和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

兵站(へいたん)。

2012-07-15 | 地域
昨日神輿渡御で、今日は後片付け。
神社に8時半ごろゆくと、
氏子総代の方が数人、掃除をはじめている。

私は、お礼のハガキとか、
寄付金の集計手伝いに青年館へ。
けれども、見ているだけで、
ときどき、手伝いの確認ぐらいのことで
お昼に。

午後5時より、花納め。
昨日は、車両係で、
生ビールを積んだ車両に配属(笑)。
それを氷でひやす器具を、軽トラに載せて、
ところどころ移動しながら、
神輿(みこし)が休憩所へとはいってくるころを見計らって
ポリコップに注ぐ段取りをしておりました。
いやはや、生ビールの売れゆきよろしく。
缶ビールの後かたづけもすくなく。
3つの大きなポリバケツに氷をうかべて
飲み物を入れておいても
子供の飲み物バケツの水が
すぐに濁ってくるのがわかるのでした。
というような、兵站の妙を味わっておりました。
さてっと、
花納めでは、
口数よりも、呑みっぷりを
楽しむこととなるのだろうなあ。
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本日神輿(みこし)。

2012-07-14 | 地域
今日は、地元の神輿(みこし)
昨年で、役を終了したので、
今年は、配送係で、手伝っておりました。
うん。楽しかった。
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125のエピソード。

2012-07-13 | 本棚並べ
河合隼雄対談集「続々物語をものがたる」(小学館)に
大庭みな子さんとの対談で、伊勢物語を語っております。
そこに、

「大庭さんの現代語訳(「わたしの古典大庭みな子の竹取物語・伊勢物語」集英社文庫、1996年)がすごく助けになりまして、これで鑑賞させていただきました。」と最初に語り始めておりました。

それではと、
「わたしの古典3 大庭みな子の竹取物語・伊勢物語」(集英社・単行本)
を古本で購入することに、

古本屋は 藤井書店(富山市蓮町)
古本代400円+送料80円=480円なり。

大庭みな子訳の伊勢物語は
現代語訳で、和歌の箇所だけは本文をそのままに引用したあとに、
【 】をして、和歌みたいな語数で現代語訳をつけており、
まずは、原文の和歌をもってきているのが、魅力の構成となっておりました。
とりあえず、全文を現代語訳でさらりと見渡すのに便利だろうなあ、という感じをうけます。なんて、私は窪田空穂の評釈を、とりあえずパラパラめくってから、こちらを見ているので、そう思うのかもしれません。一冊だけじゃ、やはり分かりづらいだろうなあ、と思われます。いろいろと読み比べながら、だんだんと読み進められる手ごたえがつかめるような気がしてきました。

ちなみに、
「続々物語をものがたる」のあとに、伊勢物語の短い解説が吉田尚氏によって書かれておりましたので、それを引用。

「日本の物語には、和歌を核として、詠歌事情や和歌からの連想を語る一群がある。これらは『歌物語』と呼ばれ、『伊勢物語』は現代に伝わる最も古い歌物語である。六歌仙の一人、在原業平らしき人物を主人公に、『むかし男』の元服から臨終までをとりあげて、二条の后や伊勢斎宮らとの悲恋に彩られた、その人生を語る。・・・」

大庭みな子訳といえば、
ドナルド・キーン著「古典の愉しみ」(宝島社文庫)が
大庭さんの訳で出ており、読んだことがありました。
そこにも、伊勢物語にふれた箇所がでてきますので、
そこも少し引用しておきます。

「歌物語は歌を中心に組み立てられたものである。・・・一貫した筋書はない。これまでに最も高く評価されている歌物語は『伊勢物語』である。これは、『古今集』とともに後の平安期の日本の文学に大きな影響を与えた。数多くの写本が残されていて、多くは絵入りのものである。行きがかり的なつながりしかない百二十五のエピソードで、しかも時には単にいつどこで詠まれたという程度の説明しかない内容の本が、どうしてそんなに人の心に訴えるのか不思議ではある。・・・」(宝島社文庫・p123)
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詠み読み。

2012-07-12 | 短文紹介
河野裕子著「桜花の記憶」(中央公論新社)を
パラパラとめくり読み。
うん、丁寧には読みません(笑)。

すると、こんな箇所があります。

「私は、いくつかのカルチャーセンターや結社、新聞歌壇といった場で、多くの歌壇愛好者たちに接しているが、彼らは自己表現(詠み)にはたいへん熱心であるが、他人の歌(読み)にはあまり関心がないのである。つまり他人の歌をほとんど読まない。読まないから、一首一首の歌の読みができない。短歌を意味で読んで、それでわかったと思っているのである。素人と年季の入った実作者の力量が一番はっきりと見えるのは、歌会などでの歌の批評である。歌の読みができる人は当然ながらいい歌を作る。」(p180)
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変格青春小説であるまいか。

2012-07-11 | 短文紹介
出久根達郎氏が
三木卓著「K」(講談社)の書評を載せておりました。
朝日新聞2012年7月1日読書欄。
書評の最後は

「『ぼく』という一人称の文体が軽妙なので(エッセーのようだ)、少しも深刻でない。Kは魅力的な『愛(かな)しい女』にうつる。文章の魔術の勝利だ。これは夫婦物語ではない。変格青春小説であるまいか。」
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調査の孫請け。

2012-07-10 | 短文紹介
「愛されるアイデアのつくり方」(WAVE出版)
にこんな言葉がありました。


「僕らは毎日、『言葉』を使いながら仕事をしている。
『言葉』でものを考え、
『言葉』で相手に伝えようとしている。
しかし、僕らはどれほどその使い方を
誤っていることだろうか。
『言葉』に頼り、『言葉』で答を出し、
『言葉』でごまかす・・・・。
そして、結果として
『言葉』に裏切られていく。
それは、僕自身が何度も経験してきたことだ。
『言葉』の使い方ひとつで
『アイデア』は生れもすれば死にもする。
それほど、デリケートなものなのだ。」(p163)
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エステー式。

2012-07-09 | 短文紹介
鹿毛康司著「愛されるアイデアのつくり方」(WAVE出版)を読みました。
こちらは、ただ本を読んでいるだけなのですが、
東日本大震災の前と後とで、その違いに驚かされます。
この本でも、それを味わうことができました。

新卒で雪印乳業に入社し、2000年の「雪印事件」の最中に有志7人で「雪印体質を変革する会」を立ち上げ、そののち、エステー(株)に就職してヒットCMにたずさわる経緯がさらりと語られてゆく一冊。

東日本大震災のテレビでは、AC(公共広告機構)が何度も繰り返されておりました。
それについての記述もありました。


「僕が問われたのは、予定どおりCMを流すのか、ACに差し替えるのかという判断だった。もちろん、ACに差し替えても費用負担は広告主である。本来、これは社長の決裁を仰ぐべきことである。しかし、連絡が取れない以上、宣伝部長である僕が判断するほかない。そして、答えはひとつしかなかった。」(p19~20)

そして、
「あのミゲル君が歌うCM」が出来上がる、その舞台裏へ案内されてゆくのでした。
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書評家の評価。

2012-07-08 | 短文紹介
今日の毎日新聞(7月8日)。
3ページある今週の本棚の2ページ右上に
二段の小さな書評が掲載されております。
丸谷才一著「快楽としての読書 日本篇・海外篇」を
取り上げており、評者は(水)。
その短い書評のはじまりは、
「書評を一種の使命と考え続けてきた作家の、すぐれた書評の集成である。」
日本篇と海外篇から、ひとつづつ引用されており、
海外篇はM・エリアーデの『日記』をとりあげていました。
うん。さっそく古本屋へ、その『日記』を注文。

