夏休みといえば、思い浮かぶのが
高島俊男著「漱石の夏やすみ」(朔北社・2000年。ちくま文庫・2007年)
単行本のカバーの折り返しには、こうあります。
「『木屑録』は、漱石が23歳のときに書いた房総旅行記である。
これまでも存在は知られていたが、『漢文』で書かれているために、
読まれることは少なく、まして味わわれ評価されることは稀な作品であった。
本書は自在な訳文によって、『木屑録』本来のすがた、味わいを
初めて明らかにしただけでなく、執筆の契機となっている
漱石と子規の、文章を通しての友情に説き及ぶ。・・・ 」
はじまりは、こうでした。
「『 木屑録(ぼくせつろく) 』は、
夏目漱石が、明治22年、23歳のときにつくった漢文紀行である。
漱石は、第一高等中学校の生徒であった。
このとしの夏やすみを、漱石は旅行ですごした。 」
漱石の海水浴も記されております。
「 房州旅行中、おれは毎日海水浴をした。
日にすくなくも二三べん、多くは五たびも六たびも、
海のなかにてピョンピョンと、子どもみたいにとびはねる。
これは食欲増進のためなり、あきれば熱砂に腹ばひになる。
温気腹にしみて気持よし。
かかること数日、毛髪だんだん茶色になり、
顔はおひおひ黄色くなつた。
さらに十日をすぎて、茶色は赤に、黄色は黒にと変化せり。
鏡をのぞきこれがおれかと、アツケにとられたり。 」
( p22 単行本 )
もう一箇所だけ引用しておきます。
「 ともに旅せるはわれを入れて五人、
風流を解するやつは一人もない。
酒を飲んではわめくやつ、大飯食って下女をたまげさせるやつ。
ふろよりあがれば碁か花札で、ヒマをつぶすがおきまりなり。
しかるに、我輩一人のみ、仲間にはいらず沈思黙考、
うめきを発して苦悶のありさま。連中みなこれを笑ひものになし、
こやつ変人なりと言ふもわれ顧慮するところなし。
知るや知らずやかの邵青門、脳中に文を練るときは
無限の苦しみある者に似、その文成るや歓喜きはまり、
・・・・ 」(p25単行本)
ちなみに、昨日の
宮沢賢治の夏休みは、農学校教師のころ。
夏目漱石の夏休みは、生徒のころでした。