和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

賢治の『マコトノ草ノタネマケリ』

2023-07-12 | 思いつき
紀野一義が、詩集『春と修羅』の『序』を
引用して、指摘されている箇所があります。

「 『 これらは二十二箇月の
    過去とかんずる方角から
    紙と鉱質インクをつらね
     ・・・・
    ここまでたもちつづけられ・・  』

  てきたという。この『序』の書かれた
  大正13年1月20日から通算して二十二箇月といえば、
  大正11年3月20日ということになるが、
  このあたりは年譜を見ても特に注目すべきことはない。

  ただ、この大正11年の1月に、『屈折率』『くらかけ山』
  など、『春と修羅』第一集の詩作が始まっており、
  童話では『水仙月の八月』が書かれ、
  11月には妹とし子が死んでいる。・・・  」
       ( p18 「賢治の神秘」佼成出版社・1985年 )


はい。堀尾青史著「年譜 宮澤賢治伝」(中公文庫)の
大正11年2月に
「 農学校のために精神歌を作詞、川村悟郎が作曲をした。
   ・・・・・・

  はじめは音楽好きのグループの生徒たちだけで練習していましたが、
  3月の式に間に合うように、全部の生徒に歌わせ、卒業式には、
  りっぱに歌いました。校長さんは、宮澤さんに校歌にしてくれるように
  言いましたが、宮澤さんは・・遠慮して校歌にはしませんでした。
    ―――堀籠文之進談 ・・・         」( p162~163 )


 はい。みんなで卒様式に歌ったとあります。
 はじめて、みんなで歌った時が、校歌の歌い初めだとすると、
 なんだか、私の思いつきは、『春と修羅』の『序』は、
 賢治の頭のなかに、校歌のことがあったのじゃないのか?
 ということでした。

 ちなみに、精神歌は、4番まであり、
 その4番の最後の2行は

 『 ケハシキ旅ノナカニシテ
   ワレラヒカリノミチヲフム 』 とあります。

 うん。これじゃ、校歌にしてくれという校長先生の頼みを
 すんなり了承するわけにはいかない言葉の気がしてきます。

もうひとつ、新潮文庫の『注文の多い料理店』には、
天沢退二郎の文のなかに、大正13年12月1日発行の
『イーハトヴ童話注文の多い料理店』の広告ちらしが引用されています。
「売れ行きは芳しからず、この1冊で終りとなった。その広告ちらしに
 掲載された次の文章は、まちがいなく賢治自身の執筆とみられ、
 重要な文献なので全文を引いておく。  」( p335 新潮文庫 )

 この広告ちらしのなかに、こんな箇所がありました。

「 この童話集の一列は実に作者の心象スケッチの一部である。・・・
  この見地からその特色を数えるならば次の諸点に帰する。 」

はい、このあとに4か条書かれているのですが、ここでは最初の箇所を引用。

 「 🈩 これは正しいものの種子を有し、
     その美しい発芽を待つものである。・・・・  」


うん。ここで宮澤賢治が作詞した『精神歌』の1番が思い浮かびます。

「 日ハ君臨シカガヤキハ
  白金ノ雨ソソギタリ  」

1番は4行ありました。このあとの最後の2行はというと、
 
「 ワレラハ黒キ土ニ俯シ
  マコトノ草ノタネマケリ  」


はい。どなたかが言っておられるかもしれませんが、
それはそれで、かまわないわけですが、
ここで、私が指摘してみたいのは、
『精神歌』と『春と修羅』と童話集『注文の多い料理店』とは、
心象スケッチのかかせないつながりがあるのだろうなあ。

そんなことを思いながら、ひとりユーチューブで精神歌を聴きます。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする