おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

旧中川。平井橋~境橋。北十間川。(「平井の渡し」跡その2)

2012-09-12 22:26:52 | 歴史・痕跡
 旧中川。中川(古利根川)が明治末の荒川放水路開削によって分断され、中川は荒川沿いに流れるようになり、西側の部分が取り残されてしまいました。現在、上流は江戸川区・墨田区、下流は江戸川区・江東区の区界となっています。
 かつて、旧中川一帯は、増水・決壊など台風などの被害が続出していた地域でした。また家庭や工場からの排水で淀んだ川になっていましたが、近年は、護岸工事・治水工事、環境整備によってかつての清流を取り戻し、両側の土手沿いの道も川の流れにも親しめる自然環境になっています。都内の広い河川の中では、一番水辺に近く散策できるようです。しかし、蛇行する流れは今も昔も変わりません。北東は荒川に接し、南東も再び荒川に接しています。

旧中川の最上流。「木下川(きねがわ)排水機場」。下町の河川の氾濫から地域を護るための施設。この施設は旧中川の水をくみ上げ浄化して荒川に流すためのもの。
 そのため、現在の旧中川には、かつてのような川上から川下へという流れはない。旧中川全域が潮の満ち干に関係なく、ほぼ一定の低水位に保たれるようになっている。
 「きねがわ」は荒川をはさんだ葛飾区側に「木根川(きねがわ)」として存在する。荒川開削以前は同じ地域・集落と考えられる。荒川の少し上流にある「堀切」なども同じ。
南側を望む。一頃よりはずいぶんと水質も改善され、魚の泳ぎ回る姿も。
川沿いを通ると魚が跳ねるほど。散歩していた地元の方に聞くと「ボラ」だとか。この魚、出世魚として有名。一番大きくなってこれ以上成長しなくなると「トド」。「結局」「行きつくところ」などを意味する「とどのつまり」の語源となった魚。その「ボラ」がたくさん棲息しているらしい。自由に釣りもできるようで、釣り人の姿もみかける。
蛇行する流れは昔のまま。このあたり一帯は昭和20年3月10日の東京下町大空襲によって壊滅的な被害を受けた地域。それにちなんで、毎年夏には精霊流しが行われる川でもある。

「平井の渡し」跡付近からの「スカイツリー」。行徳道(浅草道)はその方向に向かって進む。
墨田区側。「平井の渡し」案内板(江戸川区)の対岸。
東武亀戸線「東あずま」駅そばにある「地図」。中央、左上から右下に通じる道路がほぼ「浅草道」の跡と思われる(赤線でなぞった道)。地図の下方、交差点を左に曲がる。
秋の祭礼の飾り付けで忙しそう。
駅前の商店街を抜け、明治通りを越えた付近。
正面から来た道を左に曲がる。右手奥に広がっているのが「花王東京工場」。かつて西側には用水が流れていた。「浅草道」は用水に沿って左に曲がった。
北十間川・境橋からのスカイツリー。橋を渡って「浅草通り」に出る。
明治13年の地図。北の方にまっすぐ伸びる道が「木根川薬師」への道。この道は、葛西用水(曳舟川)から四ツ木付近で分岐し、小村井方向に流れていた水路(中居堀)沿いの道。中央東から来た道が「浅草道」。下方・北十間川に架かる橋が「境橋」。
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