和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

料理する意欲。

2014-08-12 | 地域
古田博司氏の新刊が出ていたので注文。
ところで、歴史通9月号に
古田博司氏の連載がありました。
そのはじまりは、

「女房が年を取って料理する意欲を
失ってしまったということは前に述べた。
以来、彼女を補助するつもりで毎日
いろいろと食べものを作ってみている。」

とありました。
近くに、こういうことがあることを
知っているので、あらためて、
身近にあるのだなあと
活字を通しての実感がわく。

そういえば、
林望著「家めしの王道」(角川SSC新書)
というのが出ていたなあ。
未読なれど、味読できそうな(笑)。

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安倍家の家訓。

2014-08-11 | 朝日新聞
「歴史通」(9月号)に
平川祐弘・櫻井よしこ対談が載っている。
そこを読みたくなり購入。

平川】 ・・・安倍首相は新聞の言うこと
なんか信用すべきではないというおじいさん
(岸信介)の代から家訓として教えられて
育っているからまともなんです。

櫻井】朝日知識人や岩波知識人が戦後の日本を
牛耳ってきました。平川さんのように、一人
信念を貫いて正しいと思ったことを言う気概が
学界や知識人から失われてしまったのは
なぜなんでしょう。

平川】やはり出世したいから、稼ぐためには
ジャーナリズムに媚びる。これがいまの朝日
新聞の考え方なんだと思えば朝日の御用学者の
ようなことも平気で書く。中国の悪口は絶対に
言わないとか、一種の自己規制をすることが
良心的であるかのようにふるまうんです。
・・・
それがいつから視野狭窄になったかとういと、
陸奥、長門のようなメイド・イン・ジャパンの
軍艦ができるようになって以来です。それまで
は日本海海戦で有名な軍艦三笠ですらイギリス製
でした。山梨勝之進など若い海軍士官はそれを
受領しにイギリスまで行って、ドックの労働者が
ストライキをするなどという当時の日本では
考えられない事態に出くわしたりして、経験を積み、
国際的に鍛えられたわけです。
ところが、日本で軍艦が建造できるようになると、
テクノロジカルに日本が進歩したのは結構な話ですが、
軍艦も日本製なら軍人もメイド・イン・ジャパンに
なった。視野が狭くなり、昭和の時代には世界の中の
日本の実力を過信してしまったんです。・・・・
日本人は相手の顔を見て喋るから、相手本位に
『はい』『いいえ』で答えるでしょう。ところが
西洋語は、事に即して『イエス』か『ノー』か
答えます。私は日本語で話すときもその傾向が
強すぎて嫌われるんですが。

櫻井】それだけ相手に刺激を与えていらっしゃる
わけですから、それは悪いことではありませんよ。
(p42~45)

まあ、全部読むと面白さがわかります(笑)。
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調べてみたんだ。

2014-08-10 | 短文紹介
徳間書店の「テキサス親父の大正論」を読む。
うん。読んでよかった(笑)。

一箇所だけ引用。

「過度な社会保障制度の結果、オバマ政権が最初の4年間で作った連邦政府の債務額は、アメリカ建国以来の累計債務額と同じ額にまで膨れ上がり、アメリカの財政を圧迫しているぜ。そして、連中は恥知らずにも『ゆすり』を始めたんだ。狙われたのは日本のトヨタ自動車だった。2009年にアメリカでトヨタ自動車の『大規模』リコール問題が発生したよな?当時、俺はそれを調べてみたんだ。
2008年のリーマン・ショック以降、アメリカの自動車会社ゼネラル・モーターズとクライスラーは国営企業になった。問題とされたリコール件数はゼネラル・モーターズ系で9058件、クライスラー系で3260件で、合計1万2318件になるんだ。
一方『大規模』とされたトヨタ自動車は669件だぜ!
この問題には、オバマ政権が全米自動車協会を支持基盤としている背景がある。この労働組合は民主党に票だけではなく、多額の献金をしているんだが、トヨタはこの労組に入っていないんだ。トヨタは自分たちをバッシングしたメディアや米国政府に対して、損害賠償請求を起こしてもよかった。しかし、彼らはそれをしなかったばかりか、和解金まで支払ったんだ。
2014年3月、アメリカ政府は、またもやトヨタに対して1200億円もの制裁金を科したんだ。その理由は『フロアマットを重ねて使うと、マットがアクセルペダルの上に乗って事故を起こす』っていうものだった。フロアマットを重ねるのはトヨタ自体なのか?それは所有者が自分で重ねるものじゃないのか?つまりこれは『言いがかり』なんだ。・・
こうした邪悪な行為をほかならぬ政府がやっているのは恥ずべきことだよな。」(p130~131)

