谷川徹三対談集「九十にして惑う」の
「道元『正法眼蔵」の読み方」は
まず素野福次郎氏(大正元年生れ)から語っておりました。
素野】私の若いころは、
戦争が壁のような感じで立ちはだかっていて、
好むと好まざるとにかかわらず、
避けては通れなかったわけです。
戦争にいって死ぬというのは、
既定の事実のような感じで横たわっていた。
そうなるとやはり死ぬ前に、
自分がここに生かされていることの
意味を確かめたくなるものなんですね。
そんなことが契機で、
道元に触れるようになったのだと思います。
谷川】 すると、戦前ですか。
素野】召集されたのが昭和16年ですから、
その前後ですね。
(p159)
谷川徹三氏も語ります。
谷川】 道元の禅は公安禅ではありません。
只管打坐です。しかし、その只管打坐すらしていません。
『正法眼蔵』を読むだけです。
道元からいわせれば邪道でしょうな。
私は昭和40年に喉頭がんで築地のがんセンターに入院し、
リニアックという大きなグルグル廻る
放射線治療器で治療を受けました。
あとでがんにもいろいろあって、
喉頭がんは転移率が低いということがわかりましたが、
そのときはやはり、死を意識せざるを得ませんでした。
その入院のとき持っていったのが、『正法眼蔵』でした。
それから道元が一段と魅力を増してきて、
最近ますます大きなものになっている感じがします。
(p162)
「道元『正法眼蔵」の読み方」は
まず素野福次郎氏(大正元年生れ)から語っておりました。
素野】私の若いころは、
戦争が壁のような感じで立ちはだかっていて、
好むと好まざるとにかかわらず、
避けては通れなかったわけです。
戦争にいって死ぬというのは、
既定の事実のような感じで横たわっていた。
そうなるとやはり死ぬ前に、
自分がここに生かされていることの
意味を確かめたくなるものなんですね。
そんなことが契機で、
道元に触れるようになったのだと思います。
谷川】 すると、戦前ですか。
素野】召集されたのが昭和16年ですから、
その前後ですね。
(p159)
谷川徹三氏も語ります。
谷川】 道元の禅は公安禅ではありません。
只管打坐です。しかし、その只管打坐すらしていません。
『正法眼蔵』を読むだけです。
道元からいわせれば邪道でしょうな。
私は昭和40年に喉頭がんで築地のがんセンターに入院し、
リニアックという大きなグルグル廻る
放射線治療器で治療を受けました。
あとでがんにもいろいろあって、
喉頭がんは転移率が低いということがわかりましたが、
そのときはやはり、死を意識せざるを得ませんでした。
その入院のとき持っていったのが、『正法眼蔵』でした。
それから道元が一段と魅力を増してきて、
最近ますます大きなものになっている感じがします。
(p162)