和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

だからね。大事なのは。

2018-04-14 | 道しるべ
丸谷才一著「思考のレッスン」(文藝春秋)は、
初出『本の話』(平成10年5月号から平成11年3月号まで連載)
に掲載されており、その小冊子を楽しみに読んだことを
思い出します。

最後の「レッスン6 書き方のコツ」には

「文章で一番大事なことは何か?
それは最後まで読ませるということです。
当り前のようだけど、これがむずかしい。
たとえば新聞に載る随筆、最後まで読みますか?
みんなたいてい途中でやめるんじゃないかなあ。

 —— えー、筆者にもよりますが(笑)

僕なんか、たまに最後まで読むと、
すごくもうかったような気がする(笑)。
手紙だってそうでしょう。個人的な用件なら、
最後まで読み通すけれど、
刷り物になっている手紙なんかまず途中でやめる。
だから、文章で一番大事なことは、
とにかく最後まで読ませることなんです。
憤慨しながらだって、最後まで読むことになれば、
ある意味で及第点なんです。」
(p270~271)


はい。楽しみに読んでいた最後の章に、
こんな言葉があったのに、驚きました。
こんなことを、言えるなんてね(笑)。


さてっと、
今回、気がついた箇所はというと


「だからね、大事なのは、
日本の文学者であることを、
不利な条件だと考える必要はないってことです。
悪条件と言われているものが、
実はものすごい好条件であるかもしれない。
われわれの中には古代的なもの、中世的なもの、
みんな残っているわけです。
それを見ることによって、
ヨーロッパの学者や作家たちが気がつかないもの、
詩人たちが気がつかないもの、
それを僕たちは使えるかもしれない。

なんと言ったって、
こんなに持続的に一国の文学が続いている国は、
他にないわけですからね。
だからその伝統の持続性、それを逆手に取って、
思いもつかない新しいものができるかもしれない。
そう僕は思うんだなあ。」(p91)


ここで語られている
『われわれの中には古代的なもの、中世的なもの、
みんな残っているわけです』
『その伝統の持続性・・・思いもつかない新しいもの』
という指摘は
そのままに、『仏教』に隠されていると
私には思えるのでした。
うん。年齢のせいでしょうか(笑)。

もし、年齢のせいなら、
年を取るのも悪くない。
コメント
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