うん。アメリカは恥の文化ではないのだ。

もうすこしあとには
慰安婦問題もでてきますから、ついでに
もう一箇所も引用。

「では、弱者がいなくなったらどうするか?それは大量の韓国系移民の票と金を当てにしたポンコツ慰安婦像の一件でも明らかだろう。移民に優しい政策を取っている連中が、移民を票田にしようとしているってことだよな。アメリカ民主党は弱者を生産し、移民を輸入し、その票田に金を投下している。・・・民主党政権下でアメリカはもはや瀕死の重傷を負って死にかけている。それは、国民ひとりひとりが無関心という病理に冒され、批判することを恐れたからなんだと俺は思う。日本の皆さんにはこのことを覚えておいてほしい、アメリカのように死んだ国にならないためにな。」(p133~134)


うん。これはほんの一部。
読めてよかった(笑)。
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語る安倍首相。

2014-08-09 | 朝日新聞
この頃、安倍首相が何をかたるか、
そのスピーチを聞きたいと思うことがしばしば。
そんななかで、
産経新聞8月9日は安倍首相に
本誌単独インタビューとある。

気になる、
【朝日新聞慰安婦報道】を
語った安倍首相の言葉はというと、

「朝日新聞が取り消した吉田清治氏の
強制連行証言が事実として報道されたことに
より、日韓の2国間関係に大きな影響を与えた。
全ての教科書にも強制連行の記述が載ったのも
事実だ。第1次安倍政権では『政府発見の資料の
中には軍や官憲によるいわゆる強制連行を示す
ような記述は見当たらなかった』という閣議決定
を行ったが、改めて間違っていなかった
ということが証明された。
報道によって多くの人が悲しみ、苦しむことに
なったのだから、そうした結果を招いたことへの
自覚と責任感の下、常に検証を行うことが
大切ではないか。・・・・・」


うん。
これで安心できないのが朝日新聞。
朝日の倍返しが、また始まるのかなあ。
なんせ、公称760万部の読者を持つ朝日新聞。
これくらいで、購読者が果たして
減るのかどうか。
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朝日の土俵ぎわ。

2014-08-08 | 朝日新聞
読売の古新聞をもらってきた。
8月6日の一面に
「慰安婦報道 朝日 32年後の撤回」
「強制連行証言は『虚偽』」という見出し。

ここには、読売の社説のはじまりを引用。

「日韓の大きな棘である、いわゆる従軍慰安婦
問題について、朝日新聞が過去の報道を点検し、
一部だが、誤りを認めて取り消した。
韓国・済州島で慰安婦を強制連行したとする
吉田清治氏の証言である。吉田氏は戦時中、
労務報国会下関支部の動員部長だったとされる。
朝日新聞は1982年9月、『済州島で200人の
若い朝鮮人女性を【狩り出した】とする吉田氏
の発言をうのみにして報じた。
これが韓国の反日世論をあおっただけでなく、
日本について誤った認識が世界に広がる根拠の
一つとなった。今回、吉田証言を初めて虚偽と
判断し、それをめぐる記事をようやく撤回した。
もっと早い段階で訂正されるべきだった。
92年には疑問が指摘されながら、
20年以上にわたって、放置してきた
朝日新聞の責任は極めて重い。
朝日新聞は82年以降、確認できただけで
計16回にわたって、吉田氏について記事にした。
92年に歴史家の秦郁彦氏が吉田証言への疑問を
指摘したが、修正することはなかった。
97年3月の検証記事でさえ、吉田証言について
『真偽は確認できない』と表記するにとどめた。
吉田証言は、96年の国連人権委員会の
クワラスワミ報告にも引用された。これが、
慰安婦の強制連行があったとする誤解が、
国際社会に拡大する一因となった。
・ ・・」
以下続くのですが、そのさわりだけ
引用しました。

同日の政治面4ページ目には

「・・・・
野党でも厳しい意見が続いた。
民主党の松原仁国会対策委員長は
『報道機関が事実と異なった認識の下、
20年以上も日本人の不名誉に同調する
ような報道を続けて来たことは大変遺憾だ』
と述べた。次世代の党の山田宏幹事長も
『一歩前進だが、全体的には言い訳がましい。
自己弁護、正当化の域を脱していない』と
断じた。・・・」

うん。「言い訳がましい。自己弁護、
正当化の域を脱していない」といえば、

朝日新聞8月5日の一面
「慰安婦問題の本質 直視を」という見出し
で書いた編集担当・杉浦信之の文のはじめの方に

「・・元慰安婦の記事を書いた元朝日新聞記者が
名指しで中傷される事態になっています。
読者の皆様からは『本当か』『なぜ反論しない』
と問い合わせが寄せられるようになりました。」

という箇所があります。
いままで、32年間黙っていたのですが、
ここにきて、名指しの中傷に耐えられないのか、
朝日新聞は、元記者をかばったかのような
報道転換をしました。
あの、取り戻せない32年間が、
どのようにして、こうなったのか?
まるで、北朝鮮が拉致被害者の検証をはじめた。
そのように、朝日新聞の検証がはじまったのか。
終わったのか。朝日新聞には、これで、
援助購読者がふえるのか。

紙面に「疑問」とあり

「元朝日新聞記者の植村隆氏は、
元慰安婦の証言を韓国メディアよりも早く
報じました。これに対し、元慰安婦の裁判を
支援する韓国人の義母との関係を利用して
記事を作り、都合の悪い事実を意図的に隠した
のではないかとの指摘があります。」

朝日新聞の17面に、この疑問と
その文のおわりに『読者のみなさまへ』とが
書かれて、可笑しな文面です。

読者のみなさまへ
「植村氏の記事には、意図的な事実のねじ曲げなど
はありません。91年8月の記事の取材のきっかけは、
当時のソウル支局長からの情報提供でした。
義母との親戚関係を利用して特別な情報を得たことは
ありませんでした。」

ここでは、
吉田清治氏の場合の「読者のみなさまへ」の、
言葉に出て来る

「証言は虚偽だと判断し、記事を取り消します。
当時、虚偽の証言を見抜けませんでした。」


吉田氏と元朝日新聞記者・植村隆氏とは
別なのだと、もっともらしい自己弁護。
反論が収まるまでの、
これでも朝日新聞の捨て身の
姑息な土俵際の粘りがあります。
ここで終止符を打ちたい朝日新聞を、
うっちゃりにまでもっていくのには、
どなたの文章を読めばよいのか。
うん。そこで
朝日新聞の患部(じゃなかった幹部)は
ここで、静かに購読者を値踏みして
様子を伺っているに違いない。
まさか、購読を打ち切るわけがない。
と様子を伺っているに違いない。
なんてったって、
腐っても朝日新聞。
32年目の自浄能力発揮に
購読者は拍手を送ってくれるはず。
なんてったって、
朝日新聞と購読者の腐れ縁が、
ここで切れるはずがないと、
静かに、様子を伺って。
これで、朝日への反対世論が沈静化すれば、
朝日新聞は、いつでも息をふきかえせる。
いままで、土俵際で、
落ちないできたわけだし。
今回も朝日新聞の肩書きが物を言う。
それだからこそ、元朝日新聞社員を
かばえるだけ、庇い通す構えを崩さない。
なんせ、朝日の先輩です。
32年間の報道の自由を謳歌して、
他人事を装ってきた
朝日新聞の恣意的な言論の自由は、
これからも、紙面を埋めながら効果的に、
毎日繰り返されることでしょう。

浜の真砂と、朝日新聞の自由とは、
ともに、世に尽きはしない。
と、いつまでも思っていろよ。

これから、32年間の
朝日新聞の言論の自由を、
検討してゆく自由が待っている。
誰が、検討するかって(笑)。それより、
手っ取り早いのは、購読をやめ、
無視するのが一番。
朝日新聞の文章作法を勉強して、
間違っても、
役に立てようなんてしないこと。
たとえ、受験で出題されるとしても、
朝日新聞には手を出さないこと。
若い方は、これからの32年間を
棒に振るめぐりあわせとなります。
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朝日をやめました。

2014-08-07 | 朝日新聞
新潮新書の平川祐弘著
「日本人に生れて、まあよかった」。
この書評を石井英夫氏が
WILL8月号の「今月のこの一冊」に
載せたのでした。そこにはこんな箇所

「小気味良いことこのうえない。
それはそうだ。もともと
『竹山道雄と昭和の時代』や
『和魂洋才の系譜』などで、
戦後民主主義を一刀両断にしてきた
硬骨の比較文化史家だった。
その著者は、
『どういう新聞を読むかによって、
人間は出世もするし失敗もする』
と言う。」(p135)

つづきは、WILL9月号
石井英夫氏が
「私はコレで朝日をやめました」
という4頁の文。

「八月号でとりあげた平川祐弘氏著
『日本人に生まれて、まあよかった』の
なかに、『朝日新聞を定期購読でお読みに
なっている皆様へ』という一章があった。
『日本をミスリードしつづけている朝日なんぞ
とってはいけない』という警告だった。
・・・・・ところで、九月号の書評の
原稿を編集部のK嬢に送った際、ふと
『ついに腹にすえかねた。おれ六月で
朝日やめたよ』ともらした。・・・
K嬢は・・編集長に伝えたらしい。
即座に電話がかかってきて、
『ソレ、書いて下さい』という
次第になったのである。」(p84~85)


つぎは、今日の産経新聞一面コラム。
こうはじまります。

「大先輩の石井英夫さんが
月刊誌『WILL』9月号に寄稿している。
・・産経新聞記者時代の石井さんにとって、
朝日新聞は、『仰ぎみる高峰』だった。
記事に偏向と増長が目立つようになってからも、
購読は続けてきた。ところが6月末のある日、
カッと頭に血が上って、決別するまでの
いきさつがつづられている。・・・」

「朝日が2日にわたって、自らの
慰安婦報道を検証した特集記事でも、
識者、有名人を総動員する、得意の手法が
使われていた。きのうの紙面では、現代史家
の秦郁彦さんをのぞく4氏が、朝日の慰安婦
報道にエールを送っていた。」

産経抄の最後も引用

「何より、朝日の報道が、韓国の反日世論に
火をつけ、国際社会で日本を貶めようとする
勢力に利用されてきた事実を、
いまだに認めようとしない。
『慰安婦問題の本質 直視を』。
検証記事に付いた見出しは、本質を
直視しているのは朝日だけと、言わんばかり。
上から目線の報道姿勢も変らない。」

あれ、産経抄を半分も引用してしまった(笑)。

朝日新聞の定期購読をやめる。
すると、雑誌に載り、コラムに載る。
朝日新聞の定期購読をやめるのは、
今です。そうすれば、
「上から目線の報道姿勢」が
変るかもしれない。
変るかどうか。
定期購読者が決められる。
うん。ここに『自由の選択』があり、
報道の自由を定期購読者が決める番。
それは、うん、今でしょ。
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非を認めるのに30年以上の朝日。

2014-08-06 | 朝日新聞
WILL9月号の蒟蒻問答で堤尭氏の発言に
こうあったのでした。

「いまだに朝日新聞を読んでいる連中の
気が知れないねえ。いまや日本人は二つに
分けられる。朝日を読む奴と読まない奴(笑)。」
(p104)

そういえば、テレビの7月29日
「林修の今でしょ講座」は、特集で
「葉加瀬太郎が一番好きな作曲家」。
そこで、葉加瀬さんがブラームスと
ワーグナーを語っている時に、
こう指摘しておりました。

「ウィーンの当時の知識人にとって
ブラームス派か、ワーグナー派かは
相対して、それが人生を問われるほどだった」

というようなことを言うのでした。
まさに
「朝日を読む奴と読まない奴」を
問うのは、今でしょ(笑)。

さてそんなこんな
今日の産経新聞(8月6日)一面に
「朝日 慰安婦報道『誤り』」
「検証 一部記事を取り消し」と見出し。
その一面に
「朝日が16回以上も取り上げた自称・元
山口県労務報国会下関支部動員部長、吉田清治氏の
『慰安婦を強制連行した』との証言について
『虚偽だと判断し、記事を取り消します』とした。」

産経新聞3面には、阿比留瑠比氏の署名記事は
見出しが「明確な謝罪避ける」とあります。
そこから吉田清治の箇所だけを取り出すと、

「ただ、朝日が初めて吉田氏の記事を掲載した
のは昭和57年9月であり、過ちに気付くまで
実に32年近くかかったことになる。その間、
朝日は吉田氏を『ひと』欄(58年11月10日付朝刊)
で『朝鮮人を強制連行した謝罪碑を建てる』と
紹介したり、夕刊1面コラム『窓 論説委員室から』
(平成4年1月23日付)で証言を次のように
取り上げてきた。
『(朝鮮)総督府の五十人、あるいは百人の警官と
いっしょになって村を包囲し、女性を道路に追い出す。
木剣を振るって女性を殴り、けり、トラックに
詰め込む』『吉田さんらが連行した女性は、
少なくとも九百五十人はいた』
その後、吉田氏の証言が虚偽と判明してからも
朝日は『(吉田)氏の著述を裏付ける証言は
出ておらず、真偽は確認できない』(9年3月31日付
朝刊記事)とするにとどまり、訂正しようとは
しなかった。
国連人権委員会に提出され、慰安婦を『性奴隷』と
認定した8年の『クマラスワミ報告』が吉田証言を
引用しているのも、朝日が繰り返し吉田氏の紹介を
続け、知名度を上げたことと無縁ではないだろう。」

今日の産経新聞3面には8月5日朝日新聞の写真が
載っており、小さいけれど一面の見出しはというと
『慰安婦問題の本質直視を』と人ごとのような書きぶり。
阿比留氏の署名記事には
『しかし、明確な謝罪は行なっていない。』として
『朝日新聞の検証記事を『検証』してみた。』とあり
西岡力氏の談話には
『一見すると反省しているように見える紙面も
姑息さが随所にうかがえる』として、
誤報を誤用とするなどの読み手を疲れさせる
文章作法を心得ているようなのでした。


う~ん。いままで朝日の古新聞をもらってきて
いたのですが、この前、定期購読している、
その方に、もう朝日新聞は取らない方がいいですよ
と言ってしまった手前、古新聞をもらってくる
わけにもいかないなあ。
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道雄文庫の夏休み。

2014-08-05 | 短文紹介
村岡花子エッセイ集「腹心の友たちへ」(河出書房新社)に
「わたしたちの幼かったころ」(p126~128)という短文がありました。
はじまりは

