昨日のブログに、コメントを頂き、
それについて思い浮かんだのが、図書館でした。
隣りの市の図書館は、あんまり大きくはないのですが、
地域の資料を調べに、先週行ってきました。
本の名前を告げると、検索してくれて、持ってきてくださった。
ありがたい。図書館に所蔵されている地域の高校の記念誌など数冊。
八十年史とか、百年史とか、酪農の百年史とかまで、
本の名前をいうと、それはありませんとか、あれば持ってきてくれました。
それはそうと、図書館。
渡部昇一著「知の井戸を掘る」(青志社)に、図書館が出てきます。
「私はドイツへの留学前と留学後のしばらくの間、
大学図書館に警備員兼務のような形で住み込んでいたことがある。
だから、一日のいかなる時間でも必要な本を見ることができた。
文字どおり、図書館は我が家だった。
しかし、その時こんなことを考えた。
『図書館に住んでいるということは、何と便利なことであろうか。
研究のはかどり方も違う。
しかし、この図書館の9割9分以上は、私の関心とまったく関係がない。
関係があるものだけなら、もっと小さな図書館でも十分に間に合う。
将来、自分用の極小ライブラリーの中に住むわけにはいかないだろうか』
これが私が書斎を持とうと決心した理由の一つである。・・・ 」(p100)
うん。世のなか、公平に書こうなんて思わなければ
案外、極小ライブラリーは夢ではないかもしれない。
はい。地方の図書館で、地方の本を読ませてもらいながら、
そう思いました。
それに、私が買うような古本は、安いわけですし(笑)。