和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

なのに、植村隆氏。

2015-01-16 | 朝日新聞
朝日新聞元記者の植村隆氏(56)が
訴えをおこした。それが気になるので、
週刊文春と週刊新潮を買うことに。

文春は2頁。その最後には、こうあります。

「西岡(力)氏は提訴を受けて、
こう語った。
『私は十分な根拠をもとに批判を
しました。それを書くことが
名誉棄損になるのなら、
言論の自由は保障されません。
これは言論に対する挑戦です』」

週刊新潮は3頁。
その最後を、すこし長く引用。

「京都大学の中西輝政名誉教授も
こう指摘する。
『第三者委員会の報告を受け、
朝日新聞は社として植村さんの記事に
ついて誤りを認め、謝罪もしている。
なのに、植村さん自身は、その記事を
批判した正当な言論活動を【お白洲】の
場に引っ張りだそうとしているわけです。
それは筋違いも甚だしいだけでなく、
植村さんの記事を言論で批判しては
いけないという空気まで生み出してしまう。
言論界を萎縮させるような行動は、
言論人なら取るべきではありません』
わが国の名誉と尊厳を地の底にまで
貶(おとし)めておきながら、
170人の弁護士と一緒になって
自らの名誉は後生大事に守りたいのである。」


ところで、
「170人もの弁護団」とは、
いったいなんなのか?
週刊新潮には名前が並ぶので、
物覚えが悪い私なので、
そこも引用。

「弁護団のメンバーで、元日弁連会長
の宇都宮健児弁護士がこう打ち明ける。
『昨秋、過熱するバッシングを見るに
見かねた中山武敏弁護士が植村さんに会い、
支援を申し出ました。中山弁護士は、
右傾化する日本の現状に危機感を持っていた。
認識を同じくする弁護士に声を掛けた結果、
170人という大弁護団になったのです。
弁護士費用は貰っていません。手弁当です。
法廷に立つのは10人くらいでしょうけど、
残る160人の弁護士も訴訟の内容を理解し、
協力する体制を整えています』
弁護団には他に、福島瑞穂参院議員の
事実婚のパートナーである海渡雄一弁護士
や慶応大学の小林節名誉教授、
野田内閣で法務大臣を務めた、民主党の
平岡秀夫元衆院議員なども参加している。」


うん。
言論の自由へ踏み込み戦いを挑む。
手弁当ですという、170人の弁護士。

週刊誌は400円×2冊=800円。
800円は、もちろん私の自腹。
何が読めたのか?
「170人の弁護団」という、
空気が読めました。

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主人(うち)と他所。

2015-01-15 | 短文紹介
清水きん著「夫山本周五郎」(福武文庫)では、
語りをおこしたものだからでしょうか
主人と書いて、(うち)と読ませております。

ということで、一箇所引用。

「『・・・あの着物は、ここへ来るまえに、
かあさんが汗水たらしてこしらえたものだ。
それをみんな質草にさせてしまったのは
ぼくがわるかった』。『いいの。わたくし、
着物になんの未練はないのよ』とだけ
答えるほかありませんでした。食べるのに
困ったから、など弁解がましく言ったりすると、
主人は自分の怠けぶりをアテつけられたのじゃ
ないかと思ってまたおこりだす性分でしたから。
ひと言答えるにも、そういうふうに考えて
返事しなくちゃいけない。それとも知らん顔を
したほうがいいのだろうか、いつもちょっと
考えてしまうのです。扱うコツを心得てしまえば
そんなにむずかしい人ではありませんでしたが、
そこがのみこめるまではやはり並み大抵では
ありませんでした。しかし、こういうことは
うちばかりのことではないでしょうし、
他所(よそ)さまのお宅でも多少なりと
あることなんじゃないかと思います。」(p55)


神社の狛犬ならば、
あ・うんの呼吸とでもいうのでしょうか。
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自分の恩人。

2015-01-14 | 短文紹介
清水きん著「夫山本周五郎」(福武文庫)を
この機会に通読できました。
小説は読まない私ですので、
山本周五郎の小説も未読。
なのに、清水きんさんの語る
山本家の緊張感が、ユーモラスに
伝わってくるのでした。

