和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

読みながら。

2010-01-16 | 短文紹介
ネットで古本を購入するようになってから、本を読みながら、関連本にすぐ触手を伸ばす癖がつきました。

外山滋比古氏が語っております。
「本を読むのは面倒なものだ。初心者は、最後まで読み通すのに根気と我慢がいると覚悟したほうがいいだろう。」

うん。私の場合。本を最後まで読み通す根気と我慢が常時欠けているのかもしれない。読んでいる途中で、関連本をついついネットで注文したくなる癖がついております。いつのまにか、読みながら本を注文。ひどいときは、表紙の著者名を見て、読まないうちからつい注文。
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三人の王子。

2010-01-15 | 短文紹介
セレンディピティという言葉は、外山滋比古氏のエッセイを読んでいると随所に出てくるのでした。まずは、「思考の整理学」(ちくま文庫)では、
「戦後しばらくのころ、アメリカで対潜水艦兵器の開発に力を入れていた。それには、まず、潜水艦の機関音をとらえる優秀な音波探知機をつくる必要があった。」とはじまって、
それがイルカの交信という別の新しい発見に導かれたことを、説明して
「科学者の間では、こういう行きがけの駄賃のようにして生まれる発見、発明のことを、セレンディピティと呼んでいる。ことにアメリカでは、日常会話にもしばしば出るほどになっている。自然科学の世界はともかく、わが国の知識人の間でさえ、セレンディピティということばをきくことがすくないのは、一般に創造的思考への関心が充分でないことを物語っているのかもしれない。・・」(p66)

「ちょっとした勉強のコツ」(PHP文庫)では、「セレンディピティ 偶然の発見」と題しており、こうはじめておりました。

「いつも机の上がちらかっているものだから、ほしいものが、どこかにまぎれて見つからない。消しゴムを探しているのに、どこへ雲がくれしたのか、出てこない。ところが、思いもかけず、万年筆がとび出してくる。前にさんざん探したのに、どうしても見つからなかったものである。書棚の本をとり出そうと、心当たりのところへ行ってみると、求める本はなくて、その代わりというのもおかしいが、かつて見たいと思いながら、どうしても見つからなかった本が目に入った。何だ、こんなところにあったのか、となるのである。・・・こういう思いがけない発見、目標としていないところの発見のことを、セレンディピティというのである。自然科学における大きな発見で、セレンディピティによるものがすくなくない。ねらっていることはうまくいかないのに、行きがけの駄賃のように夢にも考えなかった大きなものを見つける。偶然の、幸運な発見である。アメリカ人はこのセレンディピティということばがよほど好きらしい。セレンディピティを名乗るレストランやデパート、競走馬まであるという話である。このことばの響きがよいのだ、という人もいる。」(p140~)

「知的創造のヒント」(講談社現代新書)には、どう書かれていたか。

「・・この偶然のことをセレンディピティというのである。これは、科学者には親しまれている日常語のひとつといってよい。昔、セイロンに三人の王子がいて、思いがけないものを掘り出す名人であった。かれらが当面さがしているものではない別のすばらしいものをさがし当てるということを筋にした童話があった。それが十八世紀のイギリスで、『セレンディップの三人の王子』と呼ばれた。セレンディップとはセイロン、いまのスリランカの古名。
ホレス・ウォルポールというイギリスの小説家が、この童話をもとにして、セレンディピティーという語を造り、偶然に思いがけない発見をすることの意味に使った。1754年1月28日、友人あての手紙の中ではじめてこれを用いたという。」(p57)

「何かやってうまくいかなかったらいい加減でそれをひとまずお預けにする。そしておもしろそうなことを何かやってみる。その間に、はじめやっていたことは路傍の花のように見える、いいかえると、セレンディピティーをおこしやすい位置に見える。しばらくしたら、また帰ってきてもう一度試みてみると、こんどは案外すらすら進む。そういうことがあるものだ。これはしばらく風を入れていたことになる。寝かせていたのである。ウィラ・キャザーというアメリカの女流小説家が『ひとつでは多すぎる。ひとつだけではそれがすべてを独占してしまう』ということばを残している。彼女のいったのは恋愛のことで、恋人がひとりだとものが見えなくなってしまって危険だという指摘だが、このひとつをひとつだけの関心と読みかえてみるのもおもしろい。考えようとすることも『ひとつでは多すぎる。ひとつだけではそれがすべてを独占してしまう』ために、不毛になる。人間は好むと好まざるとにかかわらず、じつにさまざまなことをしなくてはならないように運命づけられている。その点で機械とはまったく違う。これは、思えば幸いなことである。
近代の人間は有能な専門機械のようにごく狭い範囲の仕事にだけ高度の能力をもつことを理想にしてきたために、大らかな創造の喜びを知ることがすくなくなってしまった。普通の生活をしていれば、セレンディピティーのようなことは毎日のように起る。それをわれわれは何気なく『ふとおもしろいことを思い付いた』などといって見のがしているが、思い付きはもっと大事にされなくてはならない。・・・」(~p60)


