平井大橋を渡って、「平井」(西小松川)方向に向かいます。ここから再び水路跡が「庚申塚通り」として残されていました。
荒川から南西を望む。右手は東電の変電施設。社員住宅もあってかなり大きな施設。この道の先で「行徳道」と交差していたようです。
変電所内のモニュメント。鉄製の歯車が組み合わさった変電設備のもの。構内なので確認できず。
荒川方向を望む。このあたりはほぼ直線。
明治13年の地図。北東から南西に向かう道が「西用水・小松川街道」と思われます。途中まで直線、集落のはずれで右に左に曲がっていき、中川に合流しています。旧中川合流付近はカギ型の水路になっていました。下方(南)の道は旧千葉街道。現在の京葉道路・中川新橋は水路の合流付近。小松川街道は平井(小松川)地区に入ってから「行徳道」(地図上で右斜めに横切っている直線道)と交差していました。
JR平井駅の南方。曲がっているようすがかつての水路の跡であることをとどめています。このあたりは昭和20年3月10日、東京大空襲で壊滅的な被害を受けた地域。昭和22年になっても、まだほとんど空地のままになっています。
旧中川までの道、実にくねくねと曲がっているのには驚きます。昭和38年の航空写真では、用水路の両脇が道になっています。かつては土手のような道?
「庚申塚」脇の道。カギ型水路の一部だったか?
旧中川の土手から東側を望む。コンクリート壁はかつての土手の痕跡?
「逆井の渡し」(ここからはちょっと下ったところ)、「平井の渡し」(ここから少し上流)で中川を越えれば、江戸市中(両国へは「逆井の渡し」経由で元佐倉道・旧千葉街道を通って。浅草へは「平井の渡し」経由で行徳道・浅草道を通って。)に向かうことができます。新金線にあった「東京街道踏切」という名称もあながち外れてはいないようですが・・・。
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「逆井の渡し」(ここからはちょっと下ったところ)、「平井の渡し」(ここから少し上流)で中川を越えれば、江戸市中(両国へは「逆井の渡し」経由で元佐倉道・旧千葉街道を通って。浅草へは「平井の渡し」経由で行徳道・浅草道を通って。)に向かうことができます。新金線にあった「東京街道踏切」という名称もあながち外れてはいないようですが・・・。