それはそうと、
山本周五郎は
1903年(明治36年)6月生まれ。
1967年(昭和42年)2月死去。
ということは、
関東大震災で、20歳。


「木挽町の山本周五郎質店
(大正五年、小学校卒業とともに、
徒弟として住み込んだ銀座・木挽町の
質店。主人を山本周五郎といい、
後年まで物心両面の援助をつづけた。
『山本周五郎』のペンネームはこの
恩人の名に由来するもの)」(p19)

「ちょうど大正12年の9月1日の
関東大震災で、住込みで働いていた
木挽町の山本質店も類焼し、いったん
解散となったのを機に関西へ文学修業に
出ていったということで、神戸にある
小さな雑誌社(夜の神戸社)に職を
見つけて・・・
このときのことを書いたのが、
大正15年の『文藝春秋』4月号に発表された
『須磨寺附近』という小説・・・
文壇処女作ということになっています。」
(p20)

「木挽町の山本店主の名を、・・
ペンネームにしたいきさつは、大正15年に
『文藝春秋』に『須磨寺附近』を投稿した
とき、封筒の所書きに、
木挽町山本周五郎方清水三十六と書いたのを、
作者名山本周五郎として発表されてしまたので、
自分の恩人の名前でもあり、充分自戒の意味も
含めて、ずうっとペンネームとして
通してしまった、という話です。
また、本名の清水三十六(さとむ)という名も
わるくはないが、直木三十五などという
まぎらわしい名の作家もいるので、
それをつかうのはいやだった、
とも言っておりました。」(p42~43)
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あたたかいこと。

2015-01-13 | 短文紹介
清水きん著「夫山本周五郎」(福武文庫)の
解説は木村久邇典(解説のはじまりは印象鮮やか)。
その解説を読むと、
「山本(周五郎)の馬込時代の最晩期
(山本は(昭和)20年5月4日に、
前夫人のきよえ(?)を膵臓癌でうしない、
21年1月に吉村きんと再婚、翌2月、
横浜市中区本牧元町へ転住した)」(p228)
とあります。

すこし本文から引用。

「主人(うち)は本牧あたりの環境は
気に入っていたようです。・・・
間門園へいくまえは、仕事が終わると
ひる過ぎに子供を連れて海へ出て、手製の
ヤスで魚をついたり、貝を拾ってきたり
して一杯飲みはじめます。とても疲れが
とれる、と言ったものでした。ですから
そのころ、『ああ、きょうは疲れたな』
なんて言っているのを聞いて、わたくしは、
『じゃあ、仕事はやめて海岸へ行ってみたら
・ ・・』とよく言いました。主人(うち)は
びっくりしたような顔をして、『そんなあたた
かいことを言われたのははじめてだ』なんて
笑いながら驚いていましたっけ。
これまでは、自分の生活基準をキチンとつくって、
家族に対しても、自分はおっかないものだという
かたちをつくってきたのに、物書きの生活など
まったく知らず、そんな形式的なこと、
考えたことのないわたしが、何のはばかりもなく
そう言ったので、主人としても驚いたわけ
なんでしょう。そういうわたくしの性格が
主人にとっては逆によかったのでしょうか、
よろずにつけてたいへんに気分が楽になった。
あのころはよくそう申してくれました。
のちに『下町もの』を書き始めたのも、
そういう自分の気分が作品に反映したの
じゃないでしょうか。・・・・
『ぼくの小説の半分は、かあさんのおかげ
で書けたんだ』。よくこんなことも言って
たものです。わたくしはずうっと下町で
育ちましたし、主人とは年も五つしか
違いませんから、いわば同年代という
わけです。ですから、なんとなくだした
話題から、二つ、三つと他の話題が尾を
ひいて次々に出てくるのです。・・」
(p129~131)

解説にもどると
「きん夫人は、東京市本郷区根津片町三番地
に生まれ、昭和3年に大森の馬込に転居する
まで、幼・少女期をここで過ごした
しゃきしゃきの東京の下町っ子である。」
(p227)


うん。ちょうど、読売新聞では
昨日から文化欄で「谷崎 愛の手紙」
という紹介文の連載がはじまっていました。
千葉俊二編「谷崎潤一郎の手紙」
(中央公論新社)を4回にわけて
紹介する記事。

谷崎潤一郎の手紙はいいや(笑)。
今の私には、興味がない。

もどって、
「きん夫人は・・しゃきしゃきの」
という箇所を読んだら、
あの、鶯谷駅近くの公望荘の
おばあさんを表現した
「小柄なからだはキリキリシャンとして」
という箇所が連想されました。

山の手の、キリキリシャンと、
下町の、しゃきしゃき。

じつは、木村久邇典の解説のはじまりを
引用したかったのですが、長くなる(笑)。
機会がありましたら、どうぞ、
読んでみてください。
そちらを引用したかったのに、
ついつい脱線してしまったのです。
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独特の体質。

2015-01-12 | 朝日新聞
産経1月10日2面に

「『慰安婦記事を捏造した』などの
指摘で名誉を傷つけられたとして、
朝日新聞元記者の植村隆氏(56)が
9日、文藝春秋と東京基督教大学の
西岡力教授(58)を相手に計1650万
円の損害賠償と謝罪記事の掲載などを
求める訴えを東京地裁に起こした。・・」

2面の「主張」には
「言論の自由に反している」と題して
元朝日記者提訴を取り上げておりました。

「指摘の対象となった平成3年8月、
元韓国人慰安婦の証言として書かれた
植村氏の記事で『女子挺身隊の名で
戦場に連行され』とした記述については、
朝日新聞が第三者委員会の指摘を受け、
その事実はなかったとして、おわび、
訂正している。
その後の植村氏の記事で、この元慰安婦が
キーセン学校に通っていた経歴を知りながら
触れなかったことについても、第三者委は
『書かなかったことにより、事案の全体像を
正確に伝えなかった可能性はある』と批判し
ていた。
訴状をみる限り、植村氏側はこうした
朝日新聞、第三者委の判断や指摘を受け入れて
はいないようだ。まず朝日や第三者委の見解に、
言論人として反論することから始めるのが筋
ではないか。・・・・」

この記事を読んで思い出したのは、

吉田昌郎氏の吉田調書。これは、間違った記事で、
朝日新聞社が謝罪しております。

その謝罪の前に、これを指摘した本の
門田隆将著「『吉田調書』を読み解く」(PHP)
にも、そういえば、
「法的措置を検討する」(p54~60)
という箇所があったのでした。

「私は朝日新聞に編集部を通じて
『命令違反による撤退の事実はなく、
これは朝日新聞の誤報であると考えるが、
御社の見解をお聞きしたい』という
内容の質問状を送っていた。・・
その質問に対して、朝日新聞は・・・
『朝日新聞社広報部』として・・・
『・・記事で示した通りです。
本回答にもかかわらず、事実と異なる
記事を掲載して、当社の名誉・信用を
傷つけた場合、断固たる措置を取らざるを
得ないことを申し添えます。』

・・問題は、後段である。
『本回答にもかかわらず、事実と異なる
記事を掲載して、当社の名誉・信用を
傷つけた場合、断固たる措置を取らざるを
得ないことを申し添えます』

言うまでもなく、これは脅かしの文言である。
日本には独善的体質を有する圧力団体は
少なくない。明るみになっては困る問題について
マスコミから質問が飛んできた場合、往々にして
『報道を封じるために』こんな回答を寄せる
場合がある。そこが、圧力団体の圧力団体たる
所以(ゆえん)である。
しかし、朝日新聞は、言論機関だ。
自分たちは、さまざまな不祥事や事件を
毎日のように報じ、その度に同様の質問を
相手に対しておこない、その回答を求めて
いる報道機関である。
ある会社の疑問点や疑惑に対して質問を
おこなった時、いきなり、
『本回答にもかかわらず、事実と異なる
記事を掲載して、当社の名誉・信用を
傷つけた場合、断固たる措置を取らざるを
得ないことを申し添えます』という
脅しの回答が送られてきたとしたら、
朝日新聞は、どう感じるだろうか。
それは、朝日新聞が持つ独特の体質を
如実に表すものだった。・・・」

少しの引用では、
誤解を招くので、
興味をお持ちの方は、
門田隆将著「『吉田調書』を読み解く
朝日誤報事件と現場の真実」(PHP研究所)の
一読をおすすめします。
『読み甲斐』という手ごたえが、
私には得られました。
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百円均一ショップ。

2015-01-11 | 地域
昨夜、待ち合わせの手違いで、
1時間ヒマになりました。もう、
地方の喫茶店は閉店時間(笑)。
そこで、思い浮かんだのが、
100円均一ショップ。
行けば、一時間はすぐに過ぎました。

