おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

「堀切菖蒲園」~京成電鉄「堀切菖蒲園」駅(用水路跡をたどる。その1)

2012-09-17 19:22:40 | 河川痕跡
 JR「綾瀬」駅東方、高架線をくぐるあたりで古隅田川から分岐し、南下する用水路は葛飾区立青葉中学校の北側で、今度は西と南に分かれます。南に向かう用水路は、南東へ蛇行しながら、区立双葉中学校の東側を通って左折し、曳舟川方向に向かいます。もう一方は、南西に下って平和橋通りの脇を通り、京成電車「堀切菖蒲園」駅のホーム下をくぐって、「区立堀切菖蒲園」の北に。そして、綾瀬川に合流していました。今回は、綾瀬川合流点跡から堀切菖蒲園駅までの探索です。
 「葛飾区立堀切菖蒲園」は、花菖蒲の名所として知られ、京成電車「堀切菖蒲園」駅の南西500mほど(徒歩約10分)のところにあります。貴重な江戸系花菖蒲を中心に、200種6000株の花菖蒲が植えられており、見ごろは、6月の中旬。その頃は訪れる人々でにぎわいます。その歩行者道路が今回の用水路跡。正門前の広い道ではなくて(この道も用水路跡ですが)、一本北側、マンションの小道がそれです。
向かい側が綾瀬川。かつては綾瀬川に流れ込んでいました。
綾瀬川合流点からの最初の橋。「中田橋」という橋名が残されています。ここから歩行者道。かつての用水路跡。
水の流れこそありませんが、手入れの行き届いた植木が続く落ち着いた道。
その用水路跡の一本北側の広い道。この道は、明治時代末期に荒川放水路が開削される以前は、対岸の鐘淵から通じていた「古道」のようです。JR綾瀬駅の南東付近で日光街道・千住の宿から分岐した「水戸街道」と合流します。この道は隅田川の左岸(東側)を通って江戸市中に向かっていたと思われますが、現在では、まったく見当がつきません。荒川放水路の開削によって分断された道路や土地が多くありました(四股。木根(下)川。堀切・・・)。
明治13年の頃。かつての堀切橋(現在よりも南の地点の荒川に架かっていた)に通じる道につながって現在の中央通り・平和橋通りと続いていたようです。地図中「村」という字の左あたりが現在の荒川・綾瀬川の土手。地図の左下、北西から南東に斜めに続く水路(綾瀬川から中川へ通じていたもの)は荒川放水路の開削で消滅した(鐘ヶ淵付近で隅田川と合流していた綾瀬川も荒川と並行する水路に変更された)。
住宅の裏を縫うようにして続く。
唯一、短いですが、モニュメント風の流れがありました。
「堀切菖蒲園」駅近く。人通りも多く、道幅も広くなっています。かつても広い水路でした。
道ばたに橋名が残されていました。「毛無池橋」。
駅横の商店街。ここには小高い樹木があってかつての用水路の雰囲気が残っていました。ガード下から南を望む。
駅ホーム下の地下道。用水路跡。ここから綾瀬・小菅方向へ。

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