和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

ああでもない、こうでもない。

2023-07-11 | 思いつき
宮澤賢治の年譜をみると、

1921(大正10)年25歳
   12月3日稗貫郡立稗貫農学校教諭となる。
1922(大正11)年26歳
   2月 農学校のために精神歌を作詞
     川村悟郎(当時盛岡高等農林学生)が作曲した。

これは、中公文庫「年譜宮澤賢治伝」堀尾青史著・1991年から引用。
その次のページには、堀籠文之進談として、こうあります。

「川村さんが盛岡から帰って、賢治さんと二人で、ああでもない、
 こうでもないと作曲しておりました。ですから私たちは、
 できあがらないうちから、精神歌をきいていたわけです。

 題ははじめありませんでした。曲ができ上りますと放課後、
 音楽の好きな生徒をのこして歌わせました。

 畠山校長もいい歌だと感心していました。
 はじめは音楽好きのグループの生徒たちだけで
 練習していましたが、3月の式に間に合うように、
 全部の生徒に歌わせ、卒業式には、りっぱに歌いました。

 校長さんは、宮澤さんに校歌にしてくれるように言いましたが、
 宮澤さんは遠慮ぶかい人ですから、遠慮して校歌にはしませんでした。
 ・・・・           」( p163 文庫 )


ちなみに、ちくま文庫「宮沢賢治全集4」には
「農学校歌」と題して掲載されております(p318~319)
これは、文庫の間違いなのでしょう。
ユーチューブで「精神歌」と検索すると、その歌が聞けます。
コメント
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