葉書サイズ用木製写真スタンド×2
お正月の写真を入れるため購入。

A4サイズ書類収納の
透明ファイルケース×4
これで、プリントアウトした
コピーを種類ごとに整理(笑)。

カードリング×一袋18個入り。
年賀葉書の整理に試しにつかってみる。

そのほかに、飾りテープ×1

一年に数回行くかどうかの百円均一。
千円でお釣りをもらって
1時間はすぐでした。
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話しことば。

2015-01-10 | 短文紹介
木下是雄集3「日本人の言語環境を考える」。
そこの短文を全文引用してみたくなりました。
ちなみに、1976年5月号に載った文です。

「・・山手線の鶯谷の駅を上野の山のほうに
出たところに公望荘というそば屋がある。
そばの味も今の東京で第一流と思うし、
そこで飲ませる岩手県の酒もうまいが、
私が月に一度ほどはこの店ののれんを
くぐるのは、一つにはここの仲居の
おばあさんのことばを聞くたのしみのためである。
いくらか猫背になったが小柄なからだは
キリキリシャンとして、下町ではなく
山の手のことば、私たちが育ったところの
ていねいことばを話す。いわゆる標準語の
原形に近いものだろう。
『標準語は美しくない』というひとが多く、
内村直也氏もその意見のようだが、
自分の育った環境のせいか、私には
このおばあさんのことばが美しく、
なつかしく響くのである。
『はい、いらっしゃいませ』
『お召し上りは?』
せいろそばと酒を注文する。
『はい、かしこまりました。
おそばはもう少しあとにいたしましょうか』
『すぐでよろしゅうございますか。はい』
カウンターのなかに向かって声を張って
『せいろ一枚。お銚子一本』
客の質問に
『はい、さいでございます。
おろしそばは冷たいのにいたしましょうか』
またほかの客の質問を受けて、
カウンターのなかに向かって一調子下げて
『あのう、そば寿司できるか、
ちょっと聞いて下さい』
私のところに注文の品をもってくる。
『はい、お待ち遠さま』
徳利の首をつまもうとすると
『あ、どうぞ真中をお持ち下さい。
上が熱うございます』
『このそば湯をお借りしてよろしゅう
 ございましょうか』
カウンターに行って
『湯とう替えて下さい』
客が手洗いに立つ。
『今おはいりになっていらっしゃい
 ますから少々お待ち下さいませ』
勘定に立った客に
『はいお預りいたします』
カウンターのなかに向かってはっきりと
『1000円で850円いただき』――
『どうもありがとうございました』

私は、今の世の中で、これほどていねいな
ことばづかいが必要だとは思わない。
しかし、このおばあさんの格調正しく明晰な
もの言いには魅せられるのである。」
(p147~149・晶文社)
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読み書き語る。

2015-01-09 | 短文紹介
産経新聞1月7日の曽野綾子連載
「透明な歳月の光」624回目。
はじまりは

「お正月には、何となくほろ酔い
遊び気分で、いい加減なことを言う
のも許されるような空気もあるので、
私は一つ予言をすることにした。」

ということで、
この文の終りを引用。

「・・日本語と言えば
『ヤバイ(やべえ)、かわいい、
すっごい、超・・・』ほか10言くらい
しか使えないタレントが平気でテレビ
に出て来るのだから、この文化の潮流が
日本に限って長続きするとは思えない。
先進的な国家というものは、自国語で
『読み書き語る』ことができる人が
国民の大部分であるべきなのだが、
その条件は今の高齢者層が死に絶える
と後が続かない。
つまりこの物質的文化の最盛期は、
オリンピックまでは保つだろうが、
その後はまもなく下降期に入ると
思われる。・・・」

はい。
「読み書き語る」高齢者層の方々の
言葉を聞く。それが、今年の
私の目標といたします。
ちなみに、曽野綾子氏は昭和6年生まれ。
大正から昭和ヒトケタ生まれぐらいまでの語り
を聞いて、今年一年充実して過ごせますように。
うん。「オリンピックまでは」。
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新年古本届く。

2015-01-08 | 地域
昨年の暮れに、注文してあった
古本が届く。年末で今年発送されたもの。

ふるほんラヂオ(京都市北区衣笠北荒見町)

