和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

「雪月花」と「政治の悪口」。

2018-04-26 | 産経新聞
深代惇郎のコラム「天声人語」に
「ボルテージ」というコラムがあったのでした。

「書くことがなくて、・・・雪月花にも
感慨がわかないときは、政治の悪口を書く
といってはふがいない話だが、そういう時もある。
本人は、ほかにないから書いているのであって、
そう朝から晩まで悲憤慷慨しているわけでもないのに、
コラムだけは次第に憂国のボルテージが上がって、
自分とはいささかちぐはぐの『書生論』になる。
ジャーナリズムには、
そういう気のひけるところがある。」
(昭和48年12月3日)

コラムニスト深代惇郎にしてから
こうだったのですから、われら凡人は
いったいどうなのか?

『書くことがなくて、・・・・
雪月花にも感慨がわかないときは、
政治の悪口を書く
といってはふがいない話だが、
そういう時もある。
 ・・・・
そういう気のひけるところがある。』

よく言ってくれました。
書き残してくれました。
コラムニストが書く
コラムニストの悪口。
はい。自戒を込めていらっしゃる。


ここに、「雪月花」と「政治の悪口」への
腐れ縁のような、つながりが見て取れます。
と、私は言ってみたい衝動にかられます(笑)。

さてっと、
雪月花を取り上げる方に
「政治の悪口」を語る方が多いのかどうか?
それが、次の問題。

「ふがいない話」で「気のひけるところ」。
そこにメスを入れる時代となったのでした。

あるいは、新聞の短いコラムが
「雪月花」と「政治の悪口」とを
ごく自然と結びつけていたのかもしれない。
そういう発想が、成り立つかもしれない。

たまに、コラム「ボルテージ」を読み返し、
今回は、こんなことを思ったわけです(笑)。

ちなみに、
引用した深代惇郎のコラムに
『書生論』とあったのですが、
今日の産経新聞の「正論」欄。
古田博司氏が書いている中に、
「書生」という言葉がありました。
その個所だけを引用することに。


「日本ではもう済んだことだが、
韓国では遅れていて、ロウソク革命で
暴虐な政府を倒した自分たちは『革命政権』だと、
文在寅政権は信じ込んでいる。
本当は学生運動の気分を残した『書生政権』にすぎない。
これは大変な未来の誤算を生むことになるだろう。」

『書生論』は、深代惇郎コラムの言い回しなのですが、
『書生政権』は、古田氏が指摘する現在形の韓国動向。

そういえば、菅直人と「学生運動」とは、切っても切れない関係でした。
授業をボイコットして、デモに参加していたその姿は、現在の
審議拒否をしてプラカードを掲げる野党議員の姿と重なります。

ということで、今日の産経新聞
「阿比留瑠比の極言御免」から、
最後の箇所だけを引用。

「インターネット上では、
野党議員は『簡単なお仕事』だと揶揄されている。
いろいろなバージョンがあるが、例えばこんなふうだ。
『首相らの答弁や主張にヤジを飛ばしたり、
反対したりするだけの簡単なお仕事です』
『報道されたものを国会で読むだけの簡単なお仕事です』
『「疑惑は深まった」と繰り返すだけの簡単なお仕事です』
・・・・」

本当は、今日の「阿比留瑠比の極言御免」の全文を
読んでいただければ、御納得していただけると思います。
けれど、ここまで、読んでいただいて感謝しなくちゃ。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする