本棚に、未読本がありました。
旺文社文庫『銀河鉄道の夜』(昭和45年)。
はい。すっかり忘れているくらいなので、
古本でつい買って読まずに、そのまま本棚に収まった一冊かと思います(笑)。
最後をひらくと、
入沢康夫(いりさわやすお)の『賢治童話との出会い』がある。
うん。5頁ほどの文を読んでみる。
興味深かったのは、賢治童話と年齢の指摘でした。
「もしもぼくが小学生のころに賢治の童話の多くのものに
出会ってしまっていたならば、話の筋を辿って一応は面白がりはしたろうが、
〈真の魅力〉にはほとんど触れ得ずに、賢治の童話が判ったつもりになって
いたかもしれない。そして、そんなふうに思いこんでしまったことのために、
その後の賢治童話の神髄に参入することができなくなったり、
かなり邪魔されたりしたかもしれないのである。」
入沢氏ご自身のことを語ってもいました。
「 ・・賢治の童話の真の魅力のとりことなるには、
小学生では少々むりで、やはり、15~6という年齢は必要だと
考えられるからである。ぼくの場合、それは
あてどもない憧れと不安とにそそのかされながら、
一人で、また時に、一、二の友人と共に、
山野を歩き廻ったり、何やら詩らしきものを
手帖に書きつけ始めたりしていた時期に当たっていた。 」
「 賢治自身も、童話集『注文の多い料理店』の広告文として
書いた文章の中で、
『 この童話集の一列は実に作者の心象スケッチの一部である。
それは少年少女期の終り頃から、アドレッセンス中葉に対する
一つの文学としての形式をとってゐる 』と記し、
この『 文学としての一形式 』が対象としている年齢層を指定している。
物語の筋という点だけでいえば賢治の童話のうちかなりの数のものは、
小学生にも理解でき、それなりに面白がることもできるだろうけれど、
その≪ 真の魅力 ≫を
( それはまた『≪ 真のおそろしさ ≫を』ということでもある )
感じとるためには、しかるべき年齢が必要であるということだと思う。」
はい。『しかるべき年齢』というのは、私の場合70歳。
待ってました。これから賢治童話との遭遇になります。
はい。遅いということはないです(笑)。これからです。
といっても、この旺文社文庫の本文はいまだ未読。
いったい、何十年前に買った古本なのやら。貰ったのやら。
あるいは、それ新刊で買ったのやら、すっかり忘れてます。