「故事ことわざ辞典 日本語をさばく」
(あすとろ出版)300円
臼井吉見編集解説「現代教養全集22」
(筑摩書房)300円
谷沢永一著「回想開高健」
(新潮社)200円
茨木のり子著「倚りかからず」
(筑摩書房)200円

合計1000円+送料315円=1315円

「故事ことわざ辞典」は
引きやすそう、パラリとひらけば
こんな箇所。

【選んで粕を掴む】
あれこれと条件をつけて選択していると、
かえって粕――つまらないものを掴む
ことがある。選り好みもほどほどにしないと
失敗するという戒め。

解説も短文で端的で、うれしい(笑)。

「現代教養全集22」は「生活の科学」。
パラリとひらけば、木下是雄氏の文も
選ばれて掲載されている。
木下氏は、昨年亡くなられておりました
(1917年(大正6年)11月16日~
2014年(平成26年)5月12 日)。
現代教養全集22に選ばれた木下是雄氏
の文は「棄てる」。5頁ほどの文
を読んでみる。

はじまりは、ファイリングの教科書を読んだ
ことから始まっておりました。

「一箇所ギクリとさせられたところがあった。
それは『保管とは、いらなくなった書類を
ステルことだ』と喝破した章である。」

「このステル作業、あるいは保存年限の
判断には最高責任者が当るべきだと付記
してあった。」

さて、例によって最後の方も引用。

「かつて小学校では
『紙はウラまで使いなさい』と教えた。
やがて『いらない紙はキチン、チキンと
ステなさい』・・と教えるようになるだろう。」

お終いはこうでした。

「オボエル術があって積極的にワスレル妙手
がないと同様に、生産工学はすさまじい発達を
とげたが、ステル工学は未開発である。
回収、再生産の回路を確立できれば
ステル工学として上の上だ。しかしステル、
ステラレタものを集めるだけでも、生産工学の
発達とともに問題は日に日に深刻化し、
技術的にもむずかしくなりつつある。
工場の汚水、煤煙、ボタ山、新しいものでは
原子炉の廃棄物、うっかりしていると地上も、
海も、クズやゴミで汚れて人間の住む空間が
なくなる。ステル工学の発達を望むや切である。
(「自然」昭和35年7月号)」

はい。
木下是雄集3(晶文社)の
「日本人の言語環境を考える」は
忘れられない一冊。それが中公文庫に
「日本語の思考法」として2009年に
はいる。どちらも棄てずにありました。
この機会に、そこに入っている、
『言語技術教育に取り組む』を、
まずは、今年最初に読み直してみます。

谷沢永一著「回想開高健」は
どうしても、本文に線を引けなかった一冊。
それが、200円なら気楽に線がひけます(笑)。
もう一度、この機会に読み直してみます。

あとは、つい出来心で、
「倚りかからず」も買ってしまう。


うん。棄てずに残しておいたら、
一番大切な、時間が棄てられていた。
なんてことがないように、
今年一年を過ごせることを願って、
新年のお屠蘇気分を、
今日で切り換えます。



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風青し。

2015-01-06 | 詩歌
地元の統合中学校の新校歌。
それは、地元の詩人の方が作詞なさって
おられました。
それを読み直しておりました。
そのはじまりとおわり。


一番のはじまりは
「太平洋に陽がのぼる」
一番のさいごは
「光あり」

二番のはじまりは
「四季を彩る 花の故郷」
二番のさいごは
「風青し」

三番のはじまりは
「三年をめぐる友垣に」
三番のさいごは
「誇りあり」


どうも、つい最初と最後を
見てしまいます。
それも、本の
まえがき・あとがきを
読む癖からくるのか?
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神社参拝

2015-01-05 | 地域
そういえば、
この頃、正月の三が日に出かける参拝は、
有名な場所が、車や人で混雑しているせいもあって、
そういう場所を避けて、ドライブしながら、
行き当たりばったりで、
道路から見える鳥居を目当てに、
途中で立ち寄って参拝しております。