さてっと、丸谷才一著「快楽としての読書 海外篇」の解説は
鹿島茂氏が書いており、興味深い。
そのはじまりは

「私はこれまで相当数の文庫解説をこなしてきたので断定できるのだが、世にこれだけ『お得』な文庫はない。お得であるばかりか類書のない文庫であるとさえいえる。」

「どの作品も『書評』として書かれていることである。
『ホメロス』の書評、『新約聖書』の書評、『失楽園』の書評、『ガリヴァー旅行記』の書評、『失われた時を求めて』の書評・・・こんなに贅沢で豪華なラインナップの書評があっていいものか?」

「私も書評家の端くれだから、この評価の難しさについては理解しているつもりである。というのも、評価はそのままその書評家の評価として跳ね返ってくるからである。ろくでもない本を高く評価したり、あるいは逆に大傑作を酷評したりすれば、書評家自身が評価を落とすことになる。つまり、書評家は自らが作品に与える評価によって逆に評価されるのであり、基本的には、老舗の商人と同じように『客からの信用で生きていく商売』なのである。この意味で、日本で最も信用度の高い書評家である丸谷才一の傑作書評からなる本書がいずれ日本における『書評のカノン』となることはまずまちがいないところである。・・・」


うん。このくらいの引用でよいでしょうか。
あ。そうそう。鹿島茂氏の解説の最後は、こうでした。

「 丸谷才一の書評は二度読め!
  作品を読む前と読んだ後に。
  ことほどさように、
  これほど『お得な』文庫はめったにないのである。」
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ふわーと湧きあがって。

2012-07-07 | 古典
窪田空穂全集の窪田空穂年譜をひらくと、
大正元年(1912)空穂36歳の時に、
「評釈伊勢物語」を刊行しておりまして、
昭和30年(1955)空穂79歳の時に、
「伊勢物語評釈」を刊行しております。
どちらも、その序を読んだところなのですが、
おもしろい。
ということで、気がついたこと

36歳の時に刊行された「評釈伊勢物語」の
序のはじまりを引用。

「私は十代の終りから二十代へ懸けて、をりをり伊勢物語を手にした事があつた。それは此の物語が、我が国の古典の中の主なる一つであるといふ所からで、さういふ名高いものに眼を通して置きたいといふ単純な心持からであつた。が私は何時も、読みさしにするばかり、一度もしまひまでは読めなかつた。私には此の物語が、其の名の高いにも似ず面白みの少い、胸に遠いものであるとよりは思へなかつた。
この頃になつて、――三十代にはひつて、私は不図した機会から復た此の物語を手にした。と其の中にをさめられてゐる小話の一つ一つが、不思議な位まで面白いものに感じられた。そして眼を離す事の出来ないもののやうな気がして、一気に終ひまで読みをはつた。
何故今まで此の物語を読まなかつたらうと私は悔いた。それと共に、一般の読書界も、何故もつと此の物語の名を唱へないのだらうといふ怪しみも起つた。・・・」

うん。明治10年(1877)生れの窪田空穂氏にして、この言葉があるのですから、今ごろの私など「伊勢物語」など触れもせで、暮していたわけです。その空穂氏はあらためて79歳で「伊勢物語評釈」を出しておられる。

そういえば、昭和3年(1928)生れの河合隼雄氏。その対談集に面白い箇所がありました。それは「続々物語をものがたる」(小学館)にある大庭みな子氏との対談「伊勢物語 夢かうつつの人生模様」に出てくるのでした。
それは対談の最初に出てくる河合氏の言葉でした。

「じつは、私は和歌はわからん(笑)といってきたのです・・・・
ところが、今年、古稀をむかえたのですが、これぐらいの年になると、和歌がだいぶわかってきたのか、けっこうおもしろかったので、たいへん感激しましたね。やっぱり和歌というものはたいしたもんだと思いました。」