「わが家の『道雄文庫ライブラリー』も・・・」
とあり、その数行先にこうあります

「さて、うちの図書室のはじまりは十年も前の
夏休みの或る日にさかのぼる。そのころはまだ
学生だった娘のみどりを相手に、私は本の整理
をしていた。窓の外からヒョッと首をつっこんだ
隣の二年生の坊ちゃんが、
『おばちゃん、ぼくに本、かしてくれない?』
『あんたはマンガでしょ、うちにはマンガはないけど、
童話集はどう?おもしろいのよ』
この日から彼は童話愛読者になり、それからずっと
中学生、高校生の時代を通じて
図書室の常連となった。
あの夏の日、彼が本をかしてと外から言ったのを
キッカケに、娘が近所の子どもたちのために
図書室をひらくことを提案したのが始まりだった。」
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低さと足らなさと未熟さを。

2014-08-04 | 短文紹介
このごろは、
月刊雑誌はWILLのみで、
他の雑誌は買いません。
ですが、正論9月号を購入。
そこに小川榮太郎氏が
「『文藝春秋』の憂鬱 消えゆく大人の常識」
を書いており、読みました。


「『文藝春秋』6月号の『百人の叡智が
総結集、安倍総理の「保守」を問う』を
読み終へ、ひどい疲れを覚えてゐます。
そもそも、文章を読んで疲れるとは
どういふ事か。・・・」(p174)

こうはじまっておりました。
最後も引用することに

「翻つて今の『文藝春秋』、・・
百人中、妄言が39人。しかし、更に
根深い問題は、そうでない人達の言葉の
多くが、真つ当でもあり有益でもありは
しても・・・要するに、39人の妄言を、
残りの61人の言葉が、爽快さや勁さ、
しぶといユーモア、威厳、逆説、美文、
博識、斬新などの言葉の芸によつて、
打破する力を持つてゐない。だから、
通読すると、誌面全体が妄言によつて
領されてゐるやうな印象になつてしまふ。
・ ・・・ある意味で・・本当は、この
民族挙つての人間力の低迷こそが、日本の
『保守』が、今一番直面し、引き受けなければ
ならない我が国の危機なのではないでせうか。

・ ・・まづ、人に何かを注文するのではなく、
自分が、今の低さと足らなさと未熟さを引き受ける事――この引き受けるといふ地点から言葉を発する事。せめてそれだけの強さと矜持くらゐは持ち続ける事。私は、文士の端くれに過ぎないのだから、どんなに理解者が少なくとも、私一個の言葉においてはそれを続けようと思つてゐます。正に、それ以外に『別段の工夫なし』です。」(p185)
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クレヨン。

2014-08-03 | 短文紹介
山中和子著「昭和21年8月の絵日記」(トランスビュー)の解説は養老孟司。
その解説に、「この日記が書かれた年に、私は著者より二つ年下で、小学校三年生だった。だからというべきか、ところがというべきか、この時代の記憶は鮮明に残っている。・・著者には、この絵日記を書くクレヨンがよくあったものだ。それがじつは私の最初の印象だった。」

また、ご本人の「あとがき」には、

「・・『絵日記』には、ことさら食べものの記述が多く、私自身、口にするものに異常な関心と欲望があったことを思い出します。当時、父は雑誌『ライフ』をよく読んでおり、私はその中にある果物とかお菓子の写真や絵を、何度も何度も見たものです。・・」

絵日記の青うり、パン、カボチャなどの絵が鮮やかな魅力です。

7月29日の絵日記全文を引用。

昨日一日だけとまってかへった
おばあさんも今日まひずるへお帰へりになりました。
今日も一日雨でした。
部屋の中で お兄さんと一しょに、
本をよんだりお話をしていただきました。
雨の一日でもほんたうに愉快でした。
をぢさんとおばあさんは、
まひずるへもう帰ってゐるでせうか。
もう一度おばあさんにあひたいと思ひました。
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たのしい夏休み。

