加藤秀俊氏の新刊「社会学」(中公新書)が発売。
さっそく購入。
はい。第一章を読んで私は満腹。
お腹を減らしてから、次の章へ。
それまでの間に、第一章で紹介されている本を
ネット検索で古本注文。
とりあえず、第一章から引用しておきます。
「『社会』という新語はなかなか
日常用語としてなじまない。やっぱり
『世間』のほうが落ち着く。
『はなしことば』では『せけん』
というのがふつうで、めったに
『しゃかい』などとはいわない。
いまでも『社会』という漢字は
『文字ことば』の世界のものであって、
日常会話のものではない。」
このあとに山本夏彦氏の言葉を引用しているので、
そちらも、孫引きしておきます(笑)。
「昭和平成のこんにち、
山本夏彦さんなどもおなじ見解をおもちであった。
いわく、
【私はなるべく『世間』と言って
『社会』とは言わない。・・・・
『社会』は明治以来用いられ出した言葉で、
『世間』のほうが古い。
世間しらず、世間てい、世間見ず、世間並、世間話、
世間晴れてと用いられるが、
社会しらず、社会ていなどとは用いられない。
用いられるには五百年かかるだろう。】」(p7)
はい。私など、この第一章の内容だけでも、
飲み込むだけで精一杯。
咀嚼するまでには、まだまだ時間がかかります。
あとがきには、
こんな箇所がありました。
気になるので引用。
「そのわたしが、こともあろうに
『社会学』担当の教授として
あちこちの大学に勤務してしまったのである。
・・講義を文字にした著書も
『東京の社会学』『習俗の社会学』『余暇の社会学』など、
ことごとく『の』のついた個別的な表題のものばかり。
ゼミでは学生たちにあちこちの村に二週間住み込んで、
七十歳以上の年寄りのはなしをきいてそれぞれの『伝記』を
綴ることだけを課題とした。あの本を読みなさいといった
読書指導はいっさいしなかった。・・・」(p202)
その加藤秀俊氏は今年88歳になり、
豪勢にも、『の』のつかない題名で、
「社会学」と題した新書を出された。
ちなみに、各章の最後には
【さらに読むといい本】が指摘され、
そこでは著者の短めのコメントもついて、
読書指南本としてありがたく、
新書に附録がついてきたようで得した気分(笑)。
さっそく購入。
はい。第一章を読んで私は満腹。
お腹を減らしてから、次の章へ。
それまでの間に、第一章で紹介されている本を
ネット検索で古本注文。
とりあえず、第一章から引用しておきます。
「『社会』という新語はなかなか
日常用語としてなじまない。やっぱり
『世間』のほうが落ち着く。
『はなしことば』では『せけん』
というのがふつうで、めったに
『しゃかい』などとはいわない。
いまでも『社会』という漢字は
『文字ことば』の世界のものであって、
日常会話のものではない。」
このあとに山本夏彦氏の言葉を引用しているので、
そちらも、孫引きしておきます(笑)。
「昭和平成のこんにち、
山本夏彦さんなどもおなじ見解をおもちであった。
いわく、
【私はなるべく『世間』と言って
『社会』とは言わない。・・・・
『社会』は明治以来用いられ出した言葉で、
『世間』のほうが古い。
世間しらず、世間てい、世間見ず、世間並、世間話、
世間晴れてと用いられるが、
社会しらず、社会ていなどとは用いられない。
用いられるには五百年かかるだろう。】」(p7)
はい。私など、この第一章の内容だけでも、
飲み込むだけで精一杯。
咀嚼するまでには、まだまだ時間がかかります。
あとがきには、
こんな箇所がありました。
気になるので引用。
「そのわたしが、こともあろうに
『社会学』担当の教授として
あちこちの大学に勤務してしまったのである。
・・講義を文字にした著書も
『東京の社会学』『習俗の社会学』『余暇の社会学』など、
ことごとく『の』のついた個別的な表題のものばかり。
ゼミでは学生たちにあちこちの村に二週間住み込んで、
七十歳以上の年寄りのはなしをきいてそれぞれの『伝記』を
綴ることだけを課題とした。あの本を読みなさいといった
読書指導はいっさいしなかった。・・・」(p202)
その加藤秀俊氏は今年88歳になり、
豪勢にも、『の』のつかない題名で、
「社会学」と題した新書を出された。
ちなみに、各章の最後には
【さらに読むといい本】が指摘され、
そこでは著者の短めのコメントもついて、
読書指南本としてありがたく、
新書に附録がついてきたようで得した気分(笑)。