ですから、一回のドライブで
5~6回の参拝をすませます(笑)。

参道は近隣の方が、きれいに
掃き清めてあります。
元旦の混雑がさった後なので、
人とあまり出会うこともない、
そんな小さな神社が目当て。

地方にいるせいか、
いがいと、毎回探す楽しみ。
そして、お決まりの神社へと
寄ります。
掃き清められて、しかも
静かな参道を歩いてゆく。
今年も、はじめての神社が4か所。
道路脇にありながら、
参道が長かったりすると
うれしくなります(笑)。

そういえば、巡礼でお寺をめぐるのは、
ありますが、神社めぐりは案外盲点かも
しれません。

ゆくゆくは、きちんとコースを決めて
出かけてもよく。
好きな神社・参道が長い神社・
石段が長い神社・景色がよい神社と
自分のお目当ての神社が
年々ふえてゆくのは、
何とも豊かな気分になれます。

うん。来年も晴れますように(笑)。

いよいよ。今年は小泉八雲を
読み始められますように。

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七十年過ぐ。

2015-01-04 | 短文紹介
1月は、産経新聞と読売新聞の2紙をとる。
コラムの産経抄と編集手帳と、同時に読める贅沢(笑)。

産経新聞の元旦一面左は、
「年のはじめに」と題して論説委員長樫山幸夫氏。
「戦後70年を迎えた。」と、その文は始まります。

産経抄(1月3日)は、こうはじまっていました。

「若いころは、嫌で嫌で仕方がなかったものが、
気がついてみると自ら好んでやっている、
という習慣・・・大みそかから正月三が日に
かけて何をするわけでもなく、だらだらと飲み
食いし、テレビをつけっ放しにして過ごす
大人になるなぞ想像もできなかった。」

なかほどに、箱根大学駅伝が登場。
「今年は青山学院が5区で本命を逆転し、
初の往路優勝を遂げる驚きもあった。」

つづけます。
「チャンネルを変えれば、ふだん見ない
大学ラグビーが目に入ってくるのも
つけっ放しの効用である。終了間際、
13点差をつけられていた筑波がトライを
2本立て続けに決めて大逆転し、
決勝に駒を進めたのも驚きだった。
両校選手に共通していたのは、
『絶対に諦めない』という気持ちが
他校よりも勝っていたように酔眼にはみえた。
人生を諦めかけている中高年には、
何よりものお年玉である。」

しめくくりは、こうでした。
「日本にはまだ余力がある。
こびず、諦めない若者を一人でも多く
育てたい。そのためには中高年がまず、
太平の惰眠から覚めねばなるまいが。」


うん。編集手帳(1月3日)も紹介。

「いつも初詣に行く神社には、拝殿につづく
長い石段がある。息を切らし、ときどき休み
ながら・・・」とはじまります。

「きまって思い出す詩」として
井上靖の詩を一部引用してから、

「迎えた年は戦後70年の節目にあたる。
多くの人がそこにたたずんで来し方を
顧み、行く末を見つめるはずである。」
とあり

しめくくりは
「階段をのぼりはじめた子供たちのために、
ひたすらそのために、大人の知恵はある。」


ということで、
あらためて、読み返したのは
読売新聞(元旦)の文化欄。

その短歌は岡野弘彦氏(大正13年生れ)
の3首からはじまっております。
題して「七十年」。

いさぎよく 帽振りゆきしおもかげは
 老ゆることなし。七十年過ぐ

後につづく者はなかれ と言ひおきて
 発ちゆきにけり。征きて還らず

命果つる日まで思はむ。南(みむなみ)
 の海底ふかく 果てゆきし友
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日本酒「楯野川」。

2015-01-03 | 地域
元旦と2日と、
夜は日本酒でした(笑)。

山形県産酒造好適米 美山錦100%使用
純米大吟醸「楯野川」の
「中取り」と「初槽(はつぶね)」。
「初槽」は生酒。
会社は、楯の川酒造。

すこしにしておけばよいのを
生酒の飲み口に、つられて、
なめらかに話が出て来て、
それでもって、
オチョコ潤滑油の頻度があがり。
二日目も寝てしまう。

うまかった。
楽しかった。
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賀春。

2015-01-01 | 地域
新年明けましておめでとうございます。
本年も、書き込みを怠らないようにします。
ということで、ひとつよろしくお願いいたします。

昨夜は、日本酒を飲んでいるうちに、
皆がいるというのに、性懲りもなく、
コロリと寝てしまう。年が明けてから、
起こされる(笑)。
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