このセレンディピティーは、ちょっと学生に説明するのは難しいらしいですね。
外山氏は「思考の整理学」でこう書きこんでおります。

「論文を書こうとしている学生に言うことにしている。
『テーマはひとつでは多すぎる。すくなくとも、二つ、できれば、三つもって、スタートしてほしい』。きいた方では、なぜ、ひとつでは『多すぎる』のかぴんと来ないらしいが、そんなことはわかるときになれば、わかる。わからぬときにいくら説明しても無駄である。」(p43)

ちなみに、藤原書店から、よしだみどり訳で「セレンディピティ物語 幸せを招(よ)ぶ三人の王子」が出ております。昨年の暮れに、別の本を探し物をしていて、その本が出てきました。
どんな内容かは読んでのお楽しみ。

そういえば、「ことばの四季」(中公文庫)で外山氏はこう語っておりました。

「『こどもは喜んで聞いてくれますけれど、オトギバナシって、話す方には、バカゲていて、ほんとにつまりませんね』
若いお母さんが、そんなことを言った。女性の教育水準が高くなったせいか、同じような気持をいだく人がふえているらしい。ときどきこれに近いことばを耳にする。これは解釈のおもしろさを知らない人のせりふである。昔話、伝説には案外大きな含みがある。・・・思いがけない発見もある。おとなにとってもオトギバナシは結構たのしめるのである。」(p131)
もっとも、ここでは、セレンディピティー物語じゃなくて、モモタロウの話につなげておりました。

解釈ということで、ついでですから、
2010年1月1日読売新聞の文化欄に外山滋比古氏の談話が掲載されておりました。そのはじまりを引用。


「本を読むのは面倒なものだ。
初心者は、最後まで読み通すのに根気と我慢がいると覚悟したほうがいいだろう。読書には『解釈』という、日常の生活ではめったに使わない頭の働きが必要となる。己の頭で活字を意味に替え、創造力や想像力を働かせて理解する過程が、思考力を高めてくれる。・・・」
この全文引用をしたいのはやまやまながら、これくらいで。
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さりげない。

2010-01-14 | 短文紹介
外山滋比古氏の文に、さりげなくも、貴重な数行があらわれる瞬間があります。それをどう言えばよいのやら。たとえば古典の「徒然草」をあなたなら、どう数行で表現するでしょう。そう言ってみて、やおら外山氏の数行を引用するわけです。

「『徒然草』はわが国屈指のモラルの書である。最大の古典だという人もある。趣味のよさというものをこれほどはっきりあらわしている作品はないとしてよいであろう。」
これは「大人の言葉づかい」(「中経の文庫」)にある短文「自慢話は人をしらけさせる」の始まりの3行。さっと一瞬で古典を切ってみせたような。あっという間の出来事として、次の行へと読み進んでしまうのですが、ごたごたと説明などせずに次へ文は進むのです。



それでは、夏目漱石を、外山氏はどう取り上げるのか?

外山滋比古著「ユーモアのレッスン」(中公新書)から、それらしき箇所を引用。


「夏目漱石は、いまや古典的作家である。その人生探求はいまなおつよい影響力を失っていない。一般に真面目な作家であると見なされているが、文学的活動のはじまりは、ユーモアと笑いをねらった創作であったのは、おもしろい。ただ、深刻な思想、人生観をよろこぶわが国の文学批評にとっては、そうした軽い作品が尊重されるわけもなく、いわば放置されてきている。ただ、一般の読者にとっては、ユーモア作品の漱石の方が身近に感じられるのもまた事実である。漱石における笑いは、不当に低く評価されているといわなくてはならない。そのユーモア作品は、処女作としてよい『吾輩は猫である』と、『坊つちやん』である。」(p147)

このあとに「吾輩は猫である」の一部を引用してから

「えんえんと話し続ける調子は、落語家のある種の語り口をかすかに連想させる。そういえば、漱石は落語が好きで、よくききに行ったそうである。『吾輩は猫である』は知的な読者へ向けての落語であったと考えることもできる。冗舌のスタイルである。おもしろい見方で意表をつく言い方が新鮮である。・・・」

「『坊つちやん』は、『吾輩は猫である』に比べて、いっそう諧謔性が高い。はっきりユーモア小説だといっても差支えない。しかし、『猫』に比べて、知的なウィットは影をひそめて、むしろ、しみじみとしたぺイソスのような味わいがつよくなっているのが注目される。ユーモアとしては深化していると見てよい。人物の描き方にしても、下女の清(きよ)は主人公坊っちゃんを愛して感動的である。」(p148~149)


ただ。拍手。
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三行の埋草。

2010-01-13 | 短文紹介
同じ外山滋比古氏のエッセイなのに、まるっきり味わいが違って感じられる。
そんな文があったりします。

たとえば、
「昔の人はよく、手紙一本ろくに書けない、といったものだが、いまははがき一本まっとうに書けたら、社会人の教養は身についているとしてよいだろう。」(p16・「大人の言葉づかい」)

この箇所を読んでから、外山滋比古著「文章を書くこころ」(php文庫)を読むと「ピリリと辛い文章」と題した文が気になりました。
以下その引用。


「学校を出て間もなく、月刊『英語青年』という英文学専門雑誌の編集をまかされた。」とはじまっております。以下ポツポツと飛ばしながら引用。

「校正などじきにうまくなるものだ。思いがけない伏兵は埋草であった。」

「あきがはっきりするのは初校が出てきてからである。初校のゲラといっしょに埋草原稿をつけて印刷所へ戻すのだが、時間のゆとりがない。はじめのうちは、たかが三行か、なんだ五行か、と思っていたが、とんだ見当違いであることがわかった。何回下書きをしても、いっこうにうまくきまってくれない。思い切って想を新たにして書き出してみる。すると八行にも十行にもなってしまい、とても五行にはおさまってくれない。やり直し。・・・やがて活字になって出てくるのを見ると、われながら目をおおいたくなる。これはいけないと、削ったり書き足したりするから、ゲラは真っ赤。印刷所がかんかんになっておこるのはわかっているが、これを放っておかれようか。
毎月そういうことを繰り返していて、つくづく短い文章はおそろしいと思うようになった。三行の埋草に、三時間も五時間もかかる。これでは400字詰10枚、15枚の原稿だと気が遠くなるほどの時間になってしまう。そう考えて、原稿恐怖症にかかった。
三行に五時間かかるのなら、10枚の原稿なら何百時間もかかる。そういう小学生の算術は文章には適用できないことに気付くようになったのは何年もしてからである。むしろ長い文章の方が書きやすい。三行だからこそ、五時間もかかって、しかもすこしもうまく行かない。10枚なら五時間もあれば、ゲラ刷りをそれほど赤くしなくてもいいものが書ける。10枚でなく、50枚ならもっと書きやすい。10枚の五倍の時間がかかるとは限らない。そういうことはだれも教えてくれない。経験によって学んだ。ずいぶん恥かしい思いをし、多くの人に迷惑をかけて体得した。自分にとってはまことに貴重な知恵である。
よく、手紙を書くのは面倒だ、と言う人がいる。時間がないから手紙ではなくてはがきにしようと言っている人もある。やはり誤解で、はがきをうまく書く時間があるくらいなら、手紙はりっぱに書けるはず。時間がないからはがきはよして、手紙にしようという方が本当だと思う。」(p15~17)


う~ん。年賀葉書に、時間をかけてしまった方。手紙の方が楽なようです(笑)。
ということで、今年は手紙を書くように心がけます。
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文字が寒々と。

2010-01-12 | 手紙
1月の新聞。その歌壇・俳壇。

読売俳壇1月11日
正木ゆう子選の最初

 逆境を逆さまにして枇杷(びわ)咲きぬ   千葉県 滝沢ゆき子

【評】逆境を逆さにしたら順境になるのか。或いは逆手に取るのか。このちょっと意味不明の言い回しが面白い。俳句というもの、時々は読み解けないところを楽しむのもいい。

ちなみに、読売新聞1月4日「新春を詠む」での正木ゆう子氏の俳句は

  松籟(しょうらい)に風を知りたる初景色

  大樟(おおくす)のこゑ聞きにゆく大旦(おおあした)


1月11日の読売歌壇。
岡野弘彦選のはじまりは

 仕返しをしたき男が一人おったシベリアを語らぬ父の一言
           草加市 斎藤宏遠

【評】シベリアの抑留生活を体験した人達は誰も語ることをしない。作者の亡き父も、この短い一言のほかは語らなかった。この歌の上の句は呪言(じゅげん)の重さで心に残る。


さてっと。
毎日新聞1月10日の毎日歌壇。
その伊藤一彦選が、面白かった。

一筆も手書きのあとのない賀状 住所名前も他人のごとし
            幸手市 川俣英男
【評】手書きのあとの少しもない賀状のよそよそしさを下の句で端的に表現。今週は以下の二首も賀状の歌である。

「手書き派は少ないけれどガンバロ!」と友との賀状手書き同盟
            厚木市 伊藤 慶

数秒で読み捨てられるかも知れぬ年賀葉書を丹念に書く
            能美市 山上秋恵


普通は、見過ごすだろう歌なのですが、
今回はちょっと違いました。思い浮かんぶ文があります。

外山滋比古著「ことばの教養」(中公文庫)。そこに

「せっかく印刷したのだから、手書きの文字などでよごし?たくないという気になるのかもしれない。印刷しただけの文字が寒々と並んだ年賀状を出す。若いときはものを知らない。それはしかたがないが、ものを学ぼうという心のすくないのは困る。気をつけてみると、趣を解するほどの人は多く、印刷した賀状でも何かひとこと手書きの文句を添えてくる。それを見ればいいなと思うだろう。そしたら、自分も一行でも半行でもメッセージを書き添える習慣をつけるのである。
印刷だけの賀状と添え書きのあるものと、もらってどちらがうれしいかわからないような人は心が荒れている。情操教育を受け直さないといけない。それが必要なのが若い人に多いのは当然だが、いい年をした、いわゆるエライ人にもあるのだからおもしろい。」(p69)

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成人と大人。

2010-01-11 | 短文紹介
今日は1月11日で成人式だそうです。
ちょうど、今日成人の日に読んだ本の紹介。

外山滋比古著「人に聞けない 大人の言葉づかい」(中経の文庫)
この文庫は、2005年に刊行された「大人の日本語」を改題のうえ、再編集したものだ。とあります。ちょうど、成人式にふさわしい読み物でした。
ということで紹介。