そのあとでした。河合氏は伊勢物語について、こう語っております。

「たとえば『かきつばた』でもそうですが、まずイメージの喚起力ということもあるし、それから、やはりエモーションの感受力も感じますね。つまり、たんに事実を詠んでいるんではなくて、その事実の周りのものがぜんぶ立ちあがってくるようにつくられている。それが初めはわからなかったんですね。それが、こんど『伊勢物語』を読んでよくわかるものですから、すごくおもしろくなって・・・・。昔は、僕はわりに事実主義だったものですから、事実がおもしろくなかったらというか、事実が簡単だったらおもしろくない。だけど、いまはそうではなくて、一つの和歌がものすごくたくさんのものに関係しているんですね、その読み手にたいして。それがわかってきたということだと思います。たとえば、

   月やあらぬ春やむかしの春ならぬ
    わが身ひとつはもとの身にして

この歌でも、一つ一つの言葉がすごいんですね。それに音とか、いい方とか・・・。これだって事実だけでいえば、世の中は変わっていくけれども、俺はもとのままだ、という内容ですが、それだけではない何かがふわーと湧きあがってきますね。そういうところがなんともいえずおもしろい。」

うん。これは対談の導入部で
まだ「物語」の醍醐味まではいっていないのですが、
とりあえず、70才の河合氏が、ここにいます。
それにしても河合隼雄氏は古稀を向えて、
伊勢物語の面白さを味わえたといっている。
うん。私には早すぎるかなあ(笑)。
これをよい機会に、窪田空穂による「伊勢物語」を読んでみます。

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百回くり返すことより。

2012-07-06 | 前書・後書。
岡崎久彦著「隣の国で考えたこと」。
これは、単行本のあとに、
中公文庫(1983年)に入って、
さらに、そのあとに
「なぜ、日本人は韓国人が嫌いなのか。」(WAC・2006年)
として改題・改定した新版として出ておりました。
私は未読ですが、
WACの本をもっておりました。
その最後の解説は西岡力氏。
とりあえず、その解説を読みます。
そこに、こうあります。


「・・・差別をするな、偏見を持つなと百回くりかえすことより、まず岡崎氏が本書で心血を注いで実行されたように、自分自身が相手のことを知るために関係する書物をさがして読み、韓国人に会って話を聞き、それを日本人としての価値観体系の中できちんと消化して自分なりの韓国論をもたなければならないと、強く教えられ、また恥ずかしさを感じた。」

もうすこし続けます。

「いまとなっては信じがたいかも知れないが、当時、第一野党の社会党は韓国を国家として認めないという立場から機関紙などでカギ括弧付きで『韓国』『韓国大統領』などと表記していた。多くの韓国研究者らも社会党と同じ政治的立場をとり、韓国を旅行することさえ周囲にはばかれる雰囲気だった。韓国研究をするのに韓国に行くことが自由にできない異様な雰囲気があった。・・・・
韓国報道の大家である産経新聞の黒田勝弘氏も本書出版の翌年、ソウルに語学留学している。現在は大学に席を移している重村智計氏も同じ頃、毎日新聞記者として語学留学していた。学者のなかでも小此木政夫慶応大学教授、服部民夫東京大学教授、武貞秀士防衛研究所図書館長、伊豆見元静岡県立大学教授などがこの前後に韓国留学している。日本人が韓国を知るために心血を注いで努力することが対等な日韓関係を築く第一歩だという岡崎氏が本書で示した姿勢は、当時まわりから『変わり者』扱いされながら韓国留学を志した記者、研究者らにとって大きな励ましだった。・・・」

うん。私はこの本未読。
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昨日今日とは思はざりしを。

2012-07-05 | 詩歌
最近読んだ本から、引用して並べてみます。


まず、西田繁詩集から

   あいつ

 毎年 同窓会は 菜の花咲く二月だ
 宴席は 白髪頭と禿げ頭が並ぶようになった。
 雑談と酔いの中で もう時間がないぞと 誰かが言った
 まだ 列車時刻に余裕があるのにと 声の方に顔むける

 そいつは 自分の余命のことを言ったらしい
 十年ひとむかしを 七回も重ねてきたのだ
 大切に生きたい そう思ったのだろう

 ぼんやりのまま 目的もさほど持たず
 野や 薮を歩く気持で 過ごしてきたせいか
 おれのズボンや 上衣には
 ぶたくさや いのこづちなど
 くだらぬ雑草の実が びっしりついている

 ・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・ 


そういえばと、伊勢物語を思い浮かべました。


 昔、いと若きにはあらぬ此れ彼れ、
 友達ども集りて、
 月を見て、それが中の一人、

 大方は月をも愛(め)でじ、
 これぞこの積もれば人の老いとなるもの。


う~ん。それよりも伊勢物語の最後を引用したほうが
はやいか。


 昔、男、わづらひて、心地死ぬべく覚えければ、

 ついに行く道とはかねて聞きしかど、
 昨日今日(きのふけふ)とは思はざりしを。

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西田繁詩集。

2012-07-04 | 詩歌
お借りした西田繁詩集「天を仰いで」を読んでおりました。

「朝めし」という詩の、最後の五行は
こうでした。


古稀まで過してきたが これでよかったのだろうか
ひたひたと 音もなくながれる時間が聞こえるようだ

何もせず たくさん忘れ物してきたような
ひらがなばかりの 作文だらだら 書いて
わからぬ道を ぼんやりまだ歩いているような




 ここでは、詩「独り旅」を引用。




  独り旅

あまりに空がひろいから
まだ 行方も定まらぬまま
過した季節を うしろに残して
住みよい国をめざして 飛び立つわたり鳥

もうあと戻りはできないと
羽ばたいたり 風に乗ったり
涯のない上空から 涯のない海原だけを見下して
己れだけは死なぬと 自身に言いきかせ飛んでいく

 ・・・・・・
鳥たちの 揃っているひと群れも
みんな渡りきれると それぞれ信じているのだろうか

力尽きて群れからおくれ 海に落ちる仲間を
助けもならず 見捨てていく
結局 渡り鳥は 群れであって群れでないと
孤独の鳥影消えるまで じっと見送りつづけている
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はあ、はあ、なるほど。

2012-07-03 | 短文紹介
岡崎久彦・長谷川三千子「日本の民主主義に将来はあるか」(海竜社)を読みました。長谷川三千子氏のあとがきに、こんな箇所。

「・・実は正直に言うと、第一回の対談のあとでは、これは『対談』にならないのではなかろうか、という不安があった。つまり、どうもずれだの相違点だのが見えてこないのである。互いに行儀よく、はあ、はあ、なるほど、とうなずき合っているような塩梅で、これでは大丈夫なのかしらん、と編集担当の美野さんに不安をもらすと、美野さんは少しも心配していない様子で泰然としていた――『まあ、ゆっくりお待ち下さい。岡崎先生は加筆なさってからが本番ですから』。そして実際、加筆、肉づけの段階になって、この対談はにわかに『対談』になってきたのだった。・・・」(p330~331)

対談の中ごろ、ちょうど板垣退助に関する丁々発止から、私には、がぜん面白くなっていきました。

対談のなかでも、いろいろ本が登場するので
よみたくなります。

長谷川三千子著「民主主義とは何なのか」(文春新書)
岡崎久彦著「戦略的思考とは何か」(中公新書)
岡崎久彦著「隣の国で考えたこと」
岡崎久彦著「クーデターの政治学」(中公新書)
「憲政回顧録」
「21世紀をいかに生き抜くか」(PHP研究所)
板垣退助著「自由党史」(岩波文庫)
仲手川良雄著「古代ギリシャにおける自由と正義」(創文社)
城内実著「政治家の裏事情」(幻冬社)


ここでは、岡崎氏の対談での最後の言葉を引用。

「私が戦後世代について違和感を感じる最大の点は、皆、発言を求められると、何でも、政府か社会の不正を糾弾しなければならないと思っている。学校でもそう教えてるんじゃないでしょうか。そうすると、ともすると批判ばかりで、じゃあどうするのだと聞くと、もっと国民の意見を聞いて、などと建前論を言うだけで、建設的意見が返ってこない場合が多い。私が覚えている戦前の教育では、他人を責めるよりも、まず自分を責めるのが当然の美徳でした。古人の美徳を学びそれを実践することを教えるのが教育でした。教育もそこに立ち返るべきです。・・・・日本の歴史と伝統、それも日本人の美質を教える教育こそ、民主主義というものに本質的に存在する欠陥を補い、日本の民主主義をより完全なものにする正攻法ではないでしょうか。」(p327~328)
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明治10年生まれ。

2012-07-02 | 本棚並べ
新潮社からドナルド・キーン著作集が順次刊行になっておりますね。
この機会に、キーン氏の古本の未読本を読もうと思っております(笑)。
さてっと。
ドナルド・キーン氏の先生といえば、角田柳作先生が思い浮かびます。キーン氏の本に登場する角田先生の講義は、キーン氏ひとりを相手に日本を全身で教えている。そんな雰囲気をたたえております。
それでは、角田柳作先生がどのようなことを教えていたのか?
と思ったことがあります。ぼんやり思うだけで、すぐに私には手に負えないことを自覚するのでした。そんなことを思っている際に、違う角度で読み始めればいいのじゃないか。と愚考したことがありました。
その違う角度というのが、明治10年生まれ、ということでした。
荻野富士夫著「太平洋の架橋 角田柳作」(芙蓉書房出版)の年譜をめくると、
明治10(1877)年1月28日 群馬県勢多郡久田村に生れる
とあります。
ちなみに、窪田空穂の年譜をみると
明治10年6月8日 長野県東筑摩郡和田村町区に生れる。

そうだったのだ。
このお二人はともに、明治10年生まれだったのでした。
年は違いますが、
ともに東京専門学校文学科に入っております。

さいわい、窪田空穂全集ならば古本で簡単に手に入る。
じつは、この窪田空穂全集を買おうかどうか迷っていたときがあります。
それは、山村修著「狐が選んだ入門書」(ちくま新書)を読んでいる時でした。
狐さんが紹介している各入門書は
たいていが文庫にはいっていたり、単行本で入手できるものでした。
それなのに、一冊だけ全集でしか読めない本があるのです。
それが、窪田空穂『現代文の鑑賞と批評』(「窪田空穂全集」第11巻所収)。

うん。全集を買っても、まず私は他の巻は読まない。
でも、とりあえず第11巻は読みたい。
けっきょく、何だかんだと理屈をつけて全集を購入することにするわけですが、その理屈の一つに、最初に書いた「明治10年生まれ」をもってきたわけです。そして、買い。第11巻を読みました。読んでよかった。
ですが、他の巻は、ホコリにまみれることとなりました。

大岡信氏による窪田空穂の文庫解説なども読んで
窪田空穂の全集月報までは、どうにか読みました。
そこから、先に読みすすめない(笑)。
どうも、古典のハードルは私には高すぎるようでした。

さきごろ、現代語訳の伊勢物語をちらりと読み。
すこし興味を持ちまして、
その際に、辞書をひくようにして
窪田空穂全集の伊勢物語に関連する箇所をさがしてみたとしたわけです。
伊勢物語のお話を、どなたかに聞きたかった、そんな私がおりました。
そう思ってひらくと、ありがたい古典の水先案内人が
ここに、じっと待っていてくださった、というわけです。

まず、ひらいたのは全集の第九巻「古典文学論Ⅰ」でした。
その「小話集としての伊勢物語」(p204~)に
こんな箇所があります。

「作者の書き現はし方は極めて簡潔である。然り簡潔でありて短いのではない。表面に現はしてある事柄は僅かではあるが、其れを通して複雑した心持、長い時間をも、朧げならず想像させる。・・」

うん。うん。と現代語訳だけしか読まない私にも
納得する語りかけで勘所をぐいっとひっぱりだしてくださる。
さらにつづけて引用。

「伊勢物語の書き現はし方の妙を見ると、如何に描写といふ事が力強いものであるかといふ事を今更のやうに思はせられる。・・・」

「伊勢物語は、これを小話として見て行くと如何にも粗描である。が単純なる句と句と重なつて居る間に、微妙にも情緒が潜んで流れて居る。其れが一緒になつて軽々には読み去らせず、ずつと斯う眼を据ゑて見させずには置かないと言つたやうな魅力になつて居る。接続詞を多く使はず、句も長さを貪らず、ぼつりぼつりと要点だけを言つてあるだけで此れだけの味ひを持つて居る――文章の渋い味とも言うべき方面は、殆ど遺憾なきまでに現はして居る感じがする。」

「いづれにもせよ、我々伊勢物語を読むと、奈良朝より平安朝へ懸けた頃の生活の有様、昔も今も変らない人の心持といふものが眼の前に浮んで来る。そして其れが歌ではとても与へられないと思はれる別種の深い興味となつて来る。」


このあとに具体的な例をしめしてゆくのでした。

うん。伊勢物語を読んでから、その書評を読んでいるような。
言葉にならない、もどかしさを、うんうん、その通りと、
明快に教えてくださっているような、うれしさがあります。

さてっと、
窪田空穂全集には
大正元年(1912年)36歳に出版された
「評釈伊勢物語」の巻と
昭和30年(1955年)79歳で出版された
「伊勢物語評釈」の巻もあるので

この興味が続くうちに、たのしみにパラリパラリとひらいてみることにします。
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八甲田山雪中遭難。

2012-07-01 | 短文紹介
新田次郎著「八甲田山死の彷徨」(新潮社)をはじめて読む。

明治35年(1902年)の、陸軍の行軍遭難事故を
昭和46年(1971年)に、新田次郎が書き上げるのでした。

雪の八甲田をめざす、弘前第31聯隊と青森第5聯隊の行軍を追いながら、行軍遭難事故を明らかにしてゆくのでした。
ここでは、終章から引用。

「陸軍省は遭難事故発生の直後、遭難事件取調委員会を設け九名の委員を任命した。・・・
取調委員会の委員は急遽青森に赴いて事件の調査に当ったが、委員会としての正式発表は最後まで行われなかった。従って何等の公式決定事項を見ずして解散したものと見られている。だが委員会はすることだけはちゃんとやった。公式発表はしなかったけれども、数項目についての意見を陸軍大臣に上申した。・・・」

「31聯隊雪中行軍隊の輝かしい業績は、5聯隊の遭難の陰に隠れたままで終った。徳島隊の成功は当時5聯隊の遭難を批判する材料として時折使用されたに過ぎなかった。国民の多くは、31聯隊雪中行軍隊のことも徳島大尉の名も知らなかった。
徳島隊を案内した熊之沢の案内人の七人は、徳島大尉に絶対言うなと口止めされたまま、長い間、沈黙を守っていたが、昭和5年になって苫米地吉重氏によって初めて事実が明らかにされた。『八甲田山麓雪中行軍秘話』がこれである。七人の案内人の一人が、もう話してもいいだろうと言って口述したのを収録したものであった。これら七人の案内者のほとんどは凍傷で手の指や足の指が曲り、農業や山仕事をするのに不自由な思いをした。・・・」

どうしても、東日本大震災の政府対応の顛末を思い浮かべながらの読書となりました。
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