和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

漱石と賢治の「楽しいなあ」

2023-07-24 | 重ね読み
高島俊男著「漱石の夏やすみ」に、こんな箇所がありました。

「 漱石の作品をみると、できばえのよしあしとは別に、

  漱石が、おれはこういうことをやっているときが一番たのしいなあ、
  とおもいながらつくったことがつたわってくるものがいくつもある。

  絵や書はたいがいそうである。
  俳句も、せっせとつくっては病気の子規におくって、
  子規にわるくちをいわせてたのしんでいた時期はそうである。

  小説では『草枕』と『吾輩は猫である』が顕著にそうである。
  ・・・・・・

  そして、最初の作品である木屑録と、
  最晩年『明暗』を書いていた時期に毎日つくっていた詩、
  これがそうである。

  漱石は、それをつくっている時間、
  つくっている過程をたのしんでいる。

  絵がそうであるように。また『草枕』がそうであるように。 」

    ( 単行本ではp179~180。 文庫本ではp156~157 )


いっぽう、萬田務著「 孤高の詩人 宮沢賢治」(新典社・1986年)に
こんな箇所がありました。

「 賢治の教師生活は大正10年12月から同15年3月まで、
  4年4か月続けられた。

  この教師生活が極めて充実していたことは、
  後になって賢治自身、『この四ヶ年は、わたしにとって、
  じつに愉快な明るいものでした』・・・(「春と修羅」第二集・序)
  と述べていることからも明らかである。

  またノート紙葉に書かれた「生徒諸君に寄せる」の(断章一)でも

      この四ヶ年が
          わたくしにどんなに楽しかったか
      わたくしは毎日を
          鳥のやうに教室でうたってくらした
      誓って云ふが
          わたくしはこの仕事で
          疲れをおぼえたことはない

   と言う。さらに後年の、昭和5年4月4日付書簡(沢里武治宛)においても、
   『 農学校の四年間がいちばんやり甲斐のある時 』であり、
   『 しかもその頃はなほ私には生活の頂点でもあった 』と書いている。
    ・・・  」( p208~209 )


はい。8月は、教師時代の賢治を、読む楽しみ。
   
コメント
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