おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

雲行き怪しい「滄浪泉園」。大雨の「野川」。小雨の「近藤勇」。(じじばばがゆく。「はけ」編。)

2014-11-06 20:11:30 | じじばばがゆく

 久々に昔の職場の同僚+近しかった方々。

 地元の方の案内で「野川」散策。あいにくの雨でした。「武蔵小金井」駅集合、「龍源寺」解散。

 昭和一ケタから還暦未満まで。多士済々。

 国分寺崖線沿いの散策。この段丘を地元では「はけ」というらしい。けっして「はげ」ではない! なにしろこの「はけ」、立川市の北東から世田谷区の野毛町まで続く、のだそうだ。

 11月1日(土)午前9時30分「武蔵小金井駅」改札口に集合。

 電車を降りると、前をあるく女性。後ろ姿がどうもあの方ではないか。ペットボトルをむりやりポケットに突っ込んだ着古したジャンバーに、よたよたした足取り。そっとしらんふりしました。すると、エスカレータに乗っていた老人。小走りでトイレに向かう。この方にも見覚えが。トイレに入って出るのを待って、入りました。

 どういうメンバーが集まっているのか、改札口を出る前に遠目で。天気も怪しいし、膝の調子もよくないし・・・、メンバーによっては・・・、そんな小生のようすをすぐに見つかってしまいました。ま、いいか。

 最初に訪ねたところは、「滄浪泉園」。この「ソウロウ」という熟語が出てこない、けっして「候」でも「早老」でも「早漏」でもない! 由緒正しい「深山の趣そのままの庭園」(惹句)でした。
 


 元々は、明治・大正期の三井銀行の役員、外交官、衆議院議員などを歴任した「波多野承五郎(雅号・古渓)」という方の別荘だった、とか。
 人の手に移って幾星霜。宅地化の波に洗われて、当時の3分の1の広さに。その後もマンション建設計画が起き、存在が危ぶまれた。そうした中、1977(昭和52)年、市民の保存の声を受けて、東京都が買収し、自然緑地として残されることになったそうです。
 
 「手や足を洗い、口をそそぎ、俗塵に汚れた心を洗い清める、清々と豊かな水の湧き出る泉のある庭」。さすが犬養毅の命名のことだけはあります。

アップダウンもあって、緑豊か。

  
 あいにくの雨、さらに明るさがなくて、携帯写真ではどうも写りがよくありません。 

 しばらく歩いて、「野川」へ。道すがら、この付近のおうちの品評会。蜜柑や栗や柿や外車と、右見て左見て、あれこれおしゃべり。土曜の朝、まだまだ静かな住宅街。さぞかしうるさかったじじばば一行でした。



  
「前原小学校」脇、野川の旧水路。                 現在の野川との合流地点。

 「都立武蔵野公園」に到着。

 広場ではなにやらロックコンサートが。

  
広々とした緑とせせらぎ。                     はけ(国分寺崖線)。

  
カルガモご一行様。                        西武多摩川線。
 
 「西武線」の橋脚を過ぎると、「都立野川公園」。ここも広大な敷地の公園。

雨に煙る風景の格別さI!
 でも、足下はぐちょぐちょ。

薄いピンクの花が満開。「ジュウガツザクラ」。

  
「はけ」からの湧き水がこんこんと。                         概念図。

  

野川公園全景。

 何か気づきませんか? そう、ここはもともと「ゴルフ場」。「国際基督教大学(ICU)」のゴルフ場でした。1974(昭和49)年に買収し、1980(昭和55)年に開園。アップダウンと木々の配置がそのまま残されているようです。

「ゴルフ場」のある頃。
現在。(「今昔マップ」より)

イチョウ。足下には銀杏がたくさん。

 「野川公園」を出て、「人見街道」を左に曲がると、お蕎麦屋「 御狩野そば (みかりのそば)」さん。

 「多磨霊園」が近いこともあって、法事での利用客が多いようです。午後1時前でした。
 お酒を飲み、あれこれつまみを頼み、お蕎麦を食べて、おしゃべりをして、ごちそうさま。見かけによらず、皆さん、お元気でした。
 そして、少し歩いて、「龍源寺」へ。
 
  
        「近藤勇」の胸像。                       お墓。

 こうしてバスに揺られて「三鷹駅」まで戻って来ました。
 ほどよい疲れ具合(飲み具合)でした。またの日を楽しみに。
 これから「女子会」を中野で行うんだと降りていった方々の元気さに、男性陣は・・・。
コメント
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