2014-08-02 | 前書・後書。
注文してあった古本が届く。

古書円居(東京都調布市布田)
900円+送料180円=1080円

山中和子著「昭和二十一年八月の絵日記」
(トランスビュー・2001年発行)。

絵日記は7月21日からはじまっています。
本屋で「グリム童話集」を父から買ってもらったこと。
その文の終りは「今日からたのしい夏体みです。」
と丁寧な字で書かれております。

著者紹介には
「1935年、神戸市に生れる。昭和19年9月より学童集団疎開で岡山県落合町へ。翌20年6月、神戸の家が空襲で罹災のため疎開地を去り、丹波地方に遠縁を頼り母親と二人で転居。同年8月終戦を迎え、翌昭和21年神戸の高羽小学校へ戻る。鷹匠中学校、県立神戸高校に在学中の6年間、新制作派教会の小松益喜氏にデッサン、油絵の指導を受ける。1959年、女子美術大学芸術学部洋画科を卒業、1960年より岡山県に在住。」

とあります。
うん。絵日記の絵も丁寧で、しかも色つき。
さてっと、絵日記の最後をめくってみる(笑)。
ということで、8月31日絵日記の全文を引用。

土曜日(晴 曇 雨)
長い夏休みも、もうすみました。
夏休みの間 家では重い病気にかかった人は、
一人もありません。昼から庭のすみにある
草をぬいたり、草をかったり、どぶそうじを
したり、おさうじをしました。
夕方に少し雨がふりました。
今日で夏体みのしゅくだいを皆仕上げてしまひ
ました。しゅくだいを皆したので
ほっとしました。
九月二日から二学きが始ります。
二学きこそうんとがんばろうと
私は思ってゐます。

ちなみに、
この本には
養老孟司氏が
「解説『あの時代』の意味」を
10頁ほど書いております。
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町の図書室。

2014-08-01 | 地域
読売新聞の書評欄(7月27日)に
平松洋子さんの書評が載っておりました。
池内紀著「ニッポン周遊記」(青土社)
副題は「町の見つけ方・歩き方・つくり方」
とあります。
つい、書評につられて、
ふらふらと購入してしまう。
手に取ると。あっ、しまった。
こういう本は古本になってからで充分(笑)。
2400円(税別)。

あとがきに、こうある。

「三十の町が並んでいる。・・・」

「そもそもの始まりから数えると、
まる十年になる。はじめは二ヶ月に一度、
途中から季節ごとに一つ、『観光文化』
(日本交通公社発行)に発表した。
地味な研究誌なので、人の目にふれることは
少ないが、制約なしに書けるのがありがたかった。」

この歩くような、
脇が甘いような、そんな文体は、
古本によく似合いそう。

さてっと、せっかくの新刊購入なので、
「はしがき」から引用。
そのはじまりは、

「はじめての町に来て、その町を見わける
方法の一つに図書館がある。図書館があるかどうか。
必ずあるはずだが、それはどんな図書館なのか。
・ ・町や村の場合は『図書室』でも可。・・
ある町では、公民館の一室に申しわけ程度に
本棚があって、どこかのお古のようなテーブル
と椅子が並べてあった。係の人もいない。
その一方で町役場がやたらに大きく、
体育館兼用のホールがあって、入場料ウン千円
の催しのポスターがはためいていた。
こういう町は概して活気がなくて
商店街がさびれている。若い人の姿がなく、
町全体がうすら寒い。
逆のケースもある。町の規模にくらべて
図書館が立派で、お年寄りや身体の
不自由な人のためだろう、入口に工夫が
こらしてある。赤ん坊づれの若い母親と
老眼鏡を紐でぶら下げた老人が、
つれ立ってやってくる。片隅が畳敷きに
なっていて、幼児がうつ伏せになって
絵本を開いている。こういう町は、
たとえ過疎がすすんでいる地方でも、
どこか生きいきしている。派手な催しの
ポスターではなく、手づくりのサークル
や会の案内がピンでとめてある。・・・」


う~ん。
まず、図書館から始まるのでした。
コメント (2)
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