社会へ出てからの心構え。
そう、大人が教えてくれない、ちょっとしたことを懇切丁寧に書いてくれております。別に読みたくない人は読まなくてもいいのです。本はちゃんと黙って待ってくれております。ですが、現在は、そういう静かな本の在り処を探そうとすると、見つけ出せない、ちょっとやっかいな時代であるような気がします。

そういう本を紹介できる嬉しさ。

たとえば、最初にこうあります。

「・・電話でお礼をいうのは、いまでは当たり前になっていて、すこしもおかしくないが、すこし先輩の人だと、なんだ、電話なんかで・・・と思う。ことに男は保守的だから、電話のお礼をよろこばない。
はがきなら電話より、ましであるのはたしかだが、もともとはがきは私信ではない。あけっぴろげで、だれでも見ることができる。いくらかでも個人的なことは、はがきに書いてはいけないことになっている。はがきは信書ではないから、信書の秘密というのは手紙でしか認められない。はがきには及ばない。
それらを家庭で教えなくなった。もちろん学校では教えてくれない。勤めても教えてくれる人がいない。それで、はがきも手紙だと思っている人が多い。」(p15)

次のページには、そのはがきのことが出てきます。

「昔の人はよく、手紙一本ろくに書けない、といったものだが、いまははがき一本まっとうに書けたら、社会人の教養は身についているとしてよいだろう。それだけに、もらった人が読みかえすようなはがきが書けたらりっぱな人間だ。」(p16)


「あいさつは人間尊重の精神のあらわれである。相手のことを思いやる心のあるのが大人である。あいさつのできないのはこども。こどもなら愛嬌だが、いい年をした人間だと笑止の沙汰になる。
これは些細なことだが、返事をもらうつもりの手紙、はがきであるのに、自分の住所の郵便番号を書かない人がいる。返事を書く人は郵便番号帳で番号をさがさなくてはならない。返事をする人は、やれやれと思う。それを予測できないのは想像力の欠如である。自分の郵便番号をつけない人は、いつもつけない。そういう手紙には、必要な返事でも、出さないのだ、といっている人がいる。その気持ちがよくわかる。」(p80)

敬語についても、書かれておりました。その最後の箇所。

「こどもは敬語を必要としない。そして敬語が使えないのは、まだ、心をもってほかの人とつき合うという段階に達していないからである。・・・
戦後、敬語がほとんど半壊の状態になったのは、人と人とのつき合いが、殺伐、無味、利益の結びつきになったことの象徴である。
それに対して、いちはやく敬語の再興を求めたのは企業に働く人たちであった。仕事を円滑にすすめるためには、ただのコミュニケーションの技術だけでなく、相手と友好の関係におくことが大切であるのを、実生活で気づいたからである。ことばの心理として敬語はもっとも洗練された様式である。企業に就職した若い人が、ひそかに買いもとめるのは敬語の使い方を教える本だといわれる。
家庭や学校、ことに、家庭は、その話をきいて恥じなくてはならない。」(p160~161)


ことばに口やかましい先生が、ここにはおります。
生徒ならば、敬遠してしまいそうな、先生がここにおります。
成人ならば、有り難いと思って読みたくなる教えが、ここにあります。
ちょうど、今日は成人式でした。

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原稿依頼。

2010-01-10 | 短文紹介
忘却ということで、
外山滋比古氏の「忘却の整理学」「忘却の力」の二冊を読みました。

短文コラムの「忘却の力」(みすず書房)の方が読みやすかった。
授業中の教師による雑談のような味わい。あとで、きっと思い出されるだろうことが詰っているような。そんな味わい。
「忘却の整理学」(筑摩書房)の方は、テーマでまとめてみました。という感じ。
私は「忘却の力」の方が好きです。

というか、両方を読むとですね。
その味わいの微妙な差を愉しむことができる。
そんな贅沢が味わえます。

ちょっとしたことですが、すこし引用しましょ。

手紙について、

「昔のはなし。平田禿木という文学者がいた。雑誌の記者が訪れて、原稿執筆を依頼する。禿木先生にこやかにそれを承諾する。記者がほかをまわって帰ると、禿木からの速達が来ていて(昔の郵便はそれほど速かった)、『執筆いたしかね候』などとあって仰天する。そういうことがあちこちでおこって有名になった。面と向って言いにくいことも、手紙なら言いやすいのかもしれない。それに候文というスタイルは社交の原理をうまく回避することができるのか。」(「忘却の力」p174)

これが、「忘却の整理学」では、こんな感じでありました。

「大事な用件を電話で伝え、即答を求める人がいる。受けた方も経験が乏しいと、なんとしても即答しないといけないように思って、よく考えもしないで、返事をしてしまうことがある。しばらくすると、しまった、早まった、と思うが、取消しの電話をするのもはばかられる。ぐずぐずしているうちに、具体的に処理しなくてはならなくなって、苦労する。こういうことが何度かあると、電話の返事に慎重になる。心ある人は、熟慮を要するようなことは電話で伝えることを控える。手紙で書けば、相手にはたっぷり考える時間がある。」(p145)

さて、どちらの文が好きかは、好みの問題でしょうか。
ついでに原稿ということで、「忘却の整理学」に寺田寅彦氏が登場しておりました。

「寺田寅彦はエッセイを書いた最初の科学者で、文名が高くなるにつれて多くの原稿を書いたが、いつも締切りに後れるようなことはなかった、と伝えられる。
寅彦は、執筆を依頼されて、引受けると、その日のうちに書いてしまったらしい。すすめられて、書く気になったところで書くのは最高のタイミングであろう。締切り間近までほっておくと、はじめの乗り気はもちろん消えてしまっているから、とりかかるまでのウォーミング・アップにも時間がかかって、締切りに追われることになる。そういうことを避けるには、書きたいと思ったとき、しかも、締切りは大分先である。圧迫感はなく、自由にのびのび書くことができる。そうして出来た原稿を机の抽出しに納めて、締切りを待ち、読み返した原稿を渡すという順序である。結果がよいから、それがルールのようになったのであろうか。」(p117)

このあとある作家のことを編集者の回顧録で読んだと引用しておりました。
それは

「ある流行作家である。原稿を頼まれると、なるべく早く、出来れば、その日のうちに、短篇なら書き上げてしまう。寅彦流である。
そして締切り。雑誌記者が、原稿をもらいに来る。先生、すこしもさわがず、編集者を待たせて、読み返し、手を入れてから渡した。それだけ待たせるには権威がないと出来ないことだが、やはり、書きたての原稿をロクに読み返しもせずに渡しているのにくらべたら、文章の洗練度が違う。
原稿は風に入れて、ひととき寝かせてやらないと、うまい推敲にならないことをこれらの挿話は伝えている。」(p118)

このあとに推敲の話と、ヘミングウェイの貸金庫という話がつづいておりました。

どっちかといえば、「忘却の力」の方が、授業で脱線する教師のように、個人的な生活の様子が窺い知れたりするのです(笑)。
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知的散文。

2010-01-09 | 短文紹介
今日、古本屋から外山滋比古著「忘却の力」(みすず書房)が届く。
読み始めると(「忘却の整理学」を読んでいる途中なのですが)、その本とは毛色が違っておりました。「忘却の力」は短文のコラムをまとめた一冊。

ちょっと気になった箇所。

「小説はヨーロッパで出来た大型表現で、ひところは上中下三冊という作品が流行した。散文が未発達だったからで、文章力が高まってショート・ストーリーがあらわれた。しかし、なお充分短くはない。」(p111)

「わたくしが、好んで追悼文を読み、コラムに親しむのも、ワン・シッティングでかたがつくからである。雑誌でも長大論文は敬遠して、埋草のようなものを喜ぶ、こういう性向はひろく現代人に共有されていて、本は読まないが、週刊誌を読むのである。週刊誌の雑駁な記事に比べて、追悼文は練られていて親しむに足りる。」(p135)

そして、この「忘却の力」が親しめるコラムになっているのに驚く。
私には、学校の先生の授業の余談を聴いているような奇妙な感じをともないますが、それにしても、味わいが深いなあ。

ところで、清水幾太郎著作集の第19巻の月報(1993年)は外山滋比古氏が書いておりました。題して「知的散文の創造」とあります。そこから引用。

その月報で、翻訳の文章を取り上げておりました。

「日本語の論理がおかしいのではない。元来、日本語になかった要素を訳文にもち込んだために筋道の通りが悪くなったのである。これは一例にすぎないが、そうした翻訳文体が一般の知的散文を支配するようになり、日本語の二重構造を招来した。日本語は外国語と違う。そして日本語には独自の表現様式があるということをはっきりのべたのは谷崎潤一郎である。『文章読本』の中で、原文に忠実に逐語訳した訳文を例にして、それ以上、原文に即すれば日本語でなくなるということを実地に示した。訳文は原文べったりであってはならない、原文離れが必要だというのである。文学の立場で、欧文の原文に引かれた翻訳文体から独立した日本語本来のスタイルを求めたものである。
こうした考えは思想、学問の世界へすぐには及ばなかった。もっとも、まったく変化がなかったわけではない。『文章読本』の出たのは1934年であるが、そのころから清水幾太郎はやがて谷崎潤一郎が文学に関して考え実践したことを知的散文においてすることになるからである。
その仕事とは外国文献の紹介と批評を千字の枠の中で行なうものであった。・・・・」

その月報の最後は、というと

「・・・・[裸の思想]はいけないが、文章はたんにその衣裳であるのではない。包まれている思想と不可分に融合している。そういう清水レトリックは知的散文を一般の人々の理解の範囲へ引き寄せるのに大きな貢献をした。文は思考であり、思想は人である。それを具現したのが清水幾太郎であった。それは個人の文体創造にとどまらず、近代日本が苦しみつづけた翻訳文体という借着を脱ぎすて、体に合った知的文体の獲得という歴史的意義をもつことになった。」


さて、1923年生まれの外山滋比古氏の、80歳をこえられた、その人の散文コラムを私はいま読んでいるのだと、あらためて、この「忘却の力」を読みながら思うのでした。

まだ途中ですけれど・・・
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昨日も炬燵。

2010-01-08 | 短文紹介
何とも、炬燵(こたつ)にはいると、出にくいですね。
はいらなければいい。うん。しかし。
炬燵で本をひろげている。ちょっと気になる言葉がある。
付箋を貼りたくなる。炬燵のまわりにはない。
う~ん。どうしよう。
線を引きたくなる、炬燵のまわりにはない。
う~ん。そこで、本を読むのをやめて、しばし考える。
もちろん。本の内容を考えるのじゃなくて、
炬燵から出ようかどうか、考える(笑)。

昨日は外山滋比古著「忘却の整理学」(筑摩書房)をすこしひらきながら、
そのサイクルにはまっておりました。
まず、付箋を貼りたかった箇所は「記憶が根づく」というところでした

「単に知識の量をふやしたいのであれば、忘れたりしていては不都合であるから、忘却はいつとはなしに記憶の目の敵にされてしまう。記憶がしっかり根づくには、自分にとって価値あるものになるよう、いったん、あるいは何度となく忘却の波に洗われることが必要である、ということに気づく人はまれであった。少なくとも、忘却を弁護する教師はいなかった。そのために、知識はその力を失い、みずからの頭の中ふかく繰り込まれることなく、いつまでも知識として蓄積される。」(p66~67)

「知識と思考の量は反比例するというのは検討に値する命題である。」(p67)

「思考のとりえはとにかく疾いこと。一瞬、千里を走ることができる。三分の黙考が、本にしたら十ページ、二十ページになることも不可能ではない。それこそ休み、休み、忘れ、忘れて継続的に思考を積み重ねる。」


ああ、こんな箇所もありました。

「人間は、電灯のおかげで夜ふかしになってしまった。夜おそくまで勉強したり、仕事をしたりすることを何とも思わなくなったどころか、むしろ深夜の仕事、勉強を、たいそうえらいことのように考える傾向がつよい。かつては作家なども、夕方から動き出し、夜中まで、ときに、夜を徹して仕事をするのを誇りにしていたらしい。菊池寛が『夜には一行だって書こうと思わない』と宣言したとき、世の知識人はつよい衝撃を受けた。」(p94)


この「えらいことのように考える傾向がつよい」には、まいってしまいました。
と昨日の夜は、炬燵に足を飲み込まれたまま、本も先を読みすすむわけでもなくボウッとしてすぎたような按配でした。



ああ、そうそう。
外山滋比古氏の著作ですが、
「葦のずいから」は、文庫「新学問のすすめ」となっておりました。
「読み書き話す」は、「ことばのある暮し」
(これ、まえにも書き込んだのにすっかり忘れてしまっておりました)。
「中年閑居して・・」は、文庫「ライフワークの思想」となっているようです。


とりあえず、「忘却の整理学」を読んでいる途中なのですが、
「忘却の力」も外山氏が出しておられるので、ネット古本屋へと注文しておきました。
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コタツで。

2010-01-07 | 他生の縁
寒いと、ついついコタツに。
家では、冷暖房完備とはいかないので、ホットカーペットの上にコタツ。
そこに、あぐらをかけば、ゴロリと横になり、枕がほしくなり。
お~い、毎年おなじじゃないか。

さ~て、そんなコタツで読む本に、
外山滋比古著「ちょとした勉強のコツ」(PHP文庫)がありました。
そこに「いざ立て」という8ページほどの文。
そこにコタツが出てきました。


「椅子に腰をかけていると、立居に敏捷さを欠く。立っていればすぐ動けるが、すわっていれば、立ち上がらなくてはならない(コタツに入っていると、不精になって、めったなことでは立とうとしないで、人を使う)。立ったままで仕事をするのは、よい考えである。ただ、機敏に動けるというだけでなく、仕事そのものの能率も高まる。」(p68)

ふ~ん。とコタツに入りながら私は読んでいるわけです。
せっかくですから、肝心なそのつづきも引用してゆきます。

「仕事をするには、立っていなくてはいけない。かつて、イギリスで事務をとる者は、すべて立っていた。記帳したり、書類をつくるのに、机は必要であるが、椅子に腰かけて机に向かうのではない。立って使うのにちょうどいいように高くなっている。
机で書いたり読んだりの仕事をすると、どうしても前かがみになる。姿勢がよくない。そうならないように、イギリスの書きもの机は、上が平らではなく、手前さがりの斜面になっている。これだと、直立の姿勢で文字を書くことができる。事務処理の能率が上がるのはもちろんである。
ただ、立っているのが疲れるから、というので、こういう机がすくなくなり、椅子にかけて、平面机で仕事をするのが普通になった。
平面机だと、本を読むような場合も、上と下とでは、目との距離がちがうから、読みにくくなるはずである。前さがりの斜面机だと、上下で目との距離がほとんど変わらなくて、目のためにもよろしい。合理的な机である。ところが、こういう机はいまではほとんどなくなってしまった。勉強机には斜面机が最高である。・・・」

