加藤秀俊著「社会学」(中公新書)の
第三章「コミュニケーション ことばの力」に
新聞をとりあげた箇所があるので引用。
「だが、新聞はたんなる世間話の拡散装置というだけではない。
なぜなら世の中で起きている雑事のなかのほんの一部分だけを
拡散するのだから、当然、取捨選択する。価値判断をする。
したがって必然的に『党派性』を背負うことになる。
そんなわけで、新聞というものは多かれすくなかれ
政治的メディアという側面をもっていた、といってもいい。
じっさい西洋でも日本でも新聞はもともと『政論』の場であった。
政府の立場を擁護する『御用新聞』もあったし、反対に
ひたすら権力批判や政府高官の醜聞に徹する『赤新聞』もあった。
現在の日本の新聞は『不偏不党』を旗印にしているが、
そんなことはない。とりわけ『進歩的』新聞は慢性的に
欺瞞をくりかえしている。信頼性のない『証言』から書いた記事が、
とりかえしのつかない国際的反日運動の原因になったりしたこともある。
新聞はウソをつかない、というが、
全面的なインチキ記事はいくらでもあった。
じぶんで自然環境に落書きして写真を撮り
『心ない観光客のしわざ』と報道した新聞がある。
潜伏逃走中の思想犯に会見した、という完全ウソで固めた記事が
社会面のトップをかざったこともある。
あとで謝罪したが、それで許されるものではあるまい。」
(p79~80)
うん。きちんと『朝日新聞』と新聞社名が記載されていないので、
一読、読み流してしまいそうな箇所です。
はい。読者の読解力をためされる箇所です。
その後には、『ニューヨーク・モーニング・ジャーナル』の
捏造記事への具体的な言及をして、
そのあとに加藤秀俊氏はこう記しております。
「なぜウソをつくのか。
戦争になれば新聞の発行部数が伸びるからである。
そんなふうにして新聞が『世論』をつくるのである。
世論を誘導するのである。新聞が怪(け)しからぬ、
といえば読者大衆も怪しからぬ、と同調する。
新聞がある人物を悪人ときめつければ
人民ことごとく、その人物を糾弾する。
新聞は政治を、経済を、そして世評を
変化させるだけの力をもつようになったのだ。
わたしたちがもっているさまざまな『意見』は
一見したところ自発的・自主的にみえるが、
じつはそのほとんどが新聞記事の関数だとみてよい。
・・・『ニューヨーク・タイムズ』『人民日報』、
その他世界の有名新聞を世間は依然としてタヨリにしている。」
(p80~81)
第三章「コミュニケーション ことばの力」に
新聞をとりあげた箇所があるので引用。
「だが、新聞はたんなる世間話の拡散装置というだけではない。
なぜなら世の中で起きている雑事のなかのほんの一部分だけを
拡散するのだから、当然、取捨選択する。価値判断をする。
したがって必然的に『党派性』を背負うことになる。
そんなわけで、新聞というものは多かれすくなかれ
政治的メディアという側面をもっていた、といってもいい。
じっさい西洋でも日本でも新聞はもともと『政論』の場であった。
政府の立場を擁護する『御用新聞』もあったし、反対に
ひたすら権力批判や政府高官の醜聞に徹する『赤新聞』もあった。
現在の日本の新聞は『不偏不党』を旗印にしているが、
そんなことはない。とりわけ『進歩的』新聞は慢性的に
欺瞞をくりかえしている。信頼性のない『証言』から書いた記事が、
とりかえしのつかない国際的反日運動の原因になったりしたこともある。
新聞はウソをつかない、というが、
全面的なインチキ記事はいくらでもあった。
じぶんで自然環境に落書きして写真を撮り
『心ない観光客のしわざ』と報道した新聞がある。
潜伏逃走中の思想犯に会見した、という完全ウソで固めた記事が
社会面のトップをかざったこともある。
あとで謝罪したが、それで許されるものではあるまい。」
(p79~80)
うん。きちんと『朝日新聞』と新聞社名が記載されていないので、
一読、読み流してしまいそうな箇所です。
はい。読者の読解力をためされる箇所です。
その後には、『ニューヨーク・モーニング・ジャーナル』の
捏造記事への具体的な言及をして、
そのあとに加藤秀俊氏はこう記しております。
「なぜウソをつくのか。
戦争になれば新聞の発行部数が伸びるからである。
そんなふうにして新聞が『世論』をつくるのである。
世論を誘導するのである。新聞が怪(け)しからぬ、
といえば読者大衆も怪しからぬ、と同調する。
新聞がある人物を悪人ときめつければ
人民ことごとく、その人物を糾弾する。
新聞は政治を、経済を、そして世評を
変化させるだけの力をもつようになったのだ。
わたしたちがもっているさまざまな『意見』は
一見したところ自発的・自主的にみえるが、
じつはそのほとんどが新聞記事の関数だとみてよい。
・・・『ニューヨーク・タイムズ』『人民日報』、
その他世界の有名新聞を世間は依然としてタヨリにしている。」
(p80~81)