山口仲美著「日本語が消滅する」(幻冬舎新書・2023年6月)。
この新書を引用したときに、気になっていた箇所がありました。
まずは、そこを引用。
「・・さらに、重要な役割を持った語を後ろに配するという
一貫性のある文の構造をしていましたね。
そして、常に相手の遇し方に気を配り、敬語という特別な
言語形式を持っていました。・・・ 」(p170~171)
はい。『重要な役割を持った語を後ろに配する』というのは、
現在の日本語が、いちばんに変化している箇所ではないかと、
そんなことが思い浮かんだのでした。
うん。現在というと、いろいろとありそうなので、
ちょっと、ここは変化球で、思い浮かんだ本をとり出してくる。
丸谷才一著「挨拶はたいへんだ」(朝日新聞社・2001年。後に文庫)。
この最後に、井上やすし氏と丸谷さんの対談「スピーチでできること」
が載っていて、印象深い箇所があったのでした。
文壇の授賞式のことを語って、一読笑って印象に残ります。
井上】 あれは語り草です。
丸谷】 「私は文学者とはどういうものかということを考えるんです。
一昨日、ある作家の追悼会があって、私は出たんでありますが」
ではじまって。
「いや、待ってください。一昨日じゃなかったかもしれない。
一昨々日だったかもしれません。いや、待ってください。
昨夜だったかもしれません」(笑)。
聞いてるほうとしては、どっちだっていいわけよね。
それなのに、ものすごく厳密を期すんですね。
井上】 そんなことを期してどうするんでしょう。
丸谷】 あれはおかしかったなあ。
井上】 あまりの長いスピーチのために、受賞者の一人が、
『 いいかげんにしないか 』と怒鳴った。
丸谷】 そうそう。あの一言で、彼はあの晩、隋一の人気だったでしょう。
井上】 スピーチを聴いている人たちではなくて、
受賞者の一人が言うんですから、すごい。
丸谷】 日本の昔の文学者みたいですね。
井上】 そうですね。
丸谷】 直情径行だから。でもあれは出席者全員の声を代表してたな(笑)。
詩人たちの会というのは長いのよね。
井上】 普段、短く書いているからでしょう(笑)。
丸谷】 高見順賞のパーティなんて長い。
それから、受賞者の挨拶というので、
だれそれに感謝します。だれそれに感謝しますっていうのを、
はじめから終りまでしゃべる人がいるでしょう。
20人も30人もに対して感謝する。
それで終りなのね。
井上】 ハハハハハ。
丸谷】 感謝される対象と感謝する人との共同体だけの問題ですよね。
井上】 そうですね。
丸谷】 さっき井上さんがおっしゃった、
その場にいる人間の共同体は、
どっかに置き去りにされてるわけです。
井上】 そうです。
・・・・・ ( p222~223 単行本 )
日本語の歴史からみて、
『 さらに、重要な役割を持った語を後ろに配する
という一貫性のある文の構造をしていましたね 』
はい。現在のTPOに即した、日本語をつかうには、
うん。現在の人がその都度、挨拶の場で考える?