ここからすこし話題がそれて、1ページ半ほどあとに

「かくいう私も、そういう机で仕事をしたことがある。普通のすわり机の上に、立ってちょうどよい高さになる箱を置いて、その上で書きものをした。頭のはたらきがよくなったかどうかはわからなかったが、これだと、手早くことがすすむことはたしかである。
そういう試みをするきっかけは、ある評論家が、原稿はすべて立って書く、腰をおろして書いたのでは文章に力が入らない、勢いがなくてダメだ、と断言するのをきいて、それなら、ひとつ自分もやってみようと思ったのである。しかし、あり合わせの箱などをのせた机だから、どうもおちつかない。半年もしてもとの机に戻ってしまった。その評論家は、特別にあつらえて、立ち机をこしらえたと言っていた。・・・」


さあ~て。この文にある「ある評論家が」というのは、はたしてどなたか?
ひょっとしたら、と思える文がありました。
「清水幾太郎著作集19」(講談社)の月報は外山滋比古氏でした題して「知的散文の創造」とあり、以前読んだことがありました。その第19巻の補遺の文に「立ち机の功用」という2ページの文があったのでした。

ここは、重要だと思いますので、コタツに入りながらの私ではありますが、
ちょっと、簡単には手に入らない本でしょうから、ていねいに引用させていただきます。
はじまりから

「約25年間、私はこれが欲しくて堪らなかった。初めて見たのは、1930年代の末、私が関係していた上智大学付設の修道院の、J・B・クラウスの部屋であった。細長い彼の部屋には、寝台と、少しの書物と、これとがあったように覚えている。
初めて見る私に向って、これがいかに便利であるかをクラウスは強調した。しかし、彼が強調するまでもなく、私は忽ちこれが欲しくなっていた。私が欲しくなったのは、そうとは気づかなかったものの、何かを考える時、部屋の中をウロウロと歩き廻る私の癖、考えつくと、考えが逃げ出すのを恐れて、ソワソワとメモをとる私の癖、少しでも気にかかる点に出会うと、あの本、この本と、それを本気で読むというのでなく、忙しく開いてみる私の癖・・・そういう癖のある私にとって、これは、恐らくクラウスにとってより便利なものと感じられたのであろう。
・・・欲しくて堪らなかったが、それどころでない戦争の日々が続き、戦争後のドサクサの最中にクラウスは死んでしまった。たまさか、家具屋などに話しても、なかなか判って貰えず・・長い年月が経てしまった。」 

その後、四分の一世紀あとに、鈴木寿美子氏がつくってくれることになるのでした。
ちなみにこの清水氏の文は(昭和39年9月)に書かれております。


う~ん。外山氏の月報には、その机について書かれてはいないのですが、
外山氏の文庫の箇所「その評論家は、特別にあつらえて、立ち机をこしらえたと言っていた」とあるので、おそらく清水幾太郎氏が「その評論家」で、まずは間違いなさそうです。
そうは思いませんか。何ともコタツに入りながら、こうして同意をもとめるのは、場違いだと感じつつ。
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賀状。

2010-01-06 | 手紙
今年は手紙を書こう。
といつも思うのにね(笑)。

産経新聞1月5日の産経歌壇。
伊藤一彦選の一番最初は、

 賀状だけになった友にはびっしりと近況を書く笑顔想(おも)って
         羽曳野市 西村真千子

【選評】結句が特に印象的。毎年三百五十枚くらい賀状を出す作者というが、真心をこめて書かれたこんな賀状をもらった人は何度も読み返すはず。



ははははは。賀状に数行書くのに一夜を費やす私でした。

よし。今年は手紙を書こう。
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出初め。

2010-01-05 | Weblog
今日は、市の消防団出初め式。
6時に新聞を取りに外へ出ると、月が流れる黒雲に隠れるところ。
青空が見える。夜中雷と伴う雨でしたが、私はぐっすり眠りました。
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詠まれた歌。

2010-01-04 | 詩歌
皇后陛下が昨年詠まれた歌が1月1日新聞に掲載されておりました。

  [ 宇宙飛行士帰還 ]

 夏草の茂れる星に還り来てまづその草の香を云ひし人


読売新聞の1月4日は、今年初めての読売歌壇俳壇。

 栗木京子選のはじめは

 徘徊する母追う妻をわれが追う午前三時の冬の星空  西条市 一原晶吾

 岡野弘彦選のはじめと二番目

 親同志『決め酒』のみて結婚し夫も元気で七十年経つ 青森県 岩舘すみ

 利根川のほとりに生まれ終(つひ)の地と鮭にならひてもどり来たりぬ
                 香取市 嶋田武夫

 俳句では、正木ゆう子選のはじめから三句

 山眠る雲の図鑑を枕辺に  狭山市 浜中雅子

 願ふでも祈るでもなし初詣 橿原市 堀江重臣

 落とす厄なき齢とはなりにけり 大垣市 伊藤英司


今年は元旦の2時頃に、玄関を出て空を見て、
屋根には雪が、空は雲間に青空の丸い月あり。
4日には6時半ごろに、車で15分ほどの他所の海岸へ
私は助手席。空には月がありました。
雲間の日の出をみて帰ってきました。 

