回は
「デカメロン」を読んでみたくなりました。
まずは、「思考のレッスン」のレッスン2に
その引用箇所がでてきます。
質問者が、バフチンを取り上げると、
丸谷氏が、答えます。
「僕は好きですね。せっせと原稿を書いて、
本にする論文を溜めているんだけど、
タバコを巻く紙がなくなると、その論文で
タバコを巻いて吸ってしまう(笑)。
死ぬときには、目が見えないから、
『僕が好きな話を読んでくれ』と言って、
ボッカチオの『デカメロン』の一話を
朗読してもらうんだけど、
それがたいへんなペテン師の話なんですね。
このペテン師は死を前に神父さんに向って、
いかに自分が立派な人間であったか、
徳行を積んだかという大嘘を告白する。
それが伝わりに伝わって、
死後、聖者としてみんなから尊敬される
という話なんだよ。・・・」(p89~90)
はい。バフチンは知らないけれど(笑)、
デカメロンなら平川祐弘訳で文庫本もある。
たまたま単行本を古本で買ってあったので、
さっそく、第一日第一話だけを読むことに。
この第一日第一話の主人公はというと、
「どんな男か。彼は代書人である。・・
要するに人を騙すのが好きで好きでたまらぬ男で、
偽の証書を作るのなら只でも仕事をした。・・
頼まれようが、頼まれまいが、喜んで偽証した。
当時のフランスでは誓言(せいごん)はたいへん
重きをなしたが・・・宣誓しても平気で嘘をつく。
名誉を誓って口述するよう求められた法廷でも
平気で嘘をつく。・・・」
はい。ここからの記述が、どんどんと並べられてゆきます。
モリカケ問題で一年費やすどころの騒ぎではありません。
その主人公の死期が近づくと、まわりの者が話し合います、
「きちんと懺悔はすまい。そうすれば、どこの教会も
こいつの亡骸を引取って墓にきちんと埋めてはくれまい」。
それを聞いた主人公は、
「私はいままで神様にさんざ悪態をついてきた。
だから死ぬ一時間前にもう一度悪さをしたところで、
もはやそれ以上悪くも良くもなりますまい。」
こういって、しっかりした坊様を連れて来るよう頼みます。
そうして、懺悔でも例のごとく偽証を繰り返します、
あろうことか、坊様は、その懺悔をことごとく信じる。
うん。朝日新聞の記事をことごとに信じる購読者。
というイメージを私は思い浮かべます。
まさか、懺悔で、嘘をつくとは思いもせず。
まさか、新聞でもって、嘘をつくとは
日本人の大多数は思いもしないことでした。
この第一日第一話の登場人物が
亡くなります。その後について、デカメロンでは語られます。
「懺悔を聴聞した尊師は・・僧院の院長と相談した。
そして鐘を鳴らさせて寺の修道士をみな講堂に集めた。
そして一同に向かい、自分が懺悔を聴聞した事から判断すると
氏は聖人さまであった・・・それだから修道士たちはみな
最大の敬意と信心をこめて・・氏の御遺骸を受取らねばならない、
と説得した。こうしたことについて修道院長もお人好しの修道士たちも
ごもっともと同意した。それで、一同揃って・・盛大で厳粛な通夜をした。」
うん。つづきも大切ですが、これだけ引用すればよいでしょう。
これを、現代に例をとるならば、
「吉田清治」が分かりやすいでしょうか。
「1982年9月2日、朝日新聞大阪版が
『済州島で韓国人女性を強制連行した』という
吉田清治を取りあげる。
吉田は83年7月に『私の戦争犯罪――朝鮮人強制連行』(三一書房)
を出版。同年12月に、天安市に私費で謝罪碑を建てるために訪韓し、
土下座した。92年に秦郁彦が済州島を調査、吉田の『体験談』が
嘘であることを突き止め、吉田本人も虚偽を認めた。
だが、朝日はその後も吉田の証言を取り上げ続けていた。
1991年8月11日と12月25日に、朝日新聞大阪社会部記者(当時)の
植村隆が、元慰安婦・金学順の記事を掲載。
慰安婦と女子勤労挺身隊を混同しており、
2014年12月23日に朝日新聞社は
『この女性が挺身隊の名で戦場に連行された事実はありません』
『誤りとして、おわびして訂正します』と謝罪記事を掲載した。」
(Hanadaセレクション『財務省「文書改竄」報道と朝日新聞誤報
・虚報全史』グラビア特集・目で見る朝日新聞誤報史年表p86)
昨日の当ブログの引用を、また繰り返します。
小川榮太郎氏の座談でしめくくりの語りです。
「『嘘をついて人を騙す』という存在は、
敵役としても存在すべきではない。
単なる社会の迷惑に過ぎない。
朝日新聞の論調が悪いと言っているのではなく、
嘘つきが毎日、六百万部の新聞を売って
平気な顔をしているーーー
社会でそんなことが許されていいわけがない。
『朝日新聞批判』というのはつまるところ、
『嘘をついて人を騙す新聞があってはならない』
と言っているまでのことなのです。」
