梅原猛氏は宮沢賢治について
「賢治のよって立つ世界観は、近代人であるわれわれが
その上に立っている世界観と大きくちがっている。
われわれの立っている世界観を正しいと思うと、
賢治の世界は十分に理解できない。
われわれの立っている世界観の不安定さに気がついたとき、
賢治のよって立つ世界観の意味がわかり始めるであろう。・・ 」
( p1 「賢治の宇宙」佼成出版社・1985年 )
ここに、『大きくちがっている』という言葉があります。
このちがいの、違和感を取りのぞくのに、効果的だったと
私の思えるのが、【ますむら・ひろし】の漫画賢治童話集でした。
こちらは、大きく違っている世界観を、ネコを主人公にしていることで
私でも、ちっとも違和感なくはいり込めたのでした。
ちょうど鳥獣戯画を、面白おかしくパラパラとめくる感じでしょうか。
そして、アニメ銀河鉄道の夜の主人公たちも、ごく自然にネコでした。
うん。これが人間の顔で登場したら、何だか私は見なかった気がする。
映画といえば、今年「銀河鉄道の父」は、実写版で
賢治と、その父親との葛藤が描かれているようです。
三木卓氏は、指摘されてました。
「たとえば、かれが盛岡高等農林の助手の仕事を事実上やめて、
これからどう生きていこうか、と考えている大正7年ころの
青年であったとしたらどうか。
いつのまにかわたし(三木卓)は、父親の政次郎のまなざしで
見詰めてしまっていた。こんな強さと弱さがわかちがたく
一体となっている、扱いの面倒な息子をもったら、
わたしはどんな気持になるか。・・・・
大正7年の賢治は22歳、高等農林を卒業する年であるが、
このときかれの出身地の花巻も属する稗貫郡土性調査の
ために研究生として残るようにいわれる。
ところがこのころの賢治には、まだ農業関係に進む気持はなかった。
乞われて土性調査に参加し、身体をこわすほど一生懸命に活動したものの、
一段落したところで事実上この仕事から降りる。のちに
助教授にと乞われるが、これも断ってしまう。
では、かれは何がしたかったのか。・・・・ 」(p5~6)
( 「群像日本の作家12 宮澤賢治」小学館・1990年 )