 
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元旦新聞。

2010-01-03 | 前書・後書。
3日になったら、新聞が配達されてきました。
うん。ちょっとね。それより産経新聞1月1日の正論欄。
新保祐司氏の文が印象に残ります。
はじめの方に、
「後世から振り返れば、今日の大方の日本人が思っているよりもはるかに深刻な『国難』の中にある現政権下の日本の行末を憂える・・・」
真ん中を端折って最後は

「小林秀雄は『戦争と平和』と題した戦時中の文章の中で、トルストイが『戦争と平和』を執筆したときに、その剛毅な心が洞察したことは、戦争と平和とは同じものだ、という恐ろしい思想ではなかったか、と書いた。『戦争と平和とは同じものである』ならば、今日の一見、『平和』に見える日本も実は、底流において一種の『戦争』の中にあるのである。『国民』たる者の一人一人が、それぞれの仕事の場において、日本が日本である精神的価値を守るために戦わなくてはならない。吉田松陰は死を前にした書簡の中で『くれぐれも人を哀しまんよりは、自ら勤むること肝要に御座候』と書いた。『祖国』の防衛のために、『自ら勤』めなくてはならない。そういう年が、いよいよ始まったのである。」

ところで、
小林秀雄の「戦争と平和」という文が気になりました。
それは

「正月元旦の朝、僕は、帝国海軍真珠湾爆撃の写真が新聞に載っているのを眺めていた。」とはじまっておりました。
その文の最後は

「・・・トルストイが、『戦争と平和』を書いた時に彼の剛毅な心が洞察したぎりぎりのものではなかったか。戦争と平和とは同じものだ、という恐ろしい思想ではなかったか。近代人は、犯罪心理学という様なものを思い付いた伝で、戦争心理学という様な奇妙なものを拵へ上げてしまった。戦は好戦派という様な人間がいるから起こるのではない。人生がもともと戦いだから起るのである。」


平成21年元旦の新聞を開きながら、混迷の行き着く先に、言葉が逆に輝く。その瞬間に立ち会っているのだろう、と思うのでした。
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父兄一同。

2010-01-02 | Weblog
2日も、年賀葉書の配達あり。

元旦の新聞。
産経新聞の本の広告。
迎春「2010年読み始め」に各社の本の広告が並んでおりました。
そこの筑摩書房は「外山滋比古の本」として「思考の整理学」「忘却の整理学」の二冊を広告しておりました。せっかくですから、その「思考の整理学」の脇文。「2年連続。東大・京大で一番売れた本(東大・京大生協調べ)新しい発想のヒント満載。138万部突破」とあります。
読売新聞の文化欄に「国民読書年スタート・本の愉悦2010」とあります。
そのページの右上に英文学者・外山滋比古(1923年生まれ)の(談)が載っております。せっかくですから、そのはじまりだけでも。

「本を読むのは面倒なものだ。初心者は、最後まで読み通すのに根気と我慢がいると覚悟したほうがいいだろう。読書には『解釈』という、日常の生活ではめったに使わない頭の働きが必要となる。己の頭で活字を意味に替え、創造力や想像力を働かせて理解する過程が、思考力を高めてくれる。だからと言って、読書を窮屈に考えなくともよい。メモを取りながら読む人がいるが、メモを取ろうとすると読むスピードが遅くなるし、本から外れてしまう。・・・・・・」

というのが5分の1の引用。あとは読んでのお楽しみ(笑)。
さりげなくも、貴重な年頭の読書への智恵を学べます。

「思考の整理学」には「ことわざの世界」という箇所があります。
それにつられて、「ことわざの論理」(ちくま学芸文庫)を読む。
う~ん。そうすると「ことわざ」が気になる。
「忘却の整理学」をパラパラとめくると、
そこに「(学研『故事ことざわ事典』)」とありました。
うん。わざわざ本の題名があるから、気になる。
それじゃ、と年末に本を注文してあったのが、
あろうことか、1月1日に、ゆうメールで届きました。
せっかくですから、その古本屋さんを紹介。
島根県邑智郡川本町川本の有限会社エコカレッジ。
送料無料で300円。
題名が「新編読み・書き・話すための故事ことわざ辞典」(1991年第7刷)とあります。新書のサイズで厚みは新書3冊分ほどの2.5センチ。カバーは汚れているのですが、辞書と同じ表紙はビニールなのでカバーは取り外してもOK。小口・天(あたま)・地(けした)は、それなりに汚れ箇所がありますが、ページ本文はきれい。うん。今年最初のお年玉。こりゃ、今年身近に置いて読み通すぞ。と、つい言いたくなるハンディタイプ。

年末に注文したのが元旦に届く。
というのは嬉しいですね。あともう一冊も届いておりました。
南伸坊監修「私が聴いた名講義」(一季出版・平成3年)。
あとは、お正月で寄った姉の家で、
日本の名随筆22「笑」桂米朝編(作品社)をかりてくる。

今年は元旦に3冊が手元に。
もっとも、元旦は日本酒を飲んで、帰ってきてから、
炬燵で寝てしまいました。
なんとも、本と炬燵は相性が悪い。

そうそう。これを忘れちゃいけない。
300円で島根県の古本屋から購入した「故事ことわざ辞典」の裏の遊び紙にシールが貼られていたのです。それを最後に引用。

  祝 平成3年度卒業記念 
      卒業生父兄一同



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