読み返していると、今回は
「デカメロン」を読んでみたくなりました。
まずは、「思考のレッスン」のレッスン2に
その引用箇所がでてきます。
質問者が、バフチンを取り上げると、
丸谷氏が、答えます。
「僕は好きですね。せっせと原稿を書いて、
本にする論文を溜めているんだけど、
タバコを巻く紙がなくなると、その論文で
タバコを巻いて吸ってしまう(笑)。
死ぬときには、目が見えないから、
『僕が好きな話を読んでくれ』と言って、
ボッカチオの『デカメロン』の一話を
朗読してもらうんだけど、
それがたいへんなペテン師の話なんですね。
このペテン師は死を前に神父さんに向って、
いかに自分が立派な人間であったか、
徳行を積んだかという大嘘を告白する。
それが伝わりに伝わって、
死後、聖者としてみんなから尊敬される
という話なんだよ。・・・」(p89~90)
はい。バフチンは知らないけれど(笑)、
デカメロンなら平川祐弘訳で文庫本もある。
たまたま単行本を古本で買ってあったので、
さっそく、第一日第一話だけを読むことに。
この第一日第一話の主人公はというと、
「どんな男か。彼は代書人である。・・
要するに人を騙すのが好きで好きでたまらぬ男で、
偽の証書を作るのなら只でも仕事をした。・・
頼まれようが、頼まれまいが、喜んで偽証した。
当時のフランスでは誓言(せいごん)はたいへん
重きをなしたが・・・宣誓しても平気で嘘をつく。
名誉を誓って口述するよう求められた法廷でも
平気で嘘をつく。・・・」
はい。ここからの記述が、どんどんと並べられてゆきます。
モリカケ問題で一年費やすどころの騒ぎではありません。
その主人公の死期が近づくと、まわりの者が話し合います、
「きちんと懺悔はすまい。そうすれば、どこの教会も
こいつの亡骸を引取って墓にきちんと埋めてはくれまい」。
それを聞いた主人公は、
「私はいままで神様にさんざ悪態をついてきた。
だから死ぬ一時間前にもう一度悪さをしたところで、
もはやそれ以上悪くも良くもなりますまい。」
こういって、しっかりした坊様を連れて来るよう頼みます。
そうして、懺悔でも例のごとく偽証を繰り返します、
あろうことか、坊様は、その懺悔をことごとく信じる。
うん。朝日新聞の記事をことごとに信じる購読者。
というイメージを私は思い浮かべます。
まさか、懺悔で、嘘をつくとは思いもせず。
まさか、新聞でもって、嘘をつくとは
日本人の大多数は思いもしないことでした。
この第一日第一話の登場人物が
亡くなります。その後について、デカメロンでは語られます。
「懺悔を聴聞した尊師は・・僧院の院長と相談した。
そして鐘を鳴らさせて寺の修道士をみな講堂に集めた。
そして一同に向かい、自分が懺悔を聴聞した事から判断すると
氏は聖人さまであった・・・それだから修道士たちはみな
最大の敬意と信心をこめて・・氏の御遺骸を受取らねばならない、
と説得した。こうしたことについて修道院長もお人好しの修道士たちも
ごもっともと同意した。それで、一同揃って・・盛大で厳粛な通夜をした。」
うん。つづきも大切ですが、これだけ引用すればよいでしょう。
これを、現代に例をとるならば、
「吉田清治」が分かりやすいでしょうか。
「1982年9月2日、朝日新聞大阪版が
『済州島で韓国人女性を強制連行した』という
吉田清治を取りあげる。
吉田は83年7月に『私の戦争犯罪――朝鮮人強制連行』(三一書房)
を出版。同年12月に、天安市に私費で謝罪碑を建てるために訪韓し、
土下座した。92年に秦郁彦が済州島を調査、吉田の『体験談』が
嘘であることを突き止め、吉田本人も虚偽を認めた。
だが、朝日はその後も吉田の証言を取り上げ続けていた。
1991年8月11日と12月25日に、朝日新聞大阪社会部記者(当時)の
植村隆が、元慰安婦・金学順の記事を掲載。
慰安婦と女子勤労挺身隊を混同しており、
2014年12月23日に朝日新聞社は
『この女性が挺身隊の名で戦場に連行された事実はありません』
『誤りとして、おわびして訂正します』と謝罪記事を掲載した。」
(Hanadaセレクション『財務省「文書改竄」報道と朝日新聞誤報
・虚報全史』グラビア特集・目で見る朝日新聞誤報史年表p86)
昨日の当ブログの引用を、また繰り返します。
小川榮太郎氏の座談でしめくくりの語りです。
「『嘘をついて人を騙す』という存在は、
敵役としても存在すべきではない。
単なる社会の迷惑に過ぎない。
朝日新聞の論調が悪いと言っているのではなく、
嘘つきが毎日、六百万部の新聞を売って
平気な顔をしているーーー
社会でそんなことが許されていいわけがない。
『朝日新聞批判』というのはつまるところ、
『嘘をついて人を騙す新聞があってはならない』
と言っているまでのことなのです。」