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和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

「歳月、矢のごとし」。

2018-04-16 | 道しるべ
丸谷才一著「思考のレッスン」(文藝春秋・単行本)。
その、レッスン3は「思考の準備」となっております。
そのレッスン3の最後のページに
こんな言葉がありました。

「そういうふうに生活と一体になっている古典、
それが民衆のホーム・グラウンドであり、
それが伝統というものだと僕は思うんですね。

イギリス人が、なにかと言えば
シェークスピアでものを考えるように、
古典や伝統をホーム・グラウンドにして、
文明は成立していると思うんです。
 

 ―― そういう意味では、いまの日本人にとっての
   ホーム・グラウンドに当たるものは、
   なかなか思い浮かばないですね。


むずかしいですねえ。もちろんあるけれど、
その中にいる僕たちには見えないんでしょう。
混沌としているから。
百年くらい後の人たちにははっきり見えるはずです。」
(p160)


ははあ。今まで気づかなかったのが不思議ですが、
学校では、宗教を見えないこととしてカットして
教育しているわけです。
はい。宗教は見ないでねといわれて、
それとは、違う方向ばかり見て暮らしていたような気がします。
ですけれど、家では、年を重ねると
法事があったり、両親が亡くなったりと
つづいてゆくわけです。

ということで、私には仏教が視界にはいって
くる年齢となりました。
学校教育からは、言葉でタッチできなかった
空気みたいな存在だったような気がします。


もどって、「思考のレッスン」。
その、レッスン5は「考えるコツ」。
その「考えるコツ」での、丸谷さんの最後は
こう語っておりました。


「もうそんなになるか、歳月、矢のごとし(笑)。
いまにして思うと、あれはつまり、
日本とは何かという謎の一つのあらわれでしたね。
そして、日本とは何かという謎は、結局のところ、
自分とは何かという謎につながるんですよ。」
(p233)


この「歳月、矢のごとし」というフレーズに
私としては、仏教を感じるこの頃です(笑)。
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