丸谷才一著「思考のレッスン」(文藝春秋)は、
初出『本の話』(平成10年5月号から平成11年3月号まで連載)
に掲載されており、その小冊子を楽しみに読んだことを
思い出します。
最後の「レッスン6 書き方のコツ」には
「文章で一番大事なことは何か?
それは最後まで読ませるということです。
当り前のようだけど、これがむずかしい。
たとえば新聞に載る随筆、最後まで読みますか?
みんなたいてい途中でやめるんじゃないかなあ。
—— えー、筆者にもよりますが(笑)
僕なんか、たまに最後まで読むと、
すごくもうかったような気がする(笑)。
手紙だってそうでしょう。個人的な用件なら、
最後まで読み通すけれど、
刷り物になっている手紙なんかまず途中でやめる。
だから、文章で一番大事なことは、
とにかく最後まで読ませることなんです。
憤慨しながらだって、最後まで読むことになれば、
ある意味で及第点なんです。」
(p270~271)
はい。楽しみに読んでいた最後の章に、
こんな言葉があったのに、驚きました。
こんなことを、言えるなんてね(笑)。
さてっと、
今回、気がついた箇所はというと
「だからね、大事なのは、
日本の文学者であることを、
不利な条件だと考える必要はないってことです。
悪条件と言われているものが、
実はものすごい好条件であるかもしれない。
われわれの中には古代的なもの、中世的なもの、
みんな残っているわけです。
それを見ることによって、
ヨーロッパの学者や作家たちが気がつかないもの、
詩人たちが気がつかないもの、
それを僕たちは使えるかもしれない。
なんと言ったって、
こんなに持続的に一国の文学が続いている国は、
他にないわけですからね。
だからその伝統の持続性、それを逆手に取って、
思いもつかない新しいものができるかもしれない。
そう僕は思うんだなあ。」(p91)
ここで語られている
『われわれの中には古代的なもの、中世的なもの、
みんな残っているわけです』
『その伝統の持続性・・・思いもつかない新しいもの』
という指摘は
そのままに、『仏教』に隠されていると
私には思えるのでした。
うん。年齢のせいでしょうか(笑)。
もし、年齢のせいなら、
年を取るのも悪くない。
初出『本の話』(平成10年5月号から平成11年3月号まで連載)
に掲載されており、その小冊子を楽しみに読んだことを
思い出します。
最後の「レッスン6 書き方のコツ」には
「文章で一番大事なことは何か?
それは最後まで読ませるということです。
当り前のようだけど、これがむずかしい。
たとえば新聞に載る随筆、最後まで読みますか?
みんなたいてい途中でやめるんじゃないかなあ。
—— えー、筆者にもよりますが(笑)
僕なんか、たまに最後まで読むと、
すごくもうかったような気がする(笑)。
手紙だってそうでしょう。個人的な用件なら、
最後まで読み通すけれど、
刷り物になっている手紙なんかまず途中でやめる。
だから、文章で一番大事なことは、
とにかく最後まで読ませることなんです。
憤慨しながらだって、最後まで読むことになれば、
ある意味で及第点なんです。」
(p270~271)
はい。楽しみに読んでいた最後の章に、
こんな言葉があったのに、驚きました。
こんなことを、言えるなんてね(笑)。
さてっと、
今回、気がついた箇所はというと
「だからね、大事なのは、
日本の文学者であることを、
不利な条件だと考える必要はないってことです。
悪条件と言われているものが、
実はものすごい好条件であるかもしれない。
われわれの中には古代的なもの、中世的なもの、
みんな残っているわけです。
それを見ることによって、
ヨーロッパの学者や作家たちが気がつかないもの、
詩人たちが気がつかないもの、
それを僕たちは使えるかもしれない。
なんと言ったって、
こんなに持続的に一国の文学が続いている国は、
他にないわけですからね。
だからその伝統の持続性、それを逆手に取って、
思いもつかない新しいものができるかもしれない。
そう僕は思うんだなあ。」(p91)
ここで語られている
『われわれの中には古代的なもの、中世的なもの、
みんな残っているわけです』
『その伝統の持続性・・・思いもつかない新しいもの』
という指摘は
そのままに、『仏教』に隠されていると
私には思えるのでした。
うん。年齢のせいでしょうか(笑)。
もし、年齢のせいなら、
年を取るのも悪くない。