おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

小岩市川関所。(佐倉道その3)

2012-09-16 21:54:40 | 歴史・痕跡
 北小岩は佐倉街道(成田街道)、元佐倉街道(千葉街道)、岩槻街道(篠崎街道)が交差・合流する交通の要所でした。参勤交代のみならず、江戸の後半には、さいたま市岩槻の慈恩寺、成田市の新勝寺、千葉市の千葉寺などへの参詣で大勢の旅人が行き来していました。必ず通過しなければならない関所もありました。そのため、文化財・旧跡が多い場所でもあります。じっくり歩けばまだまだ興味深い発見があるところのようでした。
江戸川の土手から御番所町跡(西方)を望む。
対岸の市川市側にある「関所跡」のモニュメント。
立派な説明板。
 それには、「・・・関所を通り、水戸・佐倉道を往来する人々のために、市川村では2~3艘の船を用意し、川端に番小屋を建て、20人前後の船頭や人夫を雇っていた。・・・明治2年(1869年)に『関所廃止令』が出されて、その使命を終えてもなお、明治38年(1905年)に江戸川橋が架けられるまで、渡船の運行は続けられた。しかし、度重なる江戸川の護岸工事で、関所の建物や渡船場の正確な位置は、今日不明となっている。平成16年7月 市川市」とある。
関所跡から対岸の小岩を望む。護岸工事で江戸時代よりも大きな川幅にはなっている。右に見えるのが京成線の鉄橋。河川敷あたりがかつての渡船場なのか。
市川橋。「千葉街道」。市川橋の西詰付近で南西に折れる「千葉街道」と分かれて西に向かう広い道路は「蔵前橋通り」。歩いて渡るとけっこうな長さ。橋の正面奥に見えるのはスカイツリー(右の方)。

(「歴史的農業環境閲覧システム」より)
江戸川を渡ると道は南東へ折れる。(「同」より)
正面が千葉街道。右(西)から来た道路は「蔵前橋通り」。ここから「千葉街道」となって市川に向かう。「江戸川」交差点。
旧千葉街道沿いの「一里塚」跡。バス停名と篠崎街道(岩槻街道)との交差点名に残っている。
「千葉街道」と交差する通りは、「岩槻街道(篠崎街道)」。この道は、岩槻方面へ行徳の塩などを運ぶ道でもあった。「岩槻街道」はそのまま北上し、「善兵衛樋」(「道標」)付近で「佐倉道」と交差して江戸川右岸沿いに北に向かった。古地図で見ると、田んぼの中の広いあぜ道という感じだが。

(「同」より)。北小岩付近。中央の道は、「岩槻街道」、右が「佐倉道」。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする