原子朗の「賢治・その受容と研究の歴史」をひらいたら、
「新制大学」という言葉が出てくる箇所がありました。
「 さらに、伝記研究も詳細な調査をもとに充実をみせてくる。
堀尾青史『年譜宮澤賢治伝』(1966年)は画期的なもので、
やがて後年の校本全集年譜に結実する。
総じてこの時期には前にいった読者の増加、
新制大学の急増・充実につれて、卒業論文や、
それを指導する教師たちが、賢治の人気や研究を
おし上げていった事情がある。
そのことはあまりいわれていない、
この期以降もつづく賢治受容上の一大側面である。 」
( p382 「群像日本の作家12 宮澤賢治」小学館・1990年 )
はい。この文には、まだ気になる箇所がありました。
「 そうした一般の賢治受容のひろがりと層の厚さは、
おのずからまた賢治の人気を高めていると思われるが、
劇、映画、音楽、漫画までふくめた賢治作品の聴視覚化、
ひいては専門的な評論や研究の盛行の基盤ともなっているのであろう。
それにつけても賢治の多面性の魅力、こどもからおとなまで、
すぐに入っていける親しみやすさ(圧倒的に童話がその役割をしているが)、
そこにはまた安直な賢治理解や、
一面だけでわかったつもりの賢治論等の出てくる落し穴もある、
ということを思わずにはいられない。 」( p383 )
うん。ということで、最後に
紀野一義氏の「『銀河鉄道の夜』解説」の最初の箇所を引用
「童話『銀河鉄道の夜』は、賢治の妹とし子が若くして
死んでしまったあと、賢治が一生かかって書き、
完成しているように見えて、実はついに完成することが
できなかった、ほんとうの、ほんとうの、ライフワークである。
この作品はかつてラジオドラマに構成されて放送されたことがある。
それを聞きながら私は、これが色彩と、音響と、ことばとで織りなされた
幻想的な映画になったらどんなにすばらしいかと思ったものである
のちにテレビが普及し、松本零士によるアニメの超大作
『銀河鉄道999』がテレビに放映された時、
『 あっ、これは銀河鉄道の夜だ 』と叫んだものだった。・・」
( p112 紀野一義「賢治の神秘」佼成出版社・1985年 )
コメントありがとうございます。
わたしは、これから賢治童話を
読もうとしております。それで、
水仙さんのコメントですが、
御見事。その出鼻をくじく(笑)。
水仙さんにナーバスの花が、
今回は咲いているようです。
つかれましたか?水仙さんは
『埋もれる人